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53. 何も知らない魔女(1)

本日、2話投稿します。


これは一つ目のお話です。

 気がつけば俺は膝をつき、ノルディンの胸にすがっていた。どのくらいそうしていただろう。俺は涙を拭いて立ち上がり、「すまない」と言ってノルディンに背を向けた。


「ずっと心配していたんだ。でも、君が帰ってくると信じていたよ。ここは寒い。家の中に入ったらどうだい?」


「ノルディン、やはり俺はあなたの家には寄れない」


「どうしてだい?」


「俺はもう、あなたの知っているランスではない。はっきり言って俺は、もうノースティアに生きているものはいないと考えていた。帰ってきたのはただの成り行きだ」


「君が100万回の生を得たというのは本当だったんだね。そして魔女を追っているんだろう。復讐のために」


「そうだ」


「ランス、君に渡すものがある。フィリオリから託されたものだ」


 俺は姉の名前に振り返った。


「そして君に話したいんだ。君が亡くなったあと、何が起きたのか。それは魔女グリシフィアにも関係のある話だ。君の復讐の旅にも、関係するだろう」


 ノルディンは悲しそうな顔をしていた。繰り返される生の中で、俺は何人もの人間をこんな顔にさせてきた。それを全て振り切り、思いを踏み躙って、ここまで復讐に生きてきた。そんな俺にノルディンの家に入る資格があるのだろうか。


「ランス様」


 後ろからフェルマリの声がした。振り向くと同時に、フェルマリが俺を押し倒した。俺は倒れ、その上にフェルマリが重なる。


「お、おい。フェルマリ?」


 フェルマリは黙って俺の胸に顔を押し付けている。俺は押し除けようとするが、彼女の手が俺の手を掴んで離さない。フェルマリは顔を上げて、必死な顔を俺に向けた。


「絶対に離しません。ランス様の過去に、何があったのかフェルマリは知りません。ですが、お願いします。ノルディンがどんなにあなたのことを思って生きてきたか、ほんの少しだけでも、ノルディンのそばにいてあげられないものでしょうか!」


 俺の頬に数滴、滴が落ちてきた。フェルマリの目から溢れてきたものだった。彼女の華奢な体を振り払おうとすれば、できただろう。だが力が湧いて来ず、抑えられるがままになっている。俺はふうっと一息吐いてから、


「わかった、ノルディンの話を聞くよ」


「本当ですか!手を離した途端、いなくなるおつもりではないですか?」


「信用ないんだな。だが、今回は信じてくれ」


 フェルマリは俺の目を見ながら、ゆっくりと手を離し、体を起こした。俺も背中やズボンについた泥と落ち葉を払い、立ち上がる。フェルマリが俺の背中の落ち葉を払いながら、嬉しそうに言った。


「フェルマリのお願いを聞いていただき、ありがとうございます」


「お願いというより脅迫に近かったけどな。それはなんだ?」


 俺はフェルマリの腰に束ねられたロープを指差した。フェルマリはふっと笑うと、


「使わずに済みました」


 俺も釣られて苦笑する。どうやら縛られずに済んだようだ。船を入江にぶつけたときといい、この娘は不意に極端なことをする。


 俺がノルディンに目を向けると、老いたエルフは目を細めて微笑んでいる。


「どうしたノルディン、おかしいか?」


「すまない。君の慌てた様子がおかしくってね。うちのフェルマリがすまないね。この子は少し極端なところがあってね」


「少し…か?」


 俺が目を向けると、フェルマリは申し訳なさそうに目を伏せた。俺はその頭の上にポンと手を置いた。フェルマリが驚いて顔を上げるが、俺はもうその場を離れている。


「さあ、中へ入ろうか。そろそろ寒空に立ちっぱなしはキツくなってきたしね」




 ドアを開けて、家の中に入る。清潔な木張の床がミシミシとなった。隣の部屋との敷居がない開放的な作りとなっていて、部屋の真ん中に10人がけできそうな丸い木のテーブルが置いてあり、その周りには切り株を加工した椅子が並んでいる。暖炉には火が焚べられ、暖かかった。


