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39. 凪

「イフリートを従わせる、もっと恐ろしい存在がいるのかも」


 200年燃え続ける炎を絶やさずに番をしているイフリート。それよりも恐ろしい存在…か。


 俺は、魔女に尋ねた。


「今回の航海の、おまえの目的はなんだ。イフリートの角か。それとも真銀ルシエリか」


 真銀ルシエリは魔女の魔法の効果が及びずらく、今のところ唯一、魔女に対抗できる可能性があるものだ。しかしグリシフィアは一笑に付すと、


「イフリートの角はあなたへの当てつけよ。あんなもの、ちっともほしくないわ。真銀ルシエリは、確かに面白い物質だわ。私の魔法が効きづらいもの。けれど、あなたはあまり期待しない方がいい。私を殺せるものではないから」


「でも、お前も狙っているんだろ?」


 殺せるかどうかは心臓に突き立ててみなければわからないではないか。


「武器商人としての体裁を保つため、真銀ルシエリを掲げているだけ。私の目的は別にあるわ」


「ノースティアには他にも何かあるのか?」


「昼間のエルフは見たかしら?あの美しい純白のマント。あれがこの世界で最も白いと言われている純正白で、年月によっても失われることがない。ノースティアにだけ生息する、雪白蝶の幼虫の糸で編まれたものよ」


 雪白蝶は、ノースティア生まれの俺はもちろん知っている。当時はその辺を飛び回っていた。純正白のドレスも見たことがある。


 あの結婚式場で見た、フィリオリのドレスがそうだったからだ。


「それがどうした?」


「ほしくなったのよ。綺麗だもの」


 俺はその言葉の真意を読むとるべく、グリシフィアの方を見上げた。「どうしたの?私、おかしなことを言ったかしら?」意外そうに魔女が言った。


「お前に白は似合わなそうだがな」


 率直に言った。するとグリシフィアは眉を寄せてムッとした顔をする。


「なぜ?フィリオリは似合っていたわ。同じ顔をしているのだもの、私も似合うはずよ」


「うまく言えないが、おまえと姉さんは何もかもが根本的に違うんだよ。たとえ同じ顔だとしてもだな」


「あなたも、フィリオリの方が美しいと思うの?」


 姉上の名前を出して、また俺を揶揄うつもりかと睨みつけたが、意外なことに彼女の表情は真剣だった。切なるほどに真剣で、不意を打たれた俺は言うべき言葉をなくした。やがてふと気がつき、


「あなたも…と言ったか?他にも姉さんを知っているものがいるのか?そもそも、お前はいつの間に姉に出会ったんだ」


 確かにフィリオリ自身も、グリシフィアと知り合いだったことを話している。その後、故国は滅亡し、詳しいことは聞けずじまいだった。姉とこの魔女はどういう関係だったのか。


 そのとき、影のように甲板に出てきたものがあった。跳躍して高台の壁に取り付くと、一気に上まで駆け登り、グリシフィアの横に並ぶ。


 ノースティアからやってきたという、エルフだった。魔女が羨む純性白のマントを着込み、腰には真銀ルシエリの短剣を下げている。


「グリシフィア」


「フェルマリ、わざわざ知らせに来てくれたの?うちの海賊どもよりよっぽど優秀ね」


 フェルマリと呼ばれたエルフはその労いには答えず、遠くの海域を見ている。グリシフィアが空を見上げた。気がつけば勢いよく靡いていた髪がそよぐ程度に変わっている。吹き付ける風が弱まっていることに俺が気づいた。


「通りで、透き通るような満月だと思ったわ」


 見渡す限りの夜の海は静寂に包まれ、波の音すらしなくなっていた。ノースティアへの海域は気象が変わりやすいと聞いていた。風が凪ぐこともある、ということか。それは帆船であるこの船にとって、航行不能であることを意味する。


 ドタドタと、騒々しく駆けてくる音がする。ジョイルが数人の海賊を連れ、グリシフィアの元へ参上した。


「グリシフィア、大変だぜ。風がなくなってやがる」


「遅いわ。フェルマリを見習いなさい。で、どうするの、海賊」


「一応、オールがあることにはあるが、数は多くねえし近海用だ。とてもノースティアまではいけねえぞ」


「風が復活する気配はないな。この凪は一時的なものではない」


 手の平を虚空に差し出しながら、フェルマリが言った。


 ジョイルが海図を床に拡げるとその場にあぐらをかき、部下の海賊がランプで照らした。


「今はこの辺だ。ここまでは順調だったから1/3程度は進んでる。しかし、このへんの凪は1週間以上、続くことがあるからな。食料は多めに持ってきてるが、あまりチンタラしてると果物が腐り始める」


「それで、どうするつもり?」


 グリシフィアの言葉にジョイルが面目なさそうに頭を掻いた。


「俺たち無敵の海賊も、天候には勝てねえ。風を待つしかねえよ」


 俺はふらつきながらも、なんとかグリシフィアのいる高台まで登り「打つてなしか」とつぶやいた。するとグリシフィアが振り返り、いたずらな笑みを浮かべた。


「やれやれ、男たちは当てにならないわね。フェルマリ、ここからノースティアへの方角はわかる?」


 フェルマリが星と月の位置を見ながら、一際輝く北極星よりやや西側を指差した。その顔に怪訝な表情を浮かべている。


「どうするつもりだ。できることがあるとは思えない」


「まあ、見ていることね」


 グリシフィアは人を遠ざけると、空に向けてゆっくり、優雅に両手を拡げた。細い指には月や星を模した7つの指輪が付けられており、淡く白い光を発している。風がないはずなのに髪がふわふわと波うち、月の光を受けて銀色に輝いていく。


「天空より命じる。波よ」


 静謐の夜にグリシフィアの声が響き渡る。月が光を増し、この船と周囲の海を照らした。ざわざわと、海面が揺れ始める。


「起きなさい」


 すると船体に当たる波の音がどんどん大きくなっていき、やがて大きく揺れながら、船が前方に進み始めた。


 グリシフィアが手を下ろして、こちらを向いた。その目が銀色の光を発している。


「これでいいわ。波に運ばれ、船はノースティアへ向かう。あの見てくれだけの、役立たずの帆はしまいなさい」


 俺が息を呑んだ。グリシフィアの魔法が月の引力を操ることは知っている。しかし、それはこの広大な海の波までも支配するのか。俺ばかりでなく、誰も言葉を発せずにいた。


「貴様は…魔女、なのか」


 真っ青な顔をしたフェルマリが呟き、グリシフィアを睨みつけた。その目にはあからさまな敵意が宿っている。


 だが俺に、それを詳しく観察する余裕はなかった。大きく上下に揺れる船体に強烈な吐き気が込み上げ、よろよろと海に向かうが間に合わず、その場で吐いた。


「おぉ!?嘘だろ、俺様の船の特等席で!やめろ!やめてぇ!」ジョイルの悲鳴にも似た声がするが、それどころではない。


 なんて恐ろしい魔法なんだ。船上では絶対に魔女に勝てないことを悟りつつ、俺は力尽きて崩れ落ちた。


 これで最後だ。

 

 もう二度と、この女とは船に乗らない。


<月木更新中>

次回は木曜更新になります。


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