44. 冷えた背中
R6.1.7 挿絵追加
※微妙にセンシティブ表現あり(全年齢)
「とりあえず、島に戻りたい。他の奴らと合流したいからな」
あの半魚人を撃退し、無事にノースティアに上陸できたのだろうか。確かにジョイルは思ったよりもずっと手だれだったし、グリシフィアもいる。だが、キャスリンの顔が浮かんだ。俺が不在だとして、奴らがキャスリンを守ってくれるとは限らない。俺がいなくなれば、奴らに彼女を守る理由はない。
「この洞窟は地上まで繋がっています。しかし海賊たちの元へ戻るのは反対です。海賊船で私を捕らえたのはあのジョイルという男です。それに、あの魔女。彼女は本物の魔女でしょう。邪悪なものを村に連れていくわけにはいきません」
「しかし…」
「ランス様、お願いです。私の父はすでに老いて、体も自由が効かない状態です。その父を海賊や魔女の脅威に晒すことはできません。海賊たちを村まで連れていくのであれば、いかにランス様といえども私は戦わなくてはなりません」
フェルマリが懇願するように言った。そして彼女の言う次の言葉が、俺の心を揺さぶった。
「父は、ノルディンはいつかあなたが帰ってくると信じて、待っているのです。しかし、ノルディンは高齢であり、いつその生命が森に還る日が来るのかわかりません。そんな父の様子を見て私はいてもたってもいられず、あなたを探すためにノースティアを出てたのです。私の未熟ゆえ、海賊に捕まってしまいましたが…」
俺は立ち尽くしたまま、フェルマリを見下ろした。俺はこの200年、故郷に帰るなんて考えはかけらも抱かなかった。すでに炎に包まれ、何も残っていないと、勝手に決めつけていた。そして年月をひたすら、魔女への復讐のために費やした。そんな俺を待ち続けていると?
いつでも帰っておいで。私はここで待っているよ。
最後に聞いたノルディンの言葉。
「ノルディンはあなたに伝えたいことがあるのです。それにいずれにせよ、この洞窟を抜けた先の近くに村はあります。父に会ったあとで海賊の元へ戻ろうと言うのなら、もう止めません」
「わかった、まずはノルディンの元へ向かおう。案内を頼む」
するとフェルマリの声が弾み、「はい!」と元気よく返事をした。
「だが出立の前にまず、服を乾かさないと」
今は服ごとお湯に浸かっているが、ここを出て外気に触れれば濡れた服は凍ってしまうだろう。フェルマリは何かを言おうとして、迷っているようだった。
「どうした?」
「あの、服を乾かすと言うことは、その、ここで脱ぐということなのでしょうか。あなたの命令であれば、従いますが…」
「脱いだとして、こんな蒸した洞窟では乾かないだろう。だが困ったな」
「この先に、炎の回廊があります。そこであれば、服も乾くのではないでしょうか」
フェルマリの提案に従い、俺たちは濡れたまま、洞窟を進んだ。湯から上がると、濡れた服を着た俺たちの体温はみるみる奪われていく。フェルマリが俺の体に身を寄せてきた。
「近くにいた方が、お互いの体温で暖かいです」
「それもそうか」
俺は濡れたマントを広げると、その中にフェルマリの体を抱き寄せた。短剣の灯りを頼りに洞窟の奥に向かって、二人で震えながら歩いた。少しすると、洞窟の先に緋色の光が見えてくる。硫黄の臭いが鼻をついた。
「有毒ガスじゃないだろうな」
「大丈夫です、この洞窟は何度も来たことがあるのです」
灯りの場所まで行くと、熱気が顔を炙った。そこはドーム状の広い空間になっていて、炎が立ち上がり高い天井の穴を貫きはるか上空まで昇っている。周囲の岩肌は緋色に照らされ、ゆらめく炎に従って影をちらつかせたが、しかしこれだけの炎がありながらあたりに煙は存在しなかった。
「ここであれば暖かいです。服を乾かすこともできると思います」
フェルマリが俺のマントの外に出る。灯りに照らされて、フェルマリの顔が赤くなっていた。こちらを振り向くと消え入りそうな声で、
「すいません、人前で服を脱ぐのには慣れていないのです。できれば、見ないでいただけるとありがたいのですが」
「あ、ああ。そうだな」
火に照らされたフェルマリのマントや服はびしょ濡れで、滴る水が足元を濡らしていた。俺は慌てて後ろを向く。フェルマリは俺から離れて、濡れた革鎧や短剣、服が床に落ちる音がした。
「もう大丈夫です」
フェルマリの服は伸ばされ、岩の上に広げられていた。確かに岩は地熱で暖かく、乾かすのにはちょうどいいだろう。その服の横に、純正白のマントで体を包んだフェルマリが立っている。
