70. 獅子奮迅
雪残る荒野の向こうで、魔物と人間が交戦しているのが見てとれた。
魔物は人間ほどの大きさの獅子の姿をしており、そのタテガミや体からは炎が上がっている。その複数の炎の獣と海賊たちが戦っていた。だが海賊たちは獅子に蹴散らされ、中心にいる巨漢の海賊、ジョイルは善戦しているが、多勢に無勢でやられるのは時間の問題にみえる。
そしてその海賊たちに守られるように、キャスリンの姿が見えた。
どくんと、心臓が鳴った。彼女はまだ生きている!
俺は駆けた。冷たい風が頬を通り過ぎていく。
岩を蹴り、雪を舞い上げながら、一心に走った。
間に合ってくれ。
その一心だった。もし間に合うのならこの足が壊れようと、胸が張り裂けようとかまわない。だから、どうか、間に合ってくれ!
次々に海賊が倒れ、ジョイルも噛みつかれ、炎獣の火がついて燃えている。そして咆哮する炎の獅子の牙がキャスリンに迫った。あと少しだが、だがまだ、俺の剣は届かない!
「フェルマリ!」
俺が叫ぶと共に、矢が放たれて獅子の目に突き刺さった。俺は怯んだ魔物の元に駆け込み、剣を抜きざまに炎獅子の首を刎ねた。
「間に合った」
俺は思わず、呟いていた。懐かしい姉の顔を見ると、彼女は信じられなものを見るようにこちらを見つめていた。その目がみるみる、潤んでいった。かと思うと、次の瞬間、俺の胸に勢いよく飛び込んできた。
懐かしい姉の重みと体温は、寄り添って寝ていた少年の頃を思い出させた。確かにキャスリンだ。彼女が生きていることに、安堵に胸が満たされる。
しかし、再会を喜ぶにはまだ早い。
「キャス、遅くなった」
俺はキャスリンを立たせると、彼女を背に庇うようにして剣を構えた。
「だが、もう大丈夫だ」
俺の横に白いエルフ、フェルマリが並ぶ。その顔は出会った頃の冷静沈着な狩人の顔になっている。魔物から目を逸らさずに彼女が言った。
「ランス様、お気をつけて」
「ああ」
炎獅子はこちらを囲んでいる2体と、遠くから駆けてくる5体。
合流されれば面倒だ。俺は2体の方に一気に駆け寄る。獣は迎え撃つべく大きく顎門を開き、剣のように長い牙が陽光に光った。
一匹の間合いに入り、首を狙って剣を横に振るう。しかしそれは獣の牙によって受け止められた———かと思った瞬間、その長い牙を切り飛ばし、そのまま獣の上顎を飛ばしていた。その様子を呆然と見ているもう一匹の頭上に剣を振り下ろし、その頭蓋を割る。
ジルコから預けられたこの青白い直刀、とんでもない切れ味だ。ドワーフ鋼という素材のおかげなのか、ジルコの鍛治の腕によるものか。
荒野の岩肌を駆けてくる5匹の炎獅子たちの距離が、みるみる縮まってくる。フェルマリが弓をひきしぼり、狙いを定めた。矢が放たれ、放物線を描いて先頭の一匹の額に命中し、獣が倒れて転がった。
だが獣はすぐに起き上がり、後続の獣たちも怯む様子はなく、こちらに向かってくる。
「フェルマリはこのまま矢で援護を頼む」
「一人で迎え撃つつもりですか?」
「やるしかない」
ジョイルは焼けて倒れているし、生き残った一人の海賊も戦意を失っている。今、戦えるのは俺とフェルマリだけだ。
獣を迎え撃つべく集中する。すると俺の額から黒い荊が広がり、両手に侵食してくる。紋様が焼けるように熱い。だが、以前の感覚とは少し異なっていた。以前のそれは激しい憤怒であったが、今のそれは違っていた。心を奮い立たせ、力が湧いてくる。
俺は怒涛の勢いで向かってくる獣の方に飛び出すと、先頭の一匹にすれ違いざま、剣を振るった。青白い軌跡が獣の首を飛ばす。そこへ後続の4匹の獣たちが殺到してきた。
獣の牙が光ったかと思うと、次の瞬間、俺の頭を噛み砕こうと眼前に迫っていた。かわせばそこに別の獣の爪が襲ってくる。
4体の獣の本能から放たれる超高速の牙と爪の連撃。それをかわすのに思考が入る余地もなく、俺も本能のままそれを避けた。避け続け、俺の額が切れて血飛沫が舞い、切り裂かれたマントの切れ端が飛んでいくが、しかし体の芯に喰らう事はない。
確かに速いが、これくらいの修羅場は、戦いに明け暮れた200年で何度も経験している。身を屈めて牙をかわしざま、剣を振りあげて顎から額に駆けて縦に両断した。
これで残りは3匹。獣は仲間がやられようとも怯まず、狂ったように襲いかかってくる。
俺の方はすでに息が上がっていた。雪が残るような気温の中で、汗だくになっている。
全力でここまで走り、続け様に剣を振るっているのだ。いかに普通の人間よりも経験があろうとも、前世が剣王と呼ばれた剣奴だったとしても、この肉体はまだ成熟し切っていない15歳の少年の体だ。肉体の限界はどうしようもない。
疲労から1匹が背後に回り込むのを許してしまった。正面には別の2匹が俺の隙を窺っている。それから同時に、3体が飛びかかってきた。
かわしきれるか!
