35. 剣と拳
「ええと、まあ、不採用」
にやけた顔でキャスリンを見ながら、俺の方には目もくれずにジョイルが言い放った。
「あ?」
「あったりめえだろ、ガキの出る幕じゃねえんだよ」
次の瞬間、俺はナイフを投げ放ち、奴の前のテーブルに突き立てた。それでようやく、ジョイルが俺の方を見た。その顔は変わらずニヤけている。
「へえ、坊や。旅芸人だけあってナイフが得意なんだな。けど芸をやるなら炉端でやるんだな」
「募集条件は強えこと、びびらないこと、そしてもう一つ、躊躇わないこと…だろ。旅芸人がダメだとは書いてなかった」
「確かにそうだ。けど、今、決めたぜ。旅芸人はダメだ。俺がルールなんでね」
「そうか、じゃあ、今を持って廃業する」
俺がもう一本、ナイフを抜いて手に持った。しかしジョイルは椅子に座ったまま動じず、右手に巻きついた鎖をくるくると振り回している。
「やめとけって。お前まだガキじゃねえか。ノースティアは未踏の地だ。大の大人だって生きて帰れるか、わかんねえんだぞ」
「ガキもダメだとは書いてなかった。ここの海賊団は、ごちゃごちゃと口だけは回るようだな。要はお前より強ければいいんだろ?証明してやるから、立てよ」
俺の言葉にジョイルはきょとんとし、やがて笑い出した。
「おいおい、あまり笑かすなよ。俺、ジョイルって名乗ったよな。名前くらい知ってんだろ?」
「よく知らねえが、ガキにビビる情けねえ海賊の名前だろ?」
その言葉に、ジョイル本人ではなく周囲の空気が一瞬で張り詰めた。ただならぬ空気を感じ取ったのか、キャスリンが俺に耳打ちする。
「ちょっと言い過ぎたんじゃない?一回謝ったら?」
「こいつ!ジョイル船長の名を侮辱しやがった!」
取り巻きの一人の言葉が叫び、斧を構えて前に出る。それを手で制し、ジョイルが面倒くさそうに椅子から立ち上がった。
「少年よ、誰にも教わらなかったか?ジョイルは初代から続く偉大の海賊の名前だ。侮辱したらよ、その言葉は引っ込められねえんだぞ」
不意に、右手の鎖が俺の方に放たれる。それは一瞬の出来事で、それは身構えた俺ではなく、俺の背後に近寄っていた海賊の斧の柄に巻き付いた。斧は取り上げられ、ジョイルの手に収まる。
「船長!」
海賊は殺気だっており、ジョイルに邪魔されなければ斧を俺に向けて振り下ろしていただろう。だが、そんなことは脅威ではない。驚いたのは、ジョイルの放たれた鎖の速度だ。はっきり言って、見えなかった。
「こいつはガキだが、船長の名を侮辱した。殺すべきです」
バラグが言い放った。
「馬鹿野郎、ここは海の上じゃねえ。後始末すんのはムーングラスプだろうが。まあしかし、ただで返すわけにもいかなくなったな。よしわかった、少年。俺が相手してやる」
ジョイルが合図すると、海賊たちがテーブルを持って部屋の端に運んでいった。ジョイルが残った椅子を蹴飛ばして、部屋の中央にスペースを作る。
「船長、あんたが出る幕じゃない。世間知らずのガキの教育は俺がやります」
「バラグ、お前まで熱くなってんじゃねえよ。あいつの使命は俺だろ?おいガキ!」
ジョイルが鎖の巻きついた拳を左手に打ち付ける。
「ここまで啖呵切ったんだ。少しは楽しませろよ」
「楽しむ暇があればいいけどな」
俺が言った。立ち上がった奴を改めて見ると、体格差は歴然だ。しかし明らかにこちらを舐めているのが、ニヤニヤした顔つきでわかる。
「獲物はその小せえナイフで大丈夫か?」
「ナイフは使わねえよ。そこに木剣があるな。借りるぞ」
「木剣?おいおい、半端なことを言ってんじゃねえよ」
ジョイルが腰の剣を抜き放つと、そのまま今まで座っていた椅子を叩き切った。椅子は真っ二つになり、乾いた音を立てて床に転がった。その剣を俺の方に投げてよこした。
「いい剣だろ?東の果て(オリエンティア)の職人が打った名品だ。貸してやんよ」
精密に斬られた椅子の断面がここから見える。俺は剣を拾うと、軽く振ってみた。重心も正確で、確かに、逸品のようだ。
「本気か?真剣かよ」
「なんだ、やっぱお子様かあ。ビビってんのかよ?」
ジョイルは嬉しそうに俺の顔を見た。俺はため息をつく。厄介なことになったな。俺が一つ、奴に確認をする。
「もし俺がお前を殺した場合、どうなる?合格でいいのか?手加減はしてやるつもりだけど、流れによってが腕の一本くらいはバッサリやるぞ」
俺の視線に本気だと感じたのか、取り巻きが立ち上がった。
「若。このガキ、変ですぜ。いかれてやがる」
「やはり俺がやりますよ。大丈夫、殺さねえ程度に痛めつけやす」
「いいぜ!」
ジョイルが目を輝かせた。
「俺を殺すことができたり、再起不能になった場合は、文句なしの合格だ!立会人はここにいる全員だあ!」
奴が拳を組み合わせ、指を鳴らす。
「おい、海賊。お前は素手でやるのか?」
「当然だろ。ガキ相手に獲物なんか使えるかよ」
俺はさらにため息をつく。
「まあ、お前が負けたときの言い訳にはちょうどいいか。時間が勿体無い、さっさと終わらせるぞ」
俺が剣を構え、奴と対峙する。俺の構えを見て、ジョイルが「へえ」と唸った。
「なんかそれっぽいじゃねえか。どこで学んだ?」
「ほんとよく喋る野郎だ、な!」
俺は姿勢を低くして一気に加速し、間合いに入り込む。身長差があるため、狙いを奴の脛に定める。手加減はするが、当たれば大怪我は免れないだろう。しかし俺の一撃は