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40. ノースティアのエルフ

R6.1.7 挿絵を追加

「へえ、そんなことがあったんだ。確かに風がやんでるわ」


 次の日の朝、甲板の上でキャスリンが言った。明るいベージュのロング・コートを来て首にはファーを巻き、耳にはうさぎの毛で編んだグレーの耳当てをしている。


 昨夜は慌てる海賊たちで騒がしかったはずだが、キャスリンはまったく起きずに朝まで快眠していた。快晴の空の下、土気色の俺と対照的に肌艶が良い。


「しかし良かったわね。この船は漂流して、北の島に向かってるんでしょ?」


 グリシフィアの月の魔法とは言っていない。その場で見ていた海賊たちも深くは考えていないようで、ジョイルは自慢げに「見たかよ。うちのお嬢にはちょっと、不思議な力があるみたいなんだ」と語っていた。


 あの現象をちょっと不思議な力と片付けるか。ジョイル以外も特にグリシフィアの魔法について疑問を持っていないようで、俺は改めてこの海賊どもの気楽さに呆れた。


「何はともあれ順調のようですね。平和が一番です」


 神父が言った。こいつも昨夜は全く起きる様子がなく、酒瓶を抱いて眠りこけていた。仮にも神聖教会の神父なら、その教義が最も邪悪と定める魔女の気配に気がつくものではないのか。


「ランス、まだへばっているの?」


 グリシフィアが俺を見つけて声をかけてきた。俺は舷側に寄りかかって座ったまま、項垂れたまま聞こえないふりをした。昨夜は甲板で嘔吐し、今も醜態を晒している。こいつにだけはこんな姿を見せたくないが、満足に動けないのだから、どうしようもない。


「こらランス、ムーングラスプのお嬢さまがせっかく声をかけてくれてるのよ。返事くらいしたら?」


「そうです、そうです。情けない」


 キャスリンはともかく、神父まで俺に言ってきた。苛ついた目で神父を見上げるが、神父の方はグリシフィアの前ですっかり鼻の下を伸ばしていた。そいつは魔女だぞ、堕神父め。そう、怒鳴りつけてやりたかった。


「無礼をすいません、お嬢さま。弟はすっかり参ってしまってるようで」


「気にすることはないわ。あなたのような気がつくお姉さんを持って、良かったわね。ねえ、ランス?」


「そんなそんな、気がつくだなんて。お嬢様こそ、こんな弟を心配して見にきてくれるだなんて、お優しい方なんですね」


 心配だって?そんなはずがあるか。見れはグリシフィアは手の甲で口を隠し、笑いを堪えているようだった。俺の醜態を見にわざわざやって来たのだろう。


「これは予想外の効果だったわ。ランス、船酔いで人は死ぬと思う?もう一段階、波を強くしてみようかしら」


「…くたばりやがれ」


 俺は人間の耳に聞こえない、グリシフィアにだけ聞こえるように小さく言った。「うふふ、冗談よ。ここで死なれてはつまらないものね」魔女は心底、楽しそうだ。


「でもお嬢様の目、近くで見ると綺麗な銀色なんですね。ずっと、髪と同じ黒い目だと思っていました」


「私の目は銀のときもあれば、黒のときもあるわ。どうしてかしらね、体調によるのかしら」


 意味ありげにこちらを見てくる。


 グリシフィアが魔力を使うとき、目は黒から銀色に変わり、さらに魔力が高まると髪の色も銀色に変わる。すると本当にフィリオリと瓜二つとなる。(あくまで見かけ上は、だが)


 つまり魔女は、昨夜から途切れなく魔力を使用し続けているのかもしれない。その割には、まるで疲れた様子もない。この魔女の魔力は尽きることがないというのか。


 そこで俺は、グリシフィアから数歩離れて、昨夜のエルフ、フェルマリが音もなく控えているのに気がついた。白に近い黄金の髪と、いつもと変わらず純正白のマントに、レザーアーマーを着込んでいる。彼女の顔は無表情で、だが視線はグリシフィアを見張るように、一挙一投足に注がれている。


挿絵(By みてみん)