そのとき、矢が飛んできて背後の獣の首に命中し。獣が倒れた。それを確認して正面の2匹に備えるが、反応が一瞬、遅れた。かわしきれずに1匹に押し倒され、俺は仰向けに倒された。
雪を舞い上げながら俺の体が滑り、倒れながらなんとか、獣に剣を咥えさせることができた。だが、かまわず獣は噛みつこうとしてくる。なんとかそれを剣で押しとどめつつ、首を捻ってかわした。ガチっ!ガチっ!という牙を噛み合わせた音が眼前で響く。さらに炎獅子の体が炎で燃え立ち、あたりの雪を蒸発させ、ついに俺の体に燃え移った。
「うおおおおおおお!」
俺は肉が焼ける苦痛に叫び声を上げた。と同時に、俺の体の異変に気がついた。
腕の黒い荊がさらに上半身に広がり、さらにそれが肌の上だけでなく、肉体の周囲に具現化していった。俺の体に燃え移ったはずの炎が黒い荊に吸い込まれていき、さらには炎獅子の体から出る炎も吸い込んでいく。
獣は自らを包もうと拡がる黒い荊にパニックになり、俺の体から飛び跳ねた。そこへ鎖付きの分銅が飛んできて、獣を吹っ飛ばした。
「よお、ランス。苦戦してんな、手伝おうか」
体から煙を上げ、ズタボロになった巨漢がそこに立っていた。
「別に苦戦してねえよ、寝てなくていいのか」
俺は起き上がり、巨漢に声をかけた。
ジョイルが歯を剥いて笑うと、口の中から煙が吹き出てきた。
「寝てられるかってんだよ、未来の嫁の前だぜ」
「未来の嫁……?」
「おめえも新しいお兄ちゃんの活躍を目に焼けつけとくんだぜ」
「あ? なんの話だよ」
よくわからないが、ロクでもない予感がする。
それはともかく、まずはあいつらを片付けてからだ。
ジョイルに吹き飛ばされた獣が起き上がり、残り3匹になった獣がこちらに向かってくる。
後方からフェルマリが矢を放ち、正確に獣たちを貫いていった。
それからジョイルが鎖を振るい、獣を薙ぎ倒す。
そして掻い潜ってきた獣の首を、俺の剣が飛ばした。
炎は俺の荊が吸収し、その熱はこちらまで届かない。
気がつけば残り1匹になった獣が、尻尾を巻いて逃げていくところだった。
俺は荒い息を吐きながら、片膝をつく。ジョイルはその場に仰向けに倒れ込んだ。息も絶え絶えになりながら、笑ってみせてくる。
「お、おいランス、途中から来たくせに、へばってんじゃ……ねえよ」
「うるせえな、助けてもらったくせに」
馬鹿みたいな体力をしているお前と比べるな。この肉体は歴代の中でも特に体力がない。加えて、荊の紋様が出た後は余計に疲れるのだ。
俺は思い出したように腕を見ると、さっきまで生えていた黒い荊は消えていた。
この黒い荊は、獣たちの炎を吸収していた。魔女に刻まれたこの紋様には、俺の知らない力がまだ隠されているのかもしれない。
「ランス様! ご無事ですか?」
片膝をつく俺に、フェルマリが手を差し出していた。
「ランス!」
俺が手を取る前に、キャスリンが反対側の腕に抱きつき、俺はバランスを崩して尻餅をついた。
「信じてたわよ、来てくれるって」
俯いたまま、キャスリンが声を絞り出す。声が震えている。そのまま、嗚咽を漏らし始めた。
「ごめん、キャス。怖い思いをさせた」
「怖くなんかなかったわよ……でも、少しだけ、このままでもいい?」
腕にしがみついたまま、キャスリンが声を殺して泣いていた。少しずつ尻に染みていく雪と冷たい風の中で、キャスリンの体温と吐息だけが暖かい。
俺はその頭の上に手を置いて、自分の体に引き寄せた。
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