37. 生きて戻ること
「まあ、よかったじゃない。どうなることかと思ったけど、船に乗れるんでしょ」
キャスリンがホッとしたように話しかけてくる。
「でもラ…ヴィンス。もうあんな挑発するような真似はやめてよ。こっちまで心臓が止まりそうだったわ」
「もうランスでいいよ。隠す必要もなくなった」
グリシフィアにはもうバレている様子だった。しかし最後まで噛まずに偽名で呼べなかったな。それはさておき、
「それで俺が船に乗っている間のことなんだが」
「何よ、俺がって。俺たちでしょ。まさか、まだ私を置いていくつもり?」
「そうだな、嬢ちゃんにも船に乗ってもらうぜ」
言ったのは副官のバラグだった。
「小僧、悪いが俺はお前を信用してねえ。得体のしれねえ危険なやつだ」
なるほど、キャスリンは俺が下手な真似をしないようにする人質というわけか。
「そうそう。あなたってなんだか危なっかしいもの。私がついててあげないと心配だわ」
しかし当の本人は自分が人質だということに気づいていないようだった。はあ、俺がため息をつく。
「はいはい、わかったよ。いつもありがとうな」
投げやりに言った俺の言葉にキャスリンがニコッと笑ってVサインを返した。なんでそんなに嬉しそうなんだよ。本当、この自称姉は俺の調子を狂わせる。
こうして、俺のノースティア行きが決まる。出航は一ヶ月後、俺自身が行う準備はそれほどなく、身の回りの整理くらいだ。日々の宿代を払うため、俺とキャスリンは毎日路上に出て芸を行った。どこで芸をしてもキャスリンには大勢の客がつき、たくさんのチップが集まった。一方、俺のナイフ芸はおまけという感じで、チップの量もかなり寂しい。
「ふふふ、もう。あなたって私がいないとダメね」
キャスリンが嬉しそうにしている。実質、キャスリンがほとんど稼いでいると言っても過言ではない。その金で宿に泊まっている俺には返す言葉もなかった。
「そうだな、姉さんには勝てないよ」
「あ、ついに私を姉と認めたね」
キャスリンが無邪気に俺に抱きついてくる。俺はそれを引き剥がした。
「もう照れちゃって」
あのな、俺たちは血が繋がってないんだぞ。年頃の娘が気安く抱きつくなよ。と言いたいところだったが、言ったら余計に揶揄われるような気がして押し黙った。
正直、ノースティアに行きさえすれば死んでもいいと思っていた。いや、100万回の生を得てからの俺は、いつだって、死んでも構わない。
けれど今度の生では、そうもいかなくなった。育ての親のベアードが死んで、自分の胸の中で泣いていたキャスリンの姿を思い出し、それから、自分が死んだあとのキャスリンのことを考えた。そのときは今度こそ、彼女は一人になってしまう。いやそもそも、彼女の命も無事かどうか。
俺は簡単には死ねない思いでいることに気がついた。この能天気な姉と一緒に、生きて大陸まで戻ってくることを考えていた。そのときはもっと芸を磨いて、俺自身も稼げるようになろう。そんなことを考えている自分に気がつき、
「何を馬鹿なことを。今更だ」
今までの生でも、俺を気にかけてくれる人はいた。生を受けるとき、大概は父もいれば母もある。
この街は海が近く、窓から潮の香りが入ってくる。それは、無人島で生まれたときの記憶を呼び覚ました。
二度目の生のことだった。大陸から遠く離れた、地図にすら載っていない小さな島だ。年中暖かく、海に行けば豊富な魚が、浜辺ではヤシの実が獲れた。父や母、そしてたくさんの兄妹たちがいた。争いはほとんどなく、外のことは何も知らず、自然に感謝をし、満足して寿命を迎える。
だが俺はそうしたものにまるで目もくれず、いかにして島を出ることだけを考えていた。日々、粗末な船を作って大陸を目指し、失敗して戻ってくる俺のことを、誰も理解できないようだった。こんな変わり者に関わるものは少なかったが、しかし家族は決して俺を見捨てなかった。
「どうして!」
母親の声がした。島を出る日、母親は船を追いかけて、服のまま海に入って追いかけてきた。
「戻ってきなさい!お願い!ハリ!ハリーーーーー!」
声が枯れるまで、俺の名を叫び続けている。
テーブルの上の暖かい料理も、兄弟で寄り添った狭い家も、ただこの生においてだけの仮初のものだと考えていた。
ただ、魔女を殺すということだけが俺の目的であり、他のことはどうでもいい。
そのはずだった。
なのにどうしてだろう。そのときのことは、いまだに繰り返し、夢に見る。
あの母親は俺のことなど忘れて、幸せに暮らしただろうか。
そんな今更、100年以上前のことを無意味に考えていることがある。
「そう、全ては今更だ」
こんな俺が今更、誰かを守ろうなどと考えるのは滑稽だ。
炎に包まれる故郷にて、国を守れぬ無念の中、死んでいった騎士たちや、兄ハウルド。
滅びた彼らも国も、もはや誰の記憶にも残っていない。
全て、炎の中に消え、そして呪われた島として200年燃え続けている。
何よりも、俺は彼女を守ることができなかったのだ。
フィリオリ。最後に見た彼女は空中に磔にされたまま気を失っていて、その目から一筋の涙がこぼれ落ちた。俺は手を伸ばすが、彼女には届かない。
