57. 何も知らない魔女(5)月と真銀
本日2話更新分の、2話目です。
真の仇敵は別にいる。
だが、誰の炎かなどという問題ではない。
容易く人間の生命を、生活を、願いを、
積み重なった歴史ごと一夜にして焼き尽くし、
何の良心の呵責もなく、見下し笑っている。
グリシフィアが国を焼いた張本人でなかろうと、何らかの気まぐれでフィリオリを救ったのだとしても、最終的には滅ぼすべき存在であることは違いない。
だが、最終的に、だ。
「本当にまだ…遅くないだろうか」
踏み躙ってきたたくさんの想い、いたずらに過ごしてしまった長い歳月。
もちろんそれは、戻ることはない。
けれど、この先、たった今からでも、大切な何かを守れるだろうか。
誰かが大切にしている何かを守るのでもいい。
脳裏に、信じてついてきてくれたキャスリンの姿が浮かぶ。
「もちろんさ、ランス。いつだって遅くはない。思う存分、やったらいいさ」
ノルディンが顔に刻まれた皺を深くして、微笑んだ。
俺は頷いた。やるべきことは決まっている。
キャスリンを助け、そしてその先————。
「決めたよ。俺はすべての魔女を滅ぼす」
ノルディンがハッとした顔で俺を見た。
「ランス……それは……」
「ノルディン」
俺は古くからの友の名前を呼んだ。
「最初に、冬の嵐で俺を助けてくれたこと、覚えているか?」
「もちろんだよ。あの時の君はまだ小さくて、私のマントにすっぽり入った」
自分を救ってくれたノルディンの温もりと、マント越しに聞こえた風の音。今でもはっきりと思い出せる。
「思えば、俺はあなたのようになりたかったんだ。あなたのように、誰かを守れる大人になりたかった。だから一人で、王都に旅立ったんだ」
「……そうだったんだね」
「それこそが俺の願いだった。それこそが俺の、魂の声だったんだよ。
この世界には手段のために、人間を虫けらのように、何の感慨もなく殺す者たちがいる。
俺は、そんな者たちから誰かを守りたい。
これは復讐じゃないんだ。これまでに失われた生命や…」
同僚だったハンス、タルモ。そして死んでいった騎士たちは一人一人、何かを夢見て生きてきた。そんなかけがえのない生を賭けて、俺やハウルドについてきてくれたのだ。それがより良い未来を作ると信じて。
だが、その全ては容易く、魔女によって奪われた。彼らの命、想い、葬られたノースフォレストの歴史。それは無意味だったのか?
「フィリオリを、頼んだぞ」
厳しい兄が託した最初で最後の願い。
彼らの意志を継ぎ、その死に意味を与えられるのは、俺しかいない。
100万回の生で彼らの意志を、歴史を、胸に抱いて未来に連れていく。
そして、二度と奴等によって悲劇が起こされることのないよう、
誰かの未来を守るため、
俺はこの世界から、すべての魔女を滅ぼすのだ。
何世代かかろうと、何度生まれ変わろうと、俺は皆の心を連れて、未来に向かう。
「ランス、私は君を、とんでもない苦難の道に押しやってしまったのかい? 君の向かう先は果てしなく、そして一方通行だ。きっと君はもう私の届かない場所に行ってしまう。帰っておいで、とは言えない」
皺の奥の落ちかけた瞼、その瞳に涙が溜まっている。
「でもあなたがいなければ、俺は未来永劫、復讐と憤怒に囚われて堂々巡りを繰り返していたかもしれない。でも、これからの俺は未来へ向かえるんだ。ノルディンのおかげだ、ありがとう」
俺はノルディンを抱きしめた。これが、ノルディンと交わした最後の抱擁になった。
「フェルマリ!」
俺はノルディンの家に戻るなり、彼女の名前を呼んだ。驚いた彼女が手に持った紅茶をこぼしかけて、慌てて抑える。
「ここまでありがとう。けど、俺はもう行かなくては。入江に取り残された、姉を助けたいんだ」
「ランス様! ご出立されるのですね」
言うと、フェルマリが壁に立てかけていた矢筒と弓を手に取る。
「それでフェルマリ、姉のいる入江まではどう戻ればいい?」
「南の岩山の向こうにわたるのは困難ですが、船を使えばすぐに行けます」
「船か……」
「村にある船を使いましょう。カイルに頼んで用意させます」
「君も……来てくれるのか?」
「もちろんです。船は一人では動かせません。まさか、この後に及んで私を置いていくおつもりですか?」
「いや、助かるよ。ありがとう」
礼を言うと、驚いた顔でフェルマリが俺を見た。
「ランス様のお顔、なんだか人が変わったよう」
「おかしいだろうか」
「いえ、とっても素敵です」
言った後、フェルマリが慌てて口を抑えた。その顔がみるみる赤くなっていく。
「ランス」
ノルディンが俺に一つの指輪を渡した。
「フィリオリが君に渡すつもりだったものだ」
「これは……」
月を模した指輪だ。グリシフィアと初めて出会った時に、渡された指輪だった。
「この指輪にはグリシフィアの魔力が宿っている。フィリオリはいつもこの指輪をつけて、大切にしていたんだよ。いつか君に返す時が来るって」
俺はその指輪を人差し指に嵌めた。女性用だが、少年の体である俺にサイズはピッタリだった。
「それから真銀の短剣、フェルマリに持たせていたが、本来これは君にあげたものだ」
短剣を受け取る。200年ぶりに手に戻った短剣と指輪は、時を感じさせず、毎日身につけていたかのように、すぐに馴染んだ。
「真銀か。俺は元々、ノースティアに真銀を求めてやってきたんだ。村のドワーフによれば、かつてノースプラトーの大坑道に大量の真銀鉱石が眠っていたそうだ」
「その話は本当だ。若い頃に大坑道は、私も見たことがある。しかしそこはもう炎の中だ。それに窪地のドワーフたちは消えてしまったというし」
「炎か」
200年消えない炎。
それを消すことができるとすれば、炎を生み出した魔女か、もしくは同等の存在だろう。
俺はノルディンに背中を向けて、言った。
「もう行くよ。ノルディン、どうか長生きしてくれ」
「君こそ……、君にはね、幸せになってほしいんだよ」
ノルディンのその言葉が、いつかのフィリオリの言葉に重なる。
「幸せになってね」
「その言葉だけで十分だよ、ノルディン。感謝してもしきれない」」
「君の旅の無事を祈っている」
俺は背中を向けたまま、親指を立てた。
そして振り返らず、ドアを開けて家の外へ出た。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
何も知らない魔女、最終節になります。
ここから憤怒の章もクライマックスに突入していき、
ランスとグリシフィアは再び相見えることになります。
次回の月曜はお正月に帰省するのでお休みします。
木曜日に更新いたします。
お付き合いいただければ幸いです。




