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86. 夜明けの出立

 そして数日後———


 夜を緋色に染める燃え盛る山の向こうから、うっすらと白い陽光が漏れてくる。夜が明けようとしているのだ。


 いつもは静かな村には、早朝から喧騒に包まれている。3台の荷馬車が連なり、水や食料を入れた樽が乗せられていく。それは村から集められたものだ。


「すまないな。貴重な食料だろうに」


 俺は樽を担いでいる体格のいい男に声をかけた。


 ここは人里離れた、北の国の田舎の村である。食料だって多く余っているはずはないだろう。だが男は振り返り、笑顔を見せた。


「なあに、いいってことです。俺たちだってノースフォレストの血が入っているんです。あなたのことを御伽話に育ってきたんですよ、第三王子のランス様。今でもあなたは、主君のようなものなんです」


「そうか、ありがとう」


 彼らも元はといえば、国を失ったものの末裔だった。200年も前の物語を語り継ぎ、いまだに忠節を守ってくれている。


「イフリートを倒すことができれば、あの燃え盛る炎も消えるんでしょうかね」


 男が山の後ろから立ち上がる炎を見上げて言った。


「わからないな」


「あの今も燃えているところが、俺たちの本当の故郷なんですってね」


「帰りたいと思うか?」


「いえ、俺はこの村で生まれ育ちましたからね。俺にとっての故郷はここですよ。けど、先祖たちが必死に守ってきて場所なんでしょう? いつまでもこのままでいいってことはねえ」


 俺の脳裏に、かつてのノースフォレストの住民たちの顔が浮かんだ。彼らは暮らしの中で先祖の歴史や知恵を受け継ぎ、そしてそれを後世に伝えてきた。何百年も続いたその営みは、一夜にして全て灰にされてしまった。


「ランス様、どうかノースティアを、あの魔女の忌まわしい炎から解放してくだせえ」


「ああ、約束するよ」


 俺は頷き、村の方に目を向けた。


 荷造りをする彼らだけでなく、村中の者が早朝から起きて集まっていた。そしてその中に、イフリートのいる大坑道へ向かう主力となるメンバーの姿が見える。


 フェルマリ、ジョイル、キャスリン、そして魔女グリシフィア。これに俺を加えた5人が探索のパーティとなる。


 そしてフェルマリの隣には、ドワーフのジルコの姿もあった。ジルコはこちらを見上げて、確認するように言った。


「北の裂け目までは一緒に行ってやるよ。だが前も言ったけど、俺は戦闘は専門外だ。イフリートの相手は勘弁してくれよ」


「ああ、もちろんそれでいい。助かるよ、ジルコ」


 俺とジルコは固く握手を交わした。俺の腰には、ジルコから借りたドワーフ鋼の剣、ジルコ・ブレードが刺してある。


 フェルマリの周りに、同胞のエルフのたちが集まってきた。皆、一様に心配そうな目で見つめ、身を案ずる言葉をかけていた。その中心にいるフェルマリが笑ってみせた。


「大丈夫、無茶はしないわ。だからみんな、そんな顔をしないで」


「そんなことを言って、あんたここんところずっと、無茶ばっかりするじゃないか」


 年長の女性エルフがフェルマリの頭に手を乗せた。


「みんな、おまえが無事に帰ってくるのを待ってるんだ。それを忘れちゃいけないよ」


「うん、そうだね。わかってる」


「ノルディンだって、きっと心配してるよ」


 女性エルフが森の方を指差した。その遠く、森の中心にある一際、大きな樹がここからでも見えた。


 フェルマリもその樹の方に目を向けると、腰から短剣を取り出し、陽光にかざした。


 葉っぱの形の鞘に収められた、真銀ルシエリの短剣。育ての親の形見の短剣を胸に抱き、フェルマリが目を閉じた。


父さんノルディン、私を守って。あの樹から、見守っていてね」


 その様子を少し離れて、銀髪の青年、カイルが複雑な顔で見ていた。フェルマリの身を案じているのは明白だった。


「カイル、世話になった。馬車から食料からみな用意してくれて。フェルマリのことは心配だろう」


 すると、カイルの青い目が俺に向けられた。かつての俺に似たその銀の髪と目は、彼がノースフォレスト王家の血を引いていることを思い出させる。


「フェルマリとは私が物心ついた頃から、ずっと一緒でした。幼い頃はよく遊んでくれる姉のような存在でしたが、彼女は少し向こう見ずのところがあるので……今では、私の方が年上のような気分です」


