地獄の門 一
如何ともしがたい状況である。
わたしは断崖から伸びる先の見えない岩の橋を眼前にあぐらをかいて、ひとしきり考えた。
橋の下には溶岩がふつふつと煮えたぎり、断崖の間際には鳥居のように岩がアーチを作って、そのてっぺんに「地獄」と彫られていた。なんとも達筆であり、腕の良い彫り師だったことは想像に難くない。
死んだら異世界という定説はなんだったのか。話が違う。
あれは想像力の乏しい作家連中の大量生産と、それに群がる哀れな消費者達の現実逃避の道具でしかなかったのか。
そもそも「なろう系」なるサイト群がその一因を発生させたことは言うまでもない。緻密な構成もなければ、その裏に隠れるアイロニーもあったものではない。
手軽に作り、手軽に発信し、手軽な賞賛を勝ち取るのである。それが異世界産業である。
しかし、それに釣られた消費者は「本当に異世界転生があったら良いな」などと死後に不毛な望みをもってしまうが、よく見ろ、これが現実だ。
現に交通事故で齢二十二にして他界し、気付けば断崖の前で意識を取り戻したわたしには、そのような虫のいい状況は舞い降りてはいない。これといった定職にも就かず、友もなく、女性経験もなく、学歴もなく、心を痛める親も早年に亡くし、たしなむ程度にアニメーションをつまみながら休日をさすらう。全てのお膳立てを済ませて死んでいるのに、全て無駄であった。こんなことになるのであれば、もう少し活気に満ちた生前を送るべきだった。死んだ今ならば思う。
そういう風に地獄への片道切符を前にして、持ち前の「往生際の悪さ」を発揮していると、後方から声が聞こえた。
「おーい、なぁにしてんだぁ。はやくいげぇ」
振り向けば、そこにいたのは、こめかみまで吊り上がった眉毛に過発達の犬歯、濃いコントラストの赤い肌を持った人型の化物であった。
鬼である。津軽訛りの、鬼である。
その異形なる生物に多少たじろぎはしたが、恐怖することはない。恐怖や歓喜、嫉妬や同情にいたるまで、それは生きた「人間」に許された特権なのである。わたしは失うもののない死人であるから、鬼ごときに恐怖してもいられない。今、わたしがすべきことは、この如何ともし難い状況を出来るだけマシな方向へ向かわせるための努力だけである。
「地獄行きと書いてあるのに、そう易々と行けるものか。わたしは断固拒否する!」
「あー、たまにいるんだよなぁ」
たまにしかいないことに驚愕である。
「そもそも、ここは滅多に人間は来ねぇから、おらも久しぶりに仕事をしてる実感が沸いて嬉しいだぁ」
わたしは慌てて問いただした。
「おいおい、待て。滅多に人が来ないと言ったが、わたしの前にいつ人が来たんだ?」
鬼は斜め上に視線をずらして、顎を搔きながら考えて言った。
「はっきりとは覚えてねぇが、五百年くらいだなぁ」
わたしはまたも驚いたが、同時にある疑問が浮かんだ。
今この場所の時間の感覚である。生前の世界と今のこの世界の時間は果たして並列なのか?
それを解き明かすため、わたしは鬼に質問した。
「わたしと君が会ってから、大体何分くらい経った?」
「ん?およそ二、三分じゃねぇかぁ?」
「なるほど。では一時間は何分だ?」
「一時間は六十分に決まってるだろぉ」
「それでは一日は何時間だ」
「一日は二十四時間だ。おめぇ馬鹿だなぁ。」
「うるさい!じゃぁ一年は・・・」と聞いたところで、遮るように鬼は「三百六十五日」と言った。
わたしの思惑とは裏腹に、鬼は見下すようにわたしを笑った。
「おめぇは何も知らねぇだなぁ。おめぇ馬鹿だなぁ」
最初に見た時は強面の赤肌に少し肝を冷やしていたことは白状しよう。しかし、話せば話すほどに、この鬼は間抜けでありながら、愛くるしいことが分かってきた。しかし、けたけたと笑う姿は憎たらしい。
そして、それよりも自分が五百年ぶりの地獄への来訪者に選ばれてしまったことへの落胆の方が大きかった。この世界の時間の流れは生前とあまり大差はない。しかし、大量虐殺を指示した為政者よりも、死刑を求刑された罪人よりも、学生の時にいじめをしていたやつよりも、ヨアソビのようにくだらない音楽を量産しながら時代の先導者面して、音楽番組でくだらない音楽を披露している奴よりも、、、失敬。それらよりもわたしは罪深いことに落胆したのである。
がっかりと肩を落とすわたしに鬼は言った。
「おめぇ地獄に呼ばれるなんて、なぁにしたんだぁ?」
「断じて分からん!」
「とりあえず【悉見】してみろぉ」
「なんだそれは?」
「片手を出して【悉見】と言うんだ」
わたしは右手を腰の前あたりまで出して言った。
「、、ふつくみ」
すると、すぐさま手のひらの前にビジョンが現れた。




