54. 何も知らない魔女(2)
「フィリオリは一人の赤子を抱えていた。君のお兄さん、ハウルド殿下の世継ぎだ。そしてその血はこの村に脈々と受け継がれている。カイルにはもう会ったかい?」
「ああ、村まで俺を馬に乗せてくれた」
「そうか、彼はいい青年だ。昔の君によく似ている」
「今の俺とは似ても似つかないけどな」
赤髪の、痩せてチビなガキが今の俺だ。
「話を戻すと、結局、グリシフィアはこの村に辿り着くまでの間、ついてきたんだ。彼女のおかげで、道中に危険はなかった。彼女の月の引力の魔法は万能だったよ。雨や雪を弾き、獣は我々に寄り付けなかった」
「そうか」
あの日全てを包み込んだ魔女の炎によって、ノルディンもフィリオリの命もなくなったものだと考えていた。だが、その二人をグリシフィアが助けていた。その点では奴は恩人、と言うことになるのか?いや、そんなはずはない。
「だが、魔女は敵だ。もしグリシフィアがノルディンや姉さんを助けたのだとしても、何が裏があるか、それかただの気まぐれだ。俺や兄を殺したのはあいつだ。あの場にいた戦友たちも炎に巻き込まれて大勢、死んだ。あいつの炎によって」
そうだ、フィリオリがあの場を生き延びたとしても、俺のこの身を焼く憤怒が収まることはない。
「俺たちのノースフォレストを滅ぼしたのは、奴の炎なんだ」
俺の言葉に、ノルディンが黙った。考えている様子で、やがて口を開いた。
「なぜこの炎がグリシフィアの炎なのだと、言えるんだい?」
「なぜだって?そんなもの、あのとき、あの場所にいた魔女はグリシフィアだった」
「魔女は一人ではないだろう」
ノルディンの灰色の目が俺を見た。
「グリシフィアは傲慢の魔女だ。神聖教会が掲げる教義によれば、人間の大罪は七つだ。つまり他に六人の魔女がいるはずだろ。現に、君は怠惰の魔女に会ったのではなかったかい?」
「確かに、俺に100万回の生を与えたのは怠惰の魔女パルシルシフだ。だが他の魔女など…」
俺は思考を巡らせる。200年以上、ろくに思い出さなかった記憶は脳の奥底にて閉じられている。暗闇の書庫を手探りで歩くように、俺は記憶をたどった。
そうだ、200年前のノースティアでは、確かに不可解なことがあったのだ。
なぜか忽然と、人々の記憶ごと、消えてしまったドワーフ。
フィリオリと故郷の村にたどり着いたときに、謎の黒く干からびた死体が流れ着いていた。それだけでなく、ノースプラトー王子との結婚式では、王子そのものが黒い死体となっていた。全てを吸い尽くされたほど、異様なほど黒く干からびたあんな死体は、200年彷徨ったが他では見たことがなかった。
他にも、ノースプラトーのとある村では村人ごと消えてしまったと言う話。
魔女の犬を名乗ったガイツと言う不死身の肉体を持つ男。
その人間離れした剣を受け止める真紅の女騎士、リーヴェルシア。
そもそも、出会った怠惰の魔女はどこかに向かう途中で、配下の喋るキツネが俺に道を尋ねてきたのが始まりだった。
どこか、そう、霊峰フロストピークの頂上、天の杯への道を探していた。従者の喋るキツネが慌てる様子を覚えている。
「このままでは間に合わない。あのお方に怒られてしまう。本当に恐ろしいのは…」
狐の言葉が突如、蘇ってきた。
「本当に恐ろしいのは、憤怒のあのお方だ」
「憤怒の魔女」
俺は言葉に出していた。狐の言葉によれば、少なくともあのとき、憤怒の魔女は天の杯にいたことになる。しかしあんなところになぜ、怠惰の魔女は呼ばれた?その名の通り、極めて怠惰なあの魔女が、自ら天の杯などに赴くことはないだろう。
そもそも呼ばれたのは怠惰の魔女だけなのか?
グリシフィアも、天の杯に呼ばれてあの地にいたのではないか?