「確かに、彼女には驚かされることがあるな」


 見た目は思慮深そうに見えて、行動は割と勢い任せのところがある。


「私に力があれば、お供することができるのですが……」


 カイルは悔しそうな顔をしている。


「本当に、不甲斐なく思います。いつも彼女を一人で行かせてしまう。ランス様。フェルマリをどうか、頼みます」


「ああ、わかったよ」


 するとカイルが手を出した。俺も彼の手を取り、固く握手を交わした。彼の手には祈るように、力が込められている。


「カイルー!」


 そこへ当のフェルマリの声が響いた。こちらに駆けてくると、両手でカイルの手を取った。


「いってくるね」


「うん、フェルマリ。気をつけて」


 そこでフェルマリが少し黙ってから、口を開いた。


「ごめんね、カイル。海賊の元から帰ってきたばかりなのに、また村を空けてしまう。あなたには心配ばかりかけるね」


 するとカイルが「はは」と笑った。


「いまさら、何言ってるんだよ。もう慣れちゃったよ。でも、必ず帰ってきてね」


「うん」


 そして二人は抱擁を交わした。その周りには村人たちと、エルフたちが輪を作っている。この小さな村では人間もエルフも、ドワーフも分け隔てなく暮らしている。人間だけで構成されている、ミッドランドでは見られない光景だ。


 ミッドランドにはエルフもドワーフも存在しない。その存在すら、ほとんどの者は知らないだろう。だが単一の人間という種族で暮らしているはずのミッドランドの方が、差別や争いなどが尽きない。


 あたりが白み出した。夜明けである。北国の控えめな太陽が遠く東の海から、村とそこで暮らす者たちを照らした。


 この村でやり直したい。ジョイルが言っていた。確かにこの村なら、ジョイルを受け入れてくれる日が来るかもしれない。キャスリンだってそうだ。もしかするとここでなら、ミッドランドで暮らすよりもずっと平和で、穏やかな暮らしができるのかもしれない。


 そこで俺は、イフリートを倒した後のことを考えている自分に気がついた。それは新鮮な感覚だった。今までは魔女を殺すことだけを考え、他のことなどまともに考えもしなかったからだ。


 だが。


 白んだ朝の光景に、その一角だけが夜に取り残されているように、黒い魔女が立っていた。俺に向けられた漆黒の瞳が語っている。


 わかっているわね?


 もちろん、わかっている。


 俺の役割はイフリートを倒すこと、真銀ルシエリを手に入れること。


 そしてグリシフィア、いつか、おまえを殺すことだ。


 たとえイフリートを倒したとして、俺自身は、この村にとどまることはない。


「それでいいわ」


 見透かしたように、グリシフィアが言った。


 俺は黒いマントを靡かせて、馬車に向かった。ミッドランドから着込んでいる黒い革鎧やマントには、倒した魔物の返り血の臭いが残っている。


 確かに、少し呆けていたかもしれない。


 俺がいるべきところは、この平和な村ではない。


 あの山より高く燃え盛る炎の中心。


 そこは人間の想像を超えた世界だ。


 雑念は即、死を招くだろう。


 馬車の荷台に腰掛けた俺の前に、グリシフィアも座った。


腑抜ふぬけてもらっては困るわ。私を楽しませてくれるのでしょう?」


「そうやって余裕ぶってろよ。お前の命が終わる、そのときまでな」


「ふふ、それはいつになるのかしらね」


 いつになろうと、やり遂げるさ。


 俺の脳裏に、フィリオリの姿が浮かんだ。ある日、忽然と消えてしまった彼女。そして失踪に関係しているとされる色欲の魔女、ファルシローネ。


 そこで何があったのかは、わからない。

 だがもしフィリオリに危害が加えられたのだとすれば———。


 魔女は人間を玩具のように扱い、気まぐれに国を歴史ごと焼却する。


 そのようなことが、そのような存在が許されていいわけはない。


 大罪の名をもつ七人の魔女たち。


 その全ての魔女は、この俺が必ず滅ぼす。


「せいぜい、励むことね」


 フィリオリと同じ顔を持つ魔女が、傲慢に笑った。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

出立の話もここまでとなります。(少し長かったかもしれませんね)

次回からは憤怒の章における最終パートへと入っていきます。


200年燃え盛る炎の中心でランスやグリシフィアたちは何を見るのか…

彼らの旅の結末を、見届けていただければ幸いです。


記していた通り、ここで少しお休みをいただきます。

次回は3月21日(木)の更新を予定しています。

そこからは休まず、最後まで綴るつもりです。

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