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62. 信じる、信じたい(前)

前後編の前編になります。

 時は少しさかのぼり———。

 

 ランスがノルディンとの再会したその前夜、つまり海賊たちが上陸し、赤熱蜥蜴サラマンダーの襲撃を受けて半ば壊滅的な打撃を被った夜。 


「っくはあ」


 ジョイルが仰向けに倒れ、息を吐いた。


 風に散らされながら細かい雪が落ちてきて、ジョイルの頬に当たった。ここノースティアの風は冷たく、だが全身に火傷をおったジョイルには心地よかった。夜空を覆う雲の切れ間から、満月が見える。

 

 遠く山の向こうでは巨大な炎が見える。まるでこことは別の世界にあるかのように静かに燃えていて、その灯りがジョイルのいる岩肌の地面をうっすらと照らしている。


 全身のあちこちがズキズキと痛む。グリシフィアの魔法によって身体についた火は消えたが、それで赤熱蜥蜴サラマンダーに噛まれた傷と火傷が治るわけではない。


 自分に近づいてくる複数の足音に気がついた。そのうちの一人が手にした松明でジョイルの顔を照らし、覗き込む。


「ひどい有様。生きてるの?」


 呆れたように言うのは、栗色の髪に黒いフードを被った気の強そうな少女、キャスリンだった


「俺様がこれしきで死ぬか。生きてるよ」


「これしきって」


 髪は焼けて縮れ、顔は煤まみれ、ボロボロの服から見える素肌から痛々しい火傷の跡が見える。


「あたし、前に動く死体を見たことがあるけど、今のあんたよりはマシな格好だったわよ」


「人をゾンビ呼ばわりかよ。よっこい…せっと」


 ジョイルが立ち上がる。しかし足に力が入らず、よろけ、それをキャスリンが支えた。松明が地面に落ちる。


「情けないわね。さっきまであんなに大見えきってたのに」


「ひでえ言いようだよ。俺が何匹の蜥蜴をぶっ倒したと思ってやがる」


「はいはい、頑張ったわね」


「俺たちが支えやすよ」


 戻ってきたのはキャスリンだけでなく、生き残った数人の海賊たちもだった。


「船長を支えるのは俺たちの役目でさあ」


「おいおい」


 ジョイルが苦い顔をした。


「おめえら。邪魔すんじゃねえよ。俺と姉ちゃんは今、いいところなんだからさ」


 キャスリンの肩に回された手が、腰のあたりに伸びてきた。その瞬間、キャスリンがジョイルの腕を振り払い、支えを失ったジョイルが地面に転がった。


「ほんと、あんたの頭の中ってそれだけなのね」


「おいおいひでえな。怪我人だぜ」


「知ってるわよ! 死ね、ばーか!」


 倒れたジョイルを海賊たちが慌てて支え、立ち上がらせる。ジョイルは苦笑しながら、


「しかしすげー女。ランスも苦労してたんだろうな」


 ランスの名前が出て、松明を拾っていたキャスリンの顔が曇る。


「海に落ちたのは本当なの?」


「本当よ」


 答えたのはジョイルではなかった。


 そこに立っているのは、黒い髪、黒いファーコートを着た姿は夜の化身のような女性、グリシフィアだった。


 キャスリンがグリシフィアに詰め寄る。


「お嬢様、あなたが見たの? ランスは本当に海に?」


「落ちたわ」


「そんな」


 冬の海に落ちて生存が絶望的なのはキャスリンにだってわかった。全身の力が抜けてよろよろと後に数歩下がった。夜の岩場でなければへたり込んでいたかもしれない。


「人の心配より自分の心配をしたらどうかしら? ここは呪われた島よ」


 グリシフィアが目線を周囲に向けた。キャスリンも辺りを見回す。


 左手には断崖絶壁の海岸線、右手の遠くには燃え盛る山々、その間には黒々と夜の闇を纏った岩肌が広がっている。先ほどの赤熱蜥蜴サラマンダーが息を潜めて岩の合間に隠れていたとしても、気がつけないだろう。


「頼りの船長はこんなザマだし、どうやってこの夜を生き延びるの?」

 

 グリシフィアの状況を告げる言葉に、海賊たちが下を向く。重苦しい沈黙を破ったのは、いつの間にかそこにいた男。


「そうだあ、もう終わりなんだああああ!」


 教会の神父だった。

 

「私はあああ、こんな島来たくなかったのにいい! あの海に落ちたガキとこの女の子守りとして無理やりこんなところに連れてこられて! ああ、よくも貴様らあああ!」


 神父は血走った目をして、満身創痍で海賊の肩を借りるジョイルを指差した。


「海賊風情が神の代弁者たる私を危険に晒しおってえええ! 貴様、恨んでやるからな! 死んだら絶対、化けて出てやるううう!」


「おうおう、恨んでくれて結構だよ。勝手に恨んで、勝手に死んでくれ。おまえの分まで、俺は楽しく生きてやるからよ」


 ジョイルがにっと笑った。「んいいいいいいい!」神父がそれに何か言い返そうとして、後の海賊から口を塞がれた。


「でけえ声出すなよ。魔物が寄ってくるだろうが」


 海賊の声に、神父がハッとしたように周りを見回した。だが今のところ、こちらに近寄ってくるものはいないようだ。


 キャスリンはその騒ぎには加わらず、グリシフィアを見据えて言った。


「私、見ていたわ。ジョイルはあなたが助けたのでしょう?」


「ええ」


「あなたが命じるとあの蜥蜴たちは吹き飛んで、ジョイルの炎は消えた。まるで魔法のように」


「そうね」


「あなたは魔女なの?」


 キャスリンの問いに、グリシフィアが出身でも聞かれたようにあっさりと答えた。


「ええ、私は魔女よ」


「魔女ですって!」


 反応した神父に、グリシフィアが笑みを向ける。


「そう、私はあなたたちエルノール神聖教会が仇敵と定める、魔女そのものよ。それで神を信じるあなたはどうするのかしら?」


「お助けください、魔女様ああああ!」


 次の瞬間、神父はグリシフィアの前に跪いていた。


「知ってます、ここは魔女様によって呪われた島ぁ! 勝手に上陸した私たちにお怒りなのでしょう! しかあああし、私はこんな島に来たくなかったんです! あの海賊どもに無理やり船に乗せられたんですうう!」


 その様子を呆気にとられた様子で一同が見ている。グリシフィアまでも意表をつかれて、言葉を失っていた。見かねたように、ジョイルが口を挟む。


「お、おいおい。おめえ、一応、神父じゃねえのか? 神父が魔女を頼っていいのかよ」


「黙れ、海賊! この後に及んで神も仏もあるものか! 私はただ一つ、私を助けるものだけを崇めるのだ! こんな馬鹿どもはさておき、この私だけはどうかお助けぶぎゃああ」


 次の瞬間、カエルの潰れたような声と共に神父の顔が硬い岩に突っ伏した。グリシフィアが心底嫌そうにそれを見下ろしている。


「これで静かになったかしら。おまえ、次に一言でも口を聞いた瞬間、あの蜥蜴みたいに……」


 そこでグリシフィアがハッと気づいたように、


「飛ばしてしまおうかしら。海に落とせば永遠に静かになるもの」


「やめてやれよ。こんな奴でも死んだら目覚めは悪いぜ」


 さすがにジョイルが止める。


「まあ、どうでもいいわ」


 グリシフィアが背中を向けると、不可視の力から解放された神父が慌てて口を抑えてうずくまった。

後編は1時間以内にあげます。

よろしくお願いします。

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