一番大切なものを守れなかった俺が、今更、誰かを守るのか。
最初の気持ちを思い出せ。ランス。
あの全てを見下す魔女の顔を、絶望に歪ませ、滅ぼす。
それだけがお前の真実だ。他のことは全てまやかしだ。
一つの生におけるそのときだけの他人や、感傷など、そんなもののために、判断を狂わせることは許されない。
「十分、キャスには忠告しただろ。だから巻き添えになったとして、それは彼女の選んだことだ」
俺は言葉にだし、自分に言い聞かせる。キャスリンのために、死を恐れ、肝心の目的が果たせないことは避けなくてはならない。
そして月日は経ち、出航の日になった。
空は晴天で、風はほどよい南風。絶好の出航日和だった。
用意された船は50人は乗れるほどの大きさで、巨大な一本マストと広い甲板をもち、船首には肉食獣の巨大な顔が彫刻され、その開いた顎には鎖が噛ませられている。船体は深い茶色でところどころに矢傷や切り傷があり、海賊船として荒れ狂う海を渡り歩いてきたことが想像された。
「これが俺たち、鉄鎖海賊団の船だ。どうよ」
ジョイルが俺の横にいるキャスリンに自慢気に話しかけた。いつもはつれないキャスリンも、流石にこの船を前にして「すごい船ね、趣味はよくないけど」と感心?していた。
港には今日の出港を見にたくさんの人間でごった返している。白昼堂々、たくさんの観衆が海賊船を見送るのだ。海賊による略奪は、いわばミッドランドの公認になっている。いかに自国の船は襲わないのだとはいえ、この国の倫理観は崩壊している。
「ななな、なんで、私も、乗っているのでしょうか?ねえ、なんでえええ」
神父が一人でぶつぶつと喋りながら、頭を抱えている。俺とキャスリンを紹介した者ということで、半ば強制的に海賊たちに乗せられていた。少し気の毒な気もするが、だがこいつは育ての親のベアードやウィルが死んだ原因はこいつの襲撃だ。こいつが魔物に襲われようとおそらく俺は助けない。
帆が張られ、船が動き出す。甲板の中央の高台に、グリシフィアの姿が見え、俺の視線に気がつくと笑みを向けてきた。俺は睨みつける。その傍らに、一人の少女が立っている。
白金の髪を靡かせ、そこから大きく尖った耳が見えた。純白のマントとチュニックを着て、揺れ動く船の上に置いても不動で立っている。彼女がノースティアからやってきたというエルフだろう。
「おい、ランス。てめえ、どっちを見てやがる」
ジョイルが絡んできた。
「どっち?」
「エルフはともかく、グリシフィアは俺の許嫁だ。色目を使えばただじゃすまねえ」
「許嫁?まさか、あいつが?」
「今日も綺麗だ。ああ、グリシフィアが俺の船に乗る日が来るなんて…」
ジョイルがうっとりと魔女を見上げている。俺は開いた口が塞がらない。よりによって、常に周囲を見下し、蔑み、命を弄び、性格の捻じ曲がった笑みを浮かべるあの女に惚れているだと。俺は思わず尋ねていた。
「あの女のどこが気に入ったんだ」
「そりゃもちろん、顔だよ」
ジョイルは片時もグリシフィアから視線を外さずに答えた。確かに、顔だけ見れば、美しい。なんせ、フィリオリと同じ顔なのだ。そう考えると、この海賊の視線にフィリオリまでが汚されるような気がしてきて、俺は足をかけて海賊を転ばせた。
「おお!なにしやがる!」
「あ、悪い。つまづいたようだ」
「いけしゃあしゃあと、やっぱりてめえもなんだかんだ言って、狙ってやがるんだろ!」
そこでジョイルがハッとした顔をする。
「そういや、グリシフィアがてめえを生涯の奴隷にするとか、なんとか。考えてみれば、いつもまるで他人に興味がねえグリシフィアが男を欲しがるなんて、おかしな話だぜ。てめえらまさか、すでに、できてるんじゃねえだろうな!」
「ばかね、あんな女、ランスの趣味じゃないわよ。ね?」
割って入ってきたのはキャスリンだった。気のせいか、機嫌が悪そうだ。
「ああ」
「ほらね!だから変に絡んでこないでよ、チンピラ」
チンピラ呼ばわりされた海賊はキャスリンの顔を見て少し考え込んだ後、ニヤッと笑って言った。
「なるほど、なるほど、そういうことね」
「は、なにがなるほどよ」
「いやあ、あんた、ランス君のお姉さん?でも血は繋がってないんだろ、ぜんぜん似てないもんな。へえ、そういうことねえ。へええ」
海賊の言葉になぜかキャスリンの顔が赤くなっていく。
「なに変な勘違いしてんの?ちょっと、やめてくれない?」
「あらあら、赤くなっちまってかわいいねえ。なあ、ランス君もそう思う…って、おい、どうした、真っ白な顔して」
ジョイルが俺を見て駆け寄ってきた。俺はジョイルを跳ね除けると、甲板の端っこに走り、胃から競り上がってきたものを海に向けて吐いた。ひとしきり吐き終わり、力なくその場にうずくまる。その背中を追いかけてきたキャスリンがさすった。
「船酔いかしら?ほんとあんた、あたしが来てよかったわね」
キャスリンがなぜか嬉しそうにして言った。俺は答える気力もなく、船のヘリに寄りかかり虫の息をしていた。




