87. 窪地へ(1)
お久しぶりです。遅くなり、申し訳ありません。
本日、2話更新します。
何台かの馬車が隊列をなし、北に進んでいく。
晴天ではあるが、周囲にはうっすらと雪が残っている。馬車の車室の窓の隙間から、冷たい北の地の風が吹きつけてくる。
車室と言っても、木の枠で作られた四角い空間で、ある程度の雨風は凌げるが、暖房があるわけではない。俺は備え付けられた硬い木のベンチに座りながら、隙間風で熱が奪われないよう、身につけた毛皮のマントを体に引きつけた。
俺のすぐ隣には栗色の髪をした少女が、同じように自分のマントで体を包んでいた。この北の地に来るときに支給された、俺とお揃いの黒のマントだ。「ああ、もう」彼女は我慢できないと言ったふうに立ち上がり、声を上げた。
「おしり痛くてもう無理! こんな固い木に座って、もう何時間揺られたかしら!」
「さあ、どのくらいだろうな」
「ランス、あんたは平気なの?」
「そんなに気にならないな」
「私はもう限界よ。そうだ、こうすれば」
少女は俺の膝の上に腰掛けた。彼女の柔らかい体重が俺の太ももに乗る。
「これなら多少は痛くないかも」
「おいおい、キャス。勘弁してくれ」
俺はうんざりして言った。しかし少女、キャスリンは悪びれた様子もなく、俺の首に手を回してにこにこしている。
「あら、ランス、照れてるの? 私たち姉弟なんだから、このくらい気にすることないわよ」
「違うよ、重いんだよ!」
そのとき、車室のドアが開いた。冷たい外気が吹きつけ、それよりさらに冷たい表情をした銀髪のエルフがこちらを見下ろしている。
「ランス様? 昼間から何をしているのですか」
「何もこうもない」
助けてくれ、フェルマリ。そう彼女の名前を呼ぶ前に、そのエルフは俺の横にくっついて座り、詰め寄ってくる。
「私が外で見張りをしているときに、何をしているのか、聞いているのです! キャスリン様も!」
「あ、えっと、お尻、痛くなっちゃって」
「ずるいです! 私だって、ランス様のおそばを離れたくはないのに!」
「そ、そうよね、フェルマリ。あなたも少しあったまって行ったら?」
「はい! そうします!」
フェルマリがむすっとしながら、俺にくっついて座った。それから俺の方を見上げて、
「寒いです。ランス様のマントに入れてください」
「は? ちょっと待ってよ、フェルマリ。それはおかしいんじゃない?」
俺の首に回されたキャスリンの腕の力が強まる。しかしフェルマリは毅然とした調子を崩さずに、俺のマントの裾を開いて自分の方に巻きつけた。
「何がおかしいのですか? 以前だって、ランス様はこうやって私をマントの中に入れてくださいました」
「はあ? ランス、それ本当!? 聞いてないわ!」
ああ、海に落ちた時の話をしてるんだな。あのときはそうでもしないと二人とも凍えていたからだが、そんなことわざわざ弁明する気も起きない。俺はため息をついて、勝手にしてくれとばかりに目を瞑った。
それから少しの間、俺を挟んでキャスリンとフェルマリがああだ、こうだ言っていたが、俺は頑なに聞こえないふりを貫いた。ついさっきまでの平穏は一瞬にして崩れ去り、すでに懐かしいものになっている。
そんな中、再び勢いよく車室のドアが開くと同時に、のぶとい男の声がする。
「さっきから騒がしいけど何や……あああ、ランスてめえ!」
ドア枠を潜って大柄な男が入ってくる。ただでさえ狭い木の車室がさらに狭苦しくなった。その巨漢は俺の前に屈んで、こちらを睨みつけてくる。
「俺が寒い中、見張ってやってる最中にてめえは! いいご身分だなあ! ああ!?」
今までとは明らかに煩い度合いが違う。その声はまさしく騒音だった。
「そんなでかい声出さなくても聞こえるよ。もう少し静かにしてくれ、ジョイル」
「これが静かにしてられるかああ! 両手に花のつもりか、見せつけやがって! いつもいつも、てめえばっかいい思いしやがってよお!? 俺だってなあ、頑張ってんだぞ!」
情けないことを恥ずかしげもなく言っているこの男はジョイル。これでも一応は長い歴史を持つ一大海賊の船長だった。もっとも、配下の部下はこの呪われた島でほぼ全滅し、今ではこいつ一人だけになってしまったが。
俺はたまらず、膝の上のキャスリンを横に降ろし、マントの裾を掴むフェルマリの手を解いて立ち上がった。
「わかったよ、ジョイル。確かにそうだ。だからお前はここで休んでてくれよ。俺が外に出て見張る」
「あ、いいの? まだ交代の時間には早いけど?」
こんな騒がしいんじゃ休んでる感じがしないからな。
俺は聞こえないよう小声で言って、車室の外に向かう。ジョイルは入れ違いにどかっと木のベンチに座り込んで、足を広げて言った。
「いやあ、悪いねえ。さて、お嬢さんたち。ランスは外に出るみたいだから、今度は俺の膝の上に乗ってくれたまえよ。あいつみたいにケチな男と違ってよお、何時間だって、座ってていいんだぜ!」
「ランス様! 私も行きます」
「ランス! 待って、私も行く」
そんな海賊を無視してキャスリンとフェルマリは立ち上がり、俺についてきた。それを呆気に取られてジョイルが見ている。
「おいおい、そりゃあんまりじゃねーの? 俺を一人、置いてくのか?」
「一人じゃないだろ」
俺は車室の隅っこで屈んで震えている男の方を指差した。男は神聖教会の神父で、名前は……そういやこいつの名前って知らないな。まあ、どうでもいいが。
「げえ、てめえもいたのかよ」
「ななな、なんですか。人を害虫を見るような目で見て!」
神父が顔を上げた。涙目になっている。
「どどど、どうして私がここに、ここにいるのですか! この馬車はあの恐ろしい、イフリートのすみかに向かっているんでしょう!?」
「だってお前よお、村に一人で置いといたら何するかわかんねえだろうよ」
ジョイルの答えに、神父が勢いよく立ち上がり、ジョイルに顔を近づけた。
「何がですか! 私は神に使える身ですよ! 神の代理人にして清廉潔白、品行方正なるこの神父が、何をするというのです!」
「いや、お前この前、俺たちの食糧を思いっきり盗んで逃げてただろうが」
「なんですか! 全く身に覚えがありません! 言いがかりも大概にしなさい!」
神父は清々しいほどに言い放った。本当に忘れているのか、忘れたふりをしているのか。こいつとはあまり関わり合いになりたくはないのだが、一人で村に置いておくのも迷惑をかけそうで、やむなく連れてきたのだった。
「ランス、あんなやつに関わってちゃダメよ。あんたに悪い影響しかないわ」
キャスリンが小さい子供に言い聞かせるようにして俺に言った。確かにこの血の繋がらない姉は俺より二つ上の17歳だが、何度も生まれ変わっている俺の過ごした年月はトータルで200年を超えているのだ。釈然とはしない。
そう、俺、ランスには100万回の生が与えられている。




