89. 窪地へ(3)
本日2話更新します。これは1話目です。
「すげえ迫力」ジョイルが炎を見上げて言った。
「さて、この炎をどうするんだ?」
「そうだな、グリシフィア。いけるか?」
俺の呼びかけに、やれやれとグリシフィアが前に出る。
「誰にものを言っているの? 私は傲慢の魔女よ」
グリシフィアの長い髪が、瞳が銀色を帯びていく。それは月の光のように、うっすらと光って見える。彼女の力の象徴である月を体現しているかのような光だった。
「全てを支配する最強の魔女。できないことなどないわ」
グリシフィアの黒衣がはためく。そこから覗く白い手をかざすと、不可視の力が出現し、炎が空に吸い込まれるようにして舞上げられ、青空に消えていく。後には黒く焼けこげた谷間の道が遥か彼方まで続いていた。
想像を超えた光景に俺が言葉を失っていると、グリシフィアが振り返った。
「まあ、こんなものかしら」
ジョイルは開いた口が塞がらないといった様子でグリシフィアを見た。フェルマリは圧倒されまいと、敵意のこもった目でグリシフィアを睨んでいる。
そう、グリシフィアは成り行きで今は協力しているが、いつかまた敵対することになる。不死に加えてこの圧倒的な魔力。こんな超常的な存在を殺すことなどできるのか。
俺もフェルマリと同じような顔をしていただろう。誰一人声もあげられない様子に満足そうにグリシフィアが微笑んだ。
「満足してもらったみたいで何よりだわ」
俺は改めて、炎の吹き飛ばされた谷間の道を見た。地面は炭化した黒い岩が遥か向こうまで続いている。そのあちこちから、くすくすと黒い煙が立ち上っていた。俺は足元に生えていた手直な木の枝を折ってそこへ投げると、地面に落ちた枝がくねりながら焼けこげていく。
「炎は消えたが、地面は熱いままだ。とても歩けたもんじゃないな」
「私は約束を果たしたわ。地面の熱さまでは知らないわ」
「それはその通りだ。だから待つしかない。地面が冷えるまで」
「はあ? まさか、ここでまた足止め?」
グリシフィアはあからさまに不機嫌になった。
「仕方がないだろう。俺たちは死なないお前とは違うんだ」
「やれやれだわ。あなたたちの短い生のうちに坑道まで辿り着けるのかしらね」
「言ってろよ。とにかく地面が冷えるまで何日かかるかわからない。ここで野宿をしながら、ゆっくり行くさ」
俺たちは一度ドワーフの廃村に戻り、村に中央にあった一際大きな石造りの家に泊まることにした。廃棄されて100年以上は経っているだけあり、中は荒れ果てていたが、石を積まれた建物は頑丈で崩れる様子はなかった。
夜がふける。
ドワーフのジルコが広間の大きなテーブルに地図を広げた。大坑道の内部を示した古地図である。俺たち突入組がそれを囲んで立っている。
ジルコがあたりを見回して言った。
「北の裂け目を抜けたら、山沿いにさらに北上しな。すると数時間で、大坑道に着く。そこまでは迷いっこねえ。巨大な坑道だからすぐにわかるはずだ。問題は坑道の中だ。これが坑道の内部の地図だが、見ての通りまるで迷路だ」
大坑道の道は基本下りになっており、奥に進むほどに地下に潜っていく構造だ。細い道がまるで迷路のように入り組む複雑な行程だが、壁の要所には目印になる記号が彫ってあり、地図と照らし合わせてどこにいるかがわかるようになっているらしい。
「もちろん、目印が今も残っている保証はねえがな。大坑道は地下への道とはいえ、200年も地表は炎に包まれていたんだ。中だってどうなってるかわからねえ」
ジルコが忠告し、さらに説明を続ける。
「入り組んだ道を抜けた深奥に、巨大な円形状の場所がある」
地図を指差し、遠い目をした。
「そこは地上までの吹き抜けになっているんだ。俺たちドワーフは坑道に潜ると何ヶ月も地上に出ることはないが、そこは開けていて、よく星を眺めたもんだ。俺のお気に入りの場所さ」
「もしイフリートがいるとすれば……」
イフリートは坑道の上空のあたりに、炎の渦の姿で浮かんでいるのを何度も見ている。奴が坑道を守って動かないというのなら、その円形の場所から飛び上がっていると考えるのが妥当だろう。
「そこは開けていて、ろくに隠れる場所もねえ。イフリートは上空にいようと地上にいようと、そこに踏み入れたものがあれば気がつくだろう」
「不意打ちはできないということか」
俺は考える。ところでイフリートは眠るのだろうか。もし眠ることがあるのなら、その隙をつけるのかもしれないが。
「わかりやすいじゃねえか、つまりはそこが円形の闘技場だってこったろ」
ジョイルが笑う。
「ぶつかり合って、生き残った方が勝ち。シンプルでいいや」
「浅はかな海賊よ。正面からぶつかるということは、奴は炎の渦を発生させるということだ。そうすれば近づくことすらできないのだぞ」
フェルマリが表情を動かさずに言った。俺が頷く。
「奴が渦を発生させない隙をどうにか、作るしかない。もし奴が眠るのなら寝込みを襲うのが一つ。もしくは、あえて渦を発生させる」
「渦が発生したら近づけねえんだろ?」
「渦は遥か遠くから見渡せるほどに巨大だった。そんなもの、いつまでも出し続けられるのだろうか。どこかで限界があるはずだ。どうにか渦をやり過ごして、奴が疲れた隙をつく」
「どうやってやり過ごすんだよ」
ジョイルが俺を見る。俺は自分の額を指差す。
「俺の紋様の力で炎を吸収する。だがそれもどの程度、うまくいくかはわからない。だから、もう一度確認するぞ。一度目で倒そうなどとは考えていない。まずは奴を見てみないことには対策も立てられない。だからまずは奴を見て、観察し、帰ってくる。それがまず第一の目的だ」
皆が真剣な表情で頷いた。
そう、自分一人だけの命を投げ打っていたときとは違う。誰一人、命を落とさせない。そのためには今までのような、勢いに任せて突っ込むだけではだめだ。
キャスリンと目が合う。栗色の目が微笑んでいる。まるで俺の考えていることがお見通しとばかりに、姉は微笑んでいた。
そうだよ、君を死なせたくないんだ。
もちろんフェルマリも、ジョイルだって。全員生存し、イフリートを倒す。そして魔女を殺す可能性がある、真銀を手に入れるのだ。
20分程度で更新します。




