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76. 森に還る日 

本日2話更新。


2話目になります。

 医師の声で俺は我に返り、フェルマリの背中越しにノルディンの姿を見る。つい先日に一緒に森を歩いたときよりも、ずいぶん小さく見えた。布団の外にでた腕は乾燥して、枯れ木のようだった。


「ノルディン、俺だ。ランスだよ、わかるか」


 声をかけるが、ノルディンの返事はなかった。ただ笛のような細い音を出して息を繰り返すばかりだ。


 やがてノルディンの息が少しずつ落ち着いていったかと思うと、ふと、ノルディンが目を開けた。俺たちの姿を見回して、恥ずかしそうに笑った。


「やあ、ランス。まさか君に、こんな姿を見せる日が来るなんてね」


「ノルディン!」


「フェルマリ、無事に戻ってきたんだね。良かった」


「うん、戻ってきたよ。いつも大変なときにそばにいられなくて、ごめん」


「いいんだよ、私の娘よ」


 深く皺の刻まれた顔にあって、目の奥の光は澄んだ色の、昔のままのノルディンだった。


「君はそれでいいんだ。魂の声に従って、風のように自由に生きるんだ。私が死んだ後は、この狭いノースティアにこだわる必要はない」


「死ぬだなんて、そんなこと言わないで」


「私が生まれ落ちてもう1000年だ。このノルディンという存在を与えられ、長い、長い旅路の果てに、森に還る日が来たんだよ。だから悲しまないでおくれ。元にいた場所に還って、少しの間、休むだけだ。生命は森を経て循環し、いつか私はまたこの世界のどこかに、生を受けるだろう」


 それからノルディンは俺の方を見た。


「ランス、最後に一つ、頼まれてくれないか?」


「ああ、いいよ。どんな頼みだ?」


「君に、最愛の娘を頼みたいんだ」


 フェルマリの方に視線を向けて、ノルディンが言った。


「彼女は幼い頃に、父と母は森の魔物に襲われて、亡くなってしまったんだ。それから今日まで私が育ててきた。幼い頃から君の騎士道物語を聞いて育ったせいか、森の中を冒険しながら木剣を振り回すようなおてんば娘だった。けど、私が老いてからはそんなところも見せなくなってね。私を気にかけて、色々な世話を焼いてくれたよ。けど、その心は幼い頃から変わらず、ずっと、外の世界にあったんだ」


「ああ」


「彼女を君のかたわらにおいて、世界を見せてやってはくれないか。彼女は人間に比べればずっと長生きだ。もし君のこの生が終わっても、また出会うことがあるかもしれない。その時は、気にかけてもらえないだろうか」


「約束するよ」


「良かった。君に頼めば、安心だよ」


 ノルディンは笑って目を閉じた。フェルマリはノルディンの手を両手でとり、祈るように額に当てながら、涙をこぼしていた。


「ノルディン、私まだ、あなたとお別れしたくないよ」


 それはいつもの冷静な狩人ではなく、泣きじゃくるただの子供だった。彼女の純真さ、優しさ、強さも、きっとノルディンから受け継がれたのだろう。


 不意に、大きな音を立てて部屋のドアが開かれた。


 黒いドレスを身に纏った女が無遠慮に入ってきて、老エルフの顔を覗き込むなり言った。


「少し見ない間に、見る影もなく老いたわね。乾涸びたカマキリのよう」


 突然の乱入者の言い様に、フェルマリが立ち上がって睨んだ。


「なんの用だ、魔女。父は今、森に還ろうとしている。それを汚すことは許さない」


「いいんだよ、フェルマリ。彼女に悪気はない、そうだろ、グリシフィア」


 ノルディンは目を瞑ったまま微笑んでいた。旧知の友に会ったような、そんな雰囲気すらあった。


「どうかしら。しかしエルフと言ったって、人間よりほんの少し長生きなだけなのね」


「いや、もうこれで十分さ。後は、ゆっくり休むことにするよ。しかし、君はこの先もずっと、永遠を生きるんだったな。想像を絶するよ」


「エルフも皮肉めいたことを言うのね」


 グリシフィアがいつものように微笑んで言った。


「皮肉に聞こえたかな、それはすまなかった。でも私は1000年生きた。そして、たくさんの出会いに恵まれた。幸せな生を過ごさせてもらったよ。振り返ってみれば短くも、あっという間にも感じる。だが、それでも……」


 ノルディンの灰色の目が開き、黒い魔女を映した。そこにあるのは、憐れみだった。


「もう一度、1000年を繰り返せと言われれば、断るな」


「そうでしょうね」


「この幸せな1000年ですら、いつからか孤独と、疲れが私の胸を占めるようになったよ。これがさらにもう2000年、3000年、永遠に続くのだとしたら。なんて絶望的な話だろうね」


 グリシフィアは微笑んだまま、否定も肯定もしなかった。


「そこから君を救うことができるとすれば、それはランスだ」


「あなたも信じているの? ランスが私を殺すと」


 グリシフィアの視線が俺に向けられる。


「残念、不可能よ。この傲慢の魔女を殺す存在など、未来永劫、現れない」


「確かに、ランスに君を殺すことができるかはわからないな」


「あなたは適当な男ね」


 少し呆れたように魔女が言った。


「そうとも、私はもう死ぬんだよ。どうせ死ぬからと、好き勝手言ってるだけのジジイだからね。そして君から見れば、他の全ての生命も取るに足らない、どうせもうすぐ死ぬだけの生命だ。けれど、ランスは違うだろう」


 ノルディンの瞳が、痩せた赤髪の少年、つまり俺を映した。


「ランスに君を殺すことができるかはわからない。だが彼はきっと、君を変えるだろう」


「私を変える?」


 グリシフィアの目も俺に向けられた。


「殺すことより期待ができないわ。だって私は、不死不変にして永遠の存在、傲慢の魔女だもの」


「そうだね」


「それにどうして変わらなくてはならないの? 私は今のままで、完全無欠の存在だわ」


「そうだね、君はそう思っていただろう。だが、かつての話さ。君は彼女に出会った。そして気がついたんじゃないのか?」


 いたずら小僧のように、ノルディンがくっくと笑った。


「君は自分と全く同じ顔をしているはずの彼女に、自分にはないものを見てしまったんだ」


 魔女の笑みが引いていた。


次回は月曜更新になります。


お付き合いいただければ幸いです。

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