マントの上からでもはっきりとフェルマリの体のラインがわかった。鎧を着ていたせいでわからなかったが、華奢な体に対して胸の膨らみが大きい。
俺の視線に気づいて、フェルマリが言った。
「このマントはこの世で最も白く、他の色に染まらない素材なのです。このマントだけはもう乾いています」
「そ、そうか、それは良かったな。暖かそうで」
真っ直ぐにこちらを見るフェルマリにたいして、俺は気まずくなって視線をそらした。コートとシャツを抜いて岩場に広げた。流石にズボンを脱ぐことは憚られた。
「あの、寒ければこのマントをお貸ししましょうか」
「何言ってんだ、それじゃ、君の分がなくなるだろ」
「では、一緒に…」
そう言いかけてフェルマリが顔を伏せた。俺は意味がわかって背中を向ける。
「必要ない!ここは十分、暖かい」
ほっと、フェルマリの息を吐く音が聞こえた。半裸で一緒のマントに包まるなど、キャスリンに知られたら何を言われるかわからない。きっと軽蔑の眼差しで俺を見るだろう。俺はジョイルと違って、そういうものに喜ぶ感性はない。
「少し眠れよ。周囲は俺が見張る。2時間ほど経ったら交代だ」
俺の声に頷いて、フェルマリは適当な岩を見つけて寄りかかり、すぐに寝入ってしまった。疲れていたのだろう。俺の正体がわかってからの彼女は、出会った時の張り詰めた様子と比べて随分幼く見えた。まあ知らない場所で一人、海賊たちに囲まれていたのだから無理もないか。彼女は彼女でずいぶん無理をしていたのかもしれない。
2時間経っても、結局彼女の寝顔を見ていたら起こせないでいた。フェルマリが寝返りを打つと、マントの裾がはだけて白い背中から太ももまでが見えた。
「おい、冷えるぞ」俺はマントの裾をひっぱって直してやるが、起きる気配は全くなかった。明日は村まで案内してもらう必要がある。ゆっくり眠らせてやるか。
俺は一人で、立ち上る巨大な炎を眺めていた。煙のない炎は不自然だが、考えてみればノースティアを焼いた炎も規模の割には煙が少なかった。おそらく魔女やイフリートが関与し、作り出したものだからかもしれない。火はいつも、ノースティアでの最後の記憶と、復讐を誓った最初の記憶を思い出させる。いつもはそのまま、俺の心は復讐でいっぱいになるはずだった。
ただその日は、キャスリンのことが頭をよぎった。彼女は無事でいるのだろうか。だが、俺は彼女のことを放っておいて、ノルディンの元へ向かう。それは正しい選択のはずだ。なぜなら俺の繰り返される生は、魔女を殺すためだけのものなのだ。ただ一回きりの生で出会った人間の命運などに、気を取られている暇はないはずだ。
「君も覚悟の上で、ついてきたんだろ?」
俺は一人でつぶやいた。気がつけば4時間ほど経ち、フェルマリが目を覚ました。自分が寝過ぎていたことに気がつき、俺の方をむく。
「すいません、寝過ぎてしまいました」
慌てて起きたフェルマリは、はだけそうになるマントを抑えて、胸を隠した。顔を赤くし、おずおずと尋ねてくる。
「もしかして、はしたないものを、み、み、見せてしまいましたか?」
「別に何もなかったさ」
尻が見えていたことをわざわざ言う必要はないだろう。フェルマリはホッとした様子で、改めて謝った。
「すいません、ランス様。寝過ごしてしまうなんて」
「構わないさ。どうせ気が昂って眠れる気がしなかった」
フェルマリがじっと見て、ふと微笑んだ。
「あなたは父の言っていた通り、優しいお方なのですね」
俺は答えずに、フェルマリの方を見た。そんなはずはない。本当に優しい人間は、200年も故郷を放って魔女の復讐にかまけたりなどしない。俺は背を向けて横になると、そのまま眠りに落ち、2時間後、フェルマリの声で目を覚ました。
優しい森の香りがする。見ると、純正白のマントが俺の体にかけられていた。フェルマリはすでに乾いた服とレザーアーマーを着ていて、すぐにでも出立できそうな格好だった。
「眠れないなどと…ぐっすりでしたよ」
「そうか?」
俺は大きな欠伸をした。このマントの甘い香りは懐かしい感じがした。だがなんの香りかは思い出せない。俺はマントをフェルマリに返すと、広げてあったシャツを着込んだ。まだ湿っぽいが、着れないことはないだろう。
「では行くか。道案内を頼む」
「はい!」
回廊の横穴に入ると、冷気が吹きつけてくる。道は再び暗く、はるか先まで伸びている。まだまだ長い道のりになりそうだった。