「フェルマリ、手伝ってくれないか?」


 ノルディンとフェルマリが奥の部屋に消えていき、やがて甘い香りと共に、フェルマリがお盆に載せたティーカップを運んできた。懐かしい甘い香りに、果実の香りが混じっている。


「気付いたようだね。このペプラの果実を数滴搾るとね、爽やかな味になるんだ」


 3人は囲んで紅茶を啜った。甘い香りが鼻の中に広がり、暖かい液体が胃のなかに流れて、冷えた体を暖めていく。子どもの頃からよく慣れ親しんだ味は、昔のことを思い出させた。フィリオリが目を丸くして、おいしさに驚いていたことを思い出す。


 フェルマリがじっと俺を見ているのに気がついた。


「どうした?」


「ランス様、とても優しいお顔をされています」


「は?そんなことはない」


 なんとなく気恥ずかしく、俺は手で顔を拭い、表情を引き締めた。その様子をノルディンが微笑んで眺めている。俺はさっさと話を始めようと口を開いた。


「しかしノルディン、あのとき炎は窪地全体を飲み込んでいたはずだ。どうやって生き延びたんだ」

 

「前兆があったんだよ。いつもは起きない揺れが頻発していた。実は昔も霊峰が大噴火をして、その時は他のエルフの知恵で霊峰の外に逃げて助かったんだ。だから私たちも、仲間と、数人の村人を連れて、霊峰の脇道から窪地の外に避難したんだよ。けれど、間に合わなかった」


 ノルディンが遠い目をした。記憶を探りながら話している。無理もない、200年以上も前の話だ。


「間に合わなかった?」


「君の故郷の村人へ危険を伝えて、一緒に避難するつもりだったんだ。けれど、耳を貸してくれたのは数人だけで、他のものは村に残った。私も霊峰が噴火する確証があったわけじゃないから、強くは言えなかったしね」


「しかし、ここにいるということは助かったんだろう?」


「私たちが霊峰の道を通っているとき、大きな揺れが起きて、霊峰が噴火した。凄まじい轟音と、そして巨大な岩石が我々に降り注いだんだけれど、幸い、当たることはなかった。けれで窪地の外までもう少しのところで、炎の波が我々に迫ってきたんだ。その速度は早く、私たちは死を覚悟した。けれども、その波は私たちのところまで来なかった」


「来なかった?」


「見えない壁に阻まれるように、波は途中で止まり、上空に吹き上げたんだ。そのとき、双子のようにそっくりな二人の女性が空から降りてきた。」


 双子のようにそっくりな女性。


「それはまさか…」


「吹き上がった炎の壁を背に、二人とも銀色に輝く髪が緋色に照らされて、まるで炎の女神のようだった。一人はフィリオリ、そしてもう一人は」


「グリシフィア」


「そうだ。私とフィリオリを救ったのはグリシフィアだよ」


 俺は息を呑んだ。この事実を聞くのは二回目だが、いまだにどういうことなのか、感情がついていかない。ようやく一つの言葉を絞り出す。


「なぜだ」


「わからない。グリシフィアは私たちがこの村に辿り着くまで、ついてきたんだ。あまり私たちの方へ話かけては来なかったけれど、フィリオリとはよく話していた。二人はよく似ていたし、まるで姉妹のようだったよ」


「似ているのは顔だけだ。中身はまるで違う」


 性悪のあの魔女と、優しい姉を一緒にしてほしくなかった。


「そうだね、中身は正反対だった。けれど短い旅の間、二人はいつも一緒だったよ。姉妹のようにと言ったけど、フィリオリの方がお姉さんのようだった。グリシフィアは文句や皮肉を言いながらも、最終的にはフィリオリのいう通りに動いていたから」


 俺はますます混乱した。


 あの傲慢の魔女は人間そのものを見下し、人の命を奪うことにも躊躇いがない魔女だ。誰のいうことも聞かず、己の傲慢さだけにしたがって行動している。


 その魔女が、なぜフィリオリの言うことを聞く?


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