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55. 何も知らない魔女(3)

 腰を曲げ、両手を背中に当てたノルディンが森の奥に歩いていく。


 俺は枯れ葉の絨毯を踏みしめながら、少し後ろをついて行った。


 若い頃のノルディンはなかなか長身の男だったはずだが、年と共に随分縮んでしまった。しかし思いの外、足取りはしっかりとしており、森の奥にスイスイ進んでいく。


 ノースティアの木は針葉樹が多いが、この森は広葉樹がほとんどだった。よく見ると、枝には身をつけている。俺の視線に気づき、ノルディンが言った。


「ペプラの実だよ」


「あの紅茶の香りの素か」

 

 ペプラの実に小鳥たちが集まり、つついている。


「そうだね、そしてこの実は小鳥たちのデザートにもなっている。落ちた実は野生動物の喉を潤し、地面の栄養になって花を咲かせるんだ」


「この小さい花か」


 木の根元に、ノースフォレストでよく見た青く小さな花が控えめに咲いている。


「僕たちエルフが亡くなったとき、亡骸の上に樹の苗を植えるんだ。僕たちの魂が木に吸い上げられ、実となり、その実を小鳥や動物が食べ、それをまた誰かが食べる。そうして僕らの魂と共に循環し、いつか別のエルフのお腹に新しい命として宿るんだ」


 森の奥に、一際大きな大樹が見えた。高さは30メートル、太さは直径で1メートルくらいだろうか。空に向けて大きな枝を張り出し、その先にたくさんのペプラの実をつけている。


「大きい樹だな」


「樹齢200年だからね。これは君の樹だよ、ランス」


「俺の?」


「そうだよ。もちろん、君の亡骸が埋めてあるわけではないから、私の気休めだけどね」


「あなたが植えたんだね」


 エルフ式に俺を弔ってくれたのだ。見たところ、この樹がこの辺りで一番古いようだった。そして俺は、この辺りの木が針葉樹ではなく、広葉樹である理由に検討がついた。


「まさかこの森」


「そうだね。私が来た時、ここは森ではなかった。けれど、皆で苗木を持ち寄って、200年の間に森になったんだ。この樹を始まりとしてね」


 ノルディンが誇らしげに語った。何もなかったこの地に、ノルディンは他のエルフたちと共に、故郷のような森を創り上げた。


「君に見せられて良かった」


 満足げな笑顔だ。「いつでも帰っておいで」という200年前の言葉を思い出した。ノルディンはおそらく彷徨い続ける俺を思い、一本一本、木を植え、育てた。そして俺を待ち続けた。


 その間、俺は何をしていたのか。


「俺はこの200年、ひたすら魔女を追い、そして敗れるだけの日々だった。何もなすことができてない。それに比べてノルディンはすごいな。森を作ってしまうのだから」


 魔女の憎しみに囚われ、憤怒の炎に焼かれ、しかしそんな俺にも手を差し伸べてくれる人たちがいた。2度目の生で俺の母親だった女性は、船に乗る俺が見えなくなるまで俺の名を読んでいた。4度目の生で、スラムのゴミだめで生きたえようとする俺の胸元で泣き続ける女性がいた。


 そしてキャスリンの顔が浮かぶ。ウィルの動く死骸に止めをさし、育ての親のベアードを見殺しにした俺の姉になってくれた。今、思い返せば、彼女がいることで俺はどんなに救われていたかに思い至る。


 なぜ、みんなはこんな俺に手を差し伸べてくれるんだろう。

 俺はちっとも、みんなに優しくしてこなかったのに。


「エルフの信仰というだけではない。私も信じているんだ。生命は循環しているってね」


 ノルディンが地面に落ちている実の一つを拾った。ペプラの実は、樹の周囲に無数に落ちて転がっていた。

「ランス、それはつまり、君だけではないと言うことさ。君が100万回生まれ変わっている間にも、他の生命も生まれ変わり続けている。もちろん、前世の記憶はないが、でもそれは悪いことではない。人がすべてを忘れて生まれるのは、まっさらな気持ちで未来に進むためだと思う。生まれたときが、一番身軽な状態なんだ。前世の荷物はすべて置いてきたからね。そのとき僕らはどこにでも向かっていける」


 地面に落ちて割れたペプラの実のかけらを、蟻が何匹かで協力して運んでいく。俺はその行く末を眺めながら「そうかもな」と答えた。


「でも俺はどこへも向かえない。この200年、ずっと堂々巡りだったような気がする。皆と俺とは、違うんだ」


「君が生まれながらに背負っているもの、そしてこれからも背負おうとしているものは、一人の人間には重すぎるものだ。でも」


 ノルディンは一瞬、言い淀んだ。それから覚悟を決したように、俺の目をまっすぐに見て、言葉を続ける。


「荷物があろうとなかろうと、歩き方を決めるのは君だ」


 俺が歩き方を、決める。


 いや、決めてきたはずだ。

 故郷を、愛する者を奪った魔女を追い詰め、滅ぼす。

 ハウルドやフィリオリたちの無念を晴らすのだ。


 だが、フィリオリは魔女の炎では死んでいなかった。

 だけでなく、魔女のことを憎んではいなかったらしい。


 ハウルドにしても、自分の仇討ちを弟に託すだろうか。

 厳しかった兄だが、俺の行動を妨げるようなことは決してしなかった。

 歩みを止めそうな時でも、いつも俺の肩を押して、先に進ませてくれた。


 ではこの魔女を殺す復讐の旅路は、誰が望んだことなのか。

 この200年にわたる俺の歩みを決めたのは、誰なのか。


「人は魂の声に従うべきだ」


 ノルディンの声に、俺はびくりと顔を上げた。魂の声。それは200年前にも聞いたことだ。


「君は本当にしたいことのために、本当に大切なもののために生きるべきだ」


 魔女を追う。挑む。殺される。繰り返された無謀な戦い。


 これは俺が望んだことなのか。

 俺の魂がそうしろと、命じたことか?