「エルフさん!ごめんなさい、気がつかなかったわ」


 キャスリンが声をかける。フェルマリはすっと手をあげ、「構わない」と言った。しかしキャスリンは物おじせず近づくと、


「私、あなたに会うまでエルフのこと知らなかったの。そのマント、とっても素敵ね!こんなに真っ白なマント、初めてみたわ!」


「これか?これは代々、エルフのうちに伝わるものだ」


「雪白蝶か」


 懐かしい。故郷の村にも飛んでいて、野山にいる幼虫からほんのわずかな糸を取り出しては持ってくる職人がいたものだ。俺の言葉に、エルフが疑うような視線を向けてくる。


「雪白蝶はノースティア以外では知られていないはずだ。なぜ、名前を知っている」


「そうなのか?当てずっぽうも当たるもんだな」


 俺は上手くない惚け方をした。エルフは黙ったまま、俺を睨んでいる。その腰に、光るものが見えた。


 真銀ルシエリの短剣。葉っぱを模した鞘に小さな宝石が埋め込まれている。その形に見覚えがあり、今度は俺が驚く番だった。


 その細工は最初の生の少年の頃、親友のエルフからもらった短剣にそっくりだった。いや、そのもの…なのか? 短剣はグリシフィアの戦いで投げつけたあと、その行方を失っている。


 視線に気がつき、フェルマリが短剣をマントで隠した。


「これは父から譲り受けた命より大事な品だ。あまり無遠慮に見ないでもらおうか、海賊」


 海賊。その言葉を指すのが自分と気がつくのに一瞬、かかった。今の俺は海賊と同じ、支給された黒いマントを羽織っている。確かにエルフから見れば、俺は海賊の一味だと思われても仕方がないか。


「それはすまなかった。ところで、父の名前はなんていう?」


「お前に教える義理はない」


 フェルマリが敵意のこもった目で俺を見る。


 ノルディン。俺はかつての親友であり、育ての親のようなエルフを思い出していた。父のいない俺の成長を見守り、そして旅立ちを見送ってくれたのがノルディンだった。その日、魔除けとして俺に真銀ルシエリの短剣を持たせてくれたのだった。


 あれから200年経つ。人間よりずっと長いエルフの寿命だが、その彼にとっても200年はとても長い歳月だろう。そもそも、あの故国を包んだ炎は彼の家の近くにある霊峰から噴き出したものだ。炎に焼かれて、命を落とした可能性が高い。


 最後に彼と会ったときのことを思い出す。


「ランス。お姉さんと一緒に、いつでも帰っておいで。私はいつでもここで、待っているからね」


 森の奥の、一際大きな樹の根元にノルディンの家があった。そこで手を振って見送るノルディンと、暖かい紅茶の香りを思い出す。だがもうあの森は炎に包まれ、一緒だった姉ももういない。俺の胸のうちで暗い炎が燻った。


 そのときの俺がどんな顔をしていたかわからないが、フェルマリは警戒を強めたようだった。視線をほそめ、張り詰めた調子で俺の様子を伺っている。その間に、キャスリンが割って入った。


「ごめんなさい、礼儀を知らない弟だけど、根はいい子なの。ランス、あなたも初対面の女の人をじろじろ見るものじゃないわ」


「ランス?」


 フェルマリが反応を見せる。


「そうだ、俺の名前はランス。それがどうかしたか?」


 そのとき、フェルマリが大きく目を見開いた。そのまま、よろよろと後ずさり、背を向けてそのまま、離れて行ってしまった。わけもわからず俺が見送っていると、「ふふ」と後ろで声がした。


「あなたが怖い顔をしているから行ってしまったわ」


「いや、明らかに名前に反応していたぞ。あのエルフはなんだ?」


「知らないわ。私がなんでも知っていると思っているの?」


 グリシフィアは俺の反応を見て楽しんでいるようだった。


 ランスという名前へのあの反応。


 ノースティアから来たエルフで、俺の名前を知っているのだとすれば…


 俺は頭を振り、その考えを打ち消した。

 馬鹿な、もう200年だ。そんなはずはない。

 それはきっと、俺の願望が生み出した都合のいい可能性に過ぎない。


 しかし、さっきから俺の心臓の音が大きく、早鐘のように高鳴っていた。

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