69. 赫(あか)
雪のこる荒野に仲間の海賊たちの焼けこげた死体が転がっている。
生き残ったジョイルたちもまた、炎のタテガミを持つ巨大な獅子に包囲され、絶望的な状況にある。そのはずだった。
だがジョイルは不敵な笑みを崩さず、獣から目を逸らさず、いつもの調子で言った。
「帰ったら結婚しよう、キャスリン」
「は?」
思わず聞き返したキャスリンの声と同時に、ジリジリと包囲を狭めていた炎獅子たちが一斉に飛びかかってきた。
ジョイルが鉄鎖を横に振るい、鎖の先の剣が光の線を描く。一体の首を飛ばし、2回転目で別の一体の脇腹にあたり、人間よりも大きいその巨体を弾きとばした。
「オラオラああ! 俺たち新婚さんの邪魔をすんじゃねえええ!」
「はあ!? ちょっと待って! まだなんの返事もしてないんだけど!」
キャスリンが渾身の声で叫ぶが、ジョイルには届かないようだ。
「よくわかんねえけど、いいぞ、船長!」
「やっちまええええ!」
コックと船医は巻き込まれないように身を低くしながら、完全に見物人を決め込んでいた。
しかし残された獣たちは後に飛んで間合いから離れると、警戒するように身を屈めて低く唸った。脇腹に分銅を受けた獣も立ち上がって戦列に加わり、こちらを囲む輪を作った。
ジョイルは鎖を頭上で回転させながら、獣たちを睨みつけた。
残り4体。だが、簡単にはいかねえか。
獣は逃げもせず、迂闊に飛び込んでもこない。ただ鎖の間合いの外を保ちながら、ジリジリと横に移動し、仲間たちと距離を開けて様々な方向から隙を窺っている。それは冷静な狩人を思わせた。
そのうちの一匹が前足に重心をかけて飛び込む。それに反応し、ジョイルが鎖を放った。だが獣は間合いのギリギリからは踏み込まず、その一撃を外した。
「フェイント!? 獣のくせによおおおお!」
外れた鎖が弧を描く隙に、一斉に獣たちが飛びかかってきた。ジョイルは鎖の回転を速めて刃で一匹の前足を吹っ飛ばし、そいつがつんのめって前に転がる。そこへ船医とコックが斧を振り下ろし、頭蓋骨を叩き割った。
残り3体。
そのうちの2体が飛びかかってきたところに、ジョイルが体当たりをしてまとめて正面で受け止める。獣の熱にジョイルの肌が焼けこげる臭いがするが、かまわない。そのまま獣2体の首を抱えて後に倒れ込み、そのうちの1体を足で蹴って後方にぶん投げた。
一緒に倒れたもう一匹はすぐに体勢を立て直し、倒れたジョイルに向けて口を開いた。その前にコックが躍り出て、布を厚く巻き付けた腕を獣の口の中に突っ込み、噛ませる。口の中から火が漏れ出て、コックの腕がたちまち燃え上がる。
「あぢぢぢ!」
「おい糞コック! 無理すんじゃねえ! さっさと逃げろ!」
「誰が離すかよおおおおお! 船長! 早く立ってこいつを!」
その時、炎獅子が噛みつかれたままのコックの体を空中に放り投げた。高く舞った一瞬のあと、ゴシャッという嫌な音と共に地面に叩きつけられる。コックは体から炎をあげながら、そのまま地面の上で動かなくなる。
「野郎!」
立ち上がるジョイルの背中から別の炎獅子が飛びかかり、覆い被さった。その牙がジョイルの頭に迫った時、その瞳に石つぶてが命中する。
「ジョイル!」
キャスリンがスリングを構えて叫んだ。ジョイルは獣を振り解いて腰の剣を引き抜くと、こんどは逆に獣に馬乗りになり、その首の後ろにめったやたらに刺し込んだ。炎獅子の炎がジョイルの体に燃え移るが、構わずジョイルは剣を振い続ける。
やがて獣が絶命し、地面に力なく倒れ込んだ。
「うわあちゃちゃちゃ!」
すぐさまジョイルが地面を転がり、体についた火を消す。そして起き上がったジョイルを見て、キャスリンが微笑む。
「ほんと、あんたって殺しても死なないのね」
「馬鹿野郎! 油断してんじゃねえ!」
ジョイルが叫んだ。キャスリンの後方から獣が迫り、首元に向けて鋭い牙の顎が迫っていた。
ジョイルが飛び込み、キャスリンの体を抱えて地面に転がる。間一髪、獣の牙を空を噛んだが、獣はそのまま追いかけてきた。キャスリンの体を無我夢中で逃し、その間にジョイルの肩に獣の牙が食い込んだ。
「ぐああああ!」
ジョイルが剣を探すが、今、キャスリンを抱えたときに落としてしまった。仕方なく素手で顔を掴み引き剥がそうとするが、噛む力が強すぎてびくともしない。
「どきなさい!」
キャスリンが石を飛ばして獣の額に当たるが、血を流しながらも獣はまるで怯んだ様子はない。ジョイルの噛まれた左肩から火が上がり、それはすぐに全身に赤々と広まった。
「嘘! しっかりしなさい!」
キャスリンが駆け寄り、獣を引き離そうとするが、ジョイルがキャスリンの体を蹴り飛ばした。華奢な体が地面を転がる。
「来るんじゃ……ねえよ。綺麗な肌が、焼けちまう……」
「そんな、ジョイル!」
全身を擦りむきながら、キャスリンが立ち上がる。
「うおおおおおおお!」
そのとき、遠くから獣の声が聞こえる。見れば、さらに5体の獣の群れがこちらに向かって駆けてくるところだった。
「ここまでか」
諦めた船医が、力なく両膝をついた。キャスリンも、呆然とする。
いやだ、こんなところで死ねない! 死なせたくない!
だが体が動かない。たとえ動いたとしても、どうしたらいいのかまるでわからない。ただ迫り来る獣の群れを睨むことしかできない。
ヒュッ。
風を切る音がした。
それはキャスリンを通り過ぎ、ジョイルに噛みついた獣の目に深々と突き刺さる。
それが矢だと気がつくと同時に、矢に負けないほどの速度で何者かが走り込み、青白い閃光が走った。瞬間、ジョイルに覆い被さっていた獣の体が、首を失って崩れ落ちた。
一緒に駆け込んできたエルフが純正白のマントで火をあげるジョイルの体を覆い、払うと、その炎が消えた。
赤髪の少年が剣を振るって血払いし、キャスリンの方を見た。
「間に合った」
心底ほっとした顔をする。懐かしいその顔に、キャスリンが目を疑う。
そう、死ぬはずがない。また会えるって、信じていたのだ。
次の瞬間には、その胸に飛び込んでいた。小柄で痩せた少年の体は、幼い頃からくっついて寝ていた頃の面影を残していた。
「ランス!」
「キャス、遅くなった!」
少年が姉の体を抱きしめ、立たせると、庇うようにして剣を構え、迫り来る獣を見据えた。その額には黒い荊の紋様が光っている。
「だがもう大丈夫だ」
少年の傍に、弓を構えた白いエルフが並ぶ。
「ランス様、お気をつけて」
「ああ」
直しに時間がかかり、遅くなりました。
次回は木曜更新になります。
よろしくお願いします。