傲慢、怠惰、憤怒。
天の杯に赴いたのは3人だけとは限らないではないか。
もしかして魔女たちの会合のようなものがあり、7人の大罪の魔女すべてがそこにいたことだって考えられる。
だとすると…
俺はとっくに、ノルディンが言わんとしていることを理解した。
「グリシフィアの魔法は月の引力の魔法だろ?」
ノルディンの問いに、俺は頷いた。
月は引力という、万物を引き寄せる力を持っているらしい。
俺は200年対峙することで、死と引き換えに、その魔法の力を思う存分に味わった。
グリシフィアの月の引力の魔法は大きく分けて、3つ。
1つ。月の引力をあたり一面の地面に付与し、強烈な引き寄せる力、重さを発生させる。
2つ。空に舞う月の引力を使用し、万物を空に引き寄せ、重さをなくす。
矢を吹き散らすのもこの魔法の力だ。ただこの力は、月のない昼間でも使用できている。
3つ。月の影を束ねて、漆黒の槍を作り出すことができる。奴は少なくとも20本程度は一度に生成し、自らの周囲に滞空させて打ち出していた。(新しき月の槍と奴は呼んでいた)
ノースティアを包む消えない炎の魔法は、少なくとも俺の見る範囲で使うことはなかった。
いや、引力の力で火山の爆発を引き起こすようなこともできるのかもしれないが、そうだとすると、200年、炎が消えないというのは理解できない。
「俺の国を滅ぼしたのはグリシフィアではない…のか」
だが、あのとき…
これは貴様の仕業か。俺の問いにグリシフィアは頷いていたはずだ。
だがその答えは虚構だったということか?
理由はわからないが、だがあの魔女の場合は、ただの気まぐれと言う線も考えられる。
そう、ずっと不可解ではあった。
だが復讐だけを考えていた俺は、そんなこと、気にも留めなかった。
ただグリシフィアさえ殺せれば、それでいいと思っていた。
しかしあの炎が他の魔女の仕業なのだとすれば、真の敵は別にいるということになる。
いや、だとしてもだ。
「仮にそうだとしても、俺がグリシフィアを滅ぼすことに変わりはない。他の魔女がいたとしても、グリシフィアは確実にこの一件に関わっている。人間の命など虫けらのように考えている、傲慢で危険な魔女だ」
「フィリオリも、悩んでいたよ」
ノルディンが懐かしい目をした。
「彼女は言っていたんだ。最愛の君のことを殺したあの魔女のことを、憎むべきなのかもしれない。でも、憎むことができないと言っていた。なぜなら彼女は気がついたんだ」
俺は沈黙して、ノルディンの、フィリオリの言葉を待った。
「あの人は何も知らないんだもの。何も知らない、まるで幼子のようだわ」
「グリシフィアが何も知らない、だと?どういう意味だ。奴は永遠を生きる魔女だ。人間よりもずっと賢い、はずだろ?」
「もちろん、そうだ。私のような老エルフと比べ物にならない叡智を持っている。けれども、フィリオリはグリシフィアを憐んでいたみたいだったよ」
ノルディンの灰色の目が俺の目をまっすぐに見た。
「確かに魔女グリシフィアは人の命をなんとも思っていない。それは確かだろう。だが、いたずらに人の命を奪うこともしなかった」
「俺が何度、あいつに殺されたと思っている」
「それは君が挑んだからではないのかい?彼女の方から君を襲ってきたのかい?」
月を見上げるグリシフィアを思い出す。確かに奴は戦闘を始める前に、いつも何かしらを話していた。それは絶対的な余裕から来る、傲慢さと考えていた。
「グリシフィアと話をしてみたらどうだ?少なくとも彼女は、多少は話せる魔女だ」
「奴が話せる?自分の欲望のままに生きている女だぞ」
「彼女は私とフィリオリの恩人であることは確かだ。それに、フィリオリの言うことを聞いていたよ?その理由は私にもわからないけれどね。いずれにせよ、君には100万回の生があり、彼女には永遠の生がある。時間ならあるはずだ。少し話をしてみてもいいじゃないか」
「今更か?」
「今更でもないさ。君が何度、生を繰り返したのかわからないが、まだまだ君の物語は序章もいいところだろう」
ノルディンは椅子から立ち上がった。フェルマリの方へ「少し留守を頼めるかい?」と尋ねた。
「どこへ行くの?」
「森だよ。ランスにこの森を案内したいんだ」
フェルマリは何かを言おうとして、口をつぐんで頷いた。
「久しぶりに少し歩こうか、ランス」
ノルディンは森でランスに何を語るのでしょうか?
ランスにまた新しい運命が開かれます。
次回、
何も知らない魔女(3)
木曜日の更新になります。
楽しんでいただければ幸いです。