「ランス、思い出してくれ。魔女に会う前の君だ。フィリオリと共に私の元を訪ねたとき、君は何を望んでいたんだ?」


 フィリオリの顔が浮かぶ。あの晴れた日、故郷に向けて一緒に馬で遠乗りをして、背中に預けられたフィリオリの体重を思い出す。宿の主人に一緒のベッドでいいか聞かれたときの、彼女の赤面した顔。見たことがない花畑に子供のようにはしゃぐ顔…


「私を攫って逃げて」


 俺に向けられたフィリオリの初めての願い。


 ああ、そうだったのか。俺は気がついてしまった。


 そこに彼女がいて、笑っていればそれで良かったのだ。


 あのときの俺は、


「…姉さんと一緒に逃げたかったんだ。遠く、海の果てで。彼女の笑顔を守るためなら、なんだってやれた。できた、はずなんだ。けれど俺は、勇気がなかった。彼女や自分の願いより、騎士の義務を選んでしまったんだ。王国を離れて、たった一人で彼女を守る勇気がなかった」


 涙が溢れてくる。こんな大切なこと、大切なことなのに、俺は忘れてしまっていた。フィリオリがくれた大切な感情、思い、俺に向けられた眼差し。


 すべてを、炎の記憶に塗りつぶし、忘れてしまっていた。


 そして、塗りつぶしたのは俺自身がやったことだ。


 復讐に身を任せ、何も考えず、魔女に殺され続ける。


 ただ挑み、戦い続けていれば、全てを忘れて、自分自身を許せるような気がしてしまったんだ。きっと俺は、本気で勝つ気ですらなかった。


「あなたの言う通りだ。俺は本当は、逃げたかったんだ。二人だけで、フィリオリと、どこか、誰も知らないところで暮らしたかった」


 ノルディンが俺を力一杯に抱きしめた。しわがれた腕で、魂ごといだくように強く力をこめた。


 俺は力なく膝をついて、ノルディンにもたれかかり、子供のように、声をあげて泣き続けた。


 200年、押し殺し、封じられていた感情が一気に溢れてきたかのようだった。


「俺はなんて馬鹿なんだ。とんだ馬鹿野郎。俺がもう少し、賢ければ、もっと早くここに、帰ってきたのに。フィリオリにだってもう一度、会えたかもしれない。でももう、取り返しがつかない」 


 ノルディンは俺の頭を抱き、黙って俺の言葉を聞き続けた。俺は懺悔を続けた。フィリオリのこと、そして繰り返される生にあって踏み躙ってきた想い。どれくらいそうしていただろう。やがて泣き止んだ俺に、ノルディンが語りかけてきた。


「取り返しがつかないことなんて、ないさ。現に君は、君の想いに気がつくことができたんだろう。人は自らの奥底にある、魂の向かう先に、向かうべきだと思う。遅いことなんてない。それはたった一度の生命だとしても、そうだ。人は死の直前まで、変わり続けることができる。長い生命の中、私は何度もそれを見てきたよ」


 俺は頷き、ノルディンから離れた。


 目の前の大樹を見上げる。空に向かっていくつも、まっすぐに枝が伸びている。


 そう、大切なのはこれからだ。

 あの枝のように、望む、望まないにかかわらず俺は未来へと運ばれていく。

 そこでどう歩くかを決めるのは、俺自身だ。


 不思議と頭が澄み切っている。


「まだ、グリシフィアを追うのかい?」


 ノルディンの問いに、俺は頷いた。


「まだ、復讐を続けるつもりかい?」


「奴が俺の兄を殺し、同胞を殺し、国を滅ぼしたことに関わっているのは間違いない。だが、あなたとフィリオリを助けたのも事実だ。なぜなのか、あいつが何を考えているのかわからない。だから少し、話してみようと思う。復讐はそれからでも遅くない」


「これは私の、ただの直観なのだがね。輪廻を生きる君の荷物を共有できるのは、永遠を生きるグリシフィアのような気がするんだよ」


「冗談はよしてくれ。他に真の黒幕がいたとしても、奴も敵であることに変わりはない」


 しかし、冗談を言っている顔ではない。ノルディンは真剣だった。


「君が堂々巡りしていたように、彼女もまた、永遠の回廊に囚われているように見えたからだよ。フィリオリが言ったことは話したね。あんなに酷いことをしたのに、グリシフィアを憎むことはできないって。なぜなら、グリシフィアは何も知らないから」


「永遠を生きる魔女が何を知らないと言うんだ」


「フィリオリがどうして、そう言ったのかはわからない。グリシフィアは神聖教会の教義にあるように、不変にして永遠である人間の七つの大罪、その一つの傲慢を背負う魔女だ。けれど、フィリオリは何かに気がついた。だからきっと、グリシフィアを協力させることに成功した」


「フィリオリが気付いたとしても、俺にはさっぱりだし、分かり合えるとも思えない」


「そうかもしれない。だがもし君がそのことに気がついて、不変の魔女を変えることができたなら…」


「できたなら、どうだと言うんだ」


「世界が変わるような気がするんだ」


今回は少し長めでした。最後まで読んでいただきありがとうございます。


次回の月曜日は休載いたします。

来週の木曜日にお会いしましょう。


ブクマ、評価などは大変励みになりますので、気に入っていただけた方はよろしくお願いいたします。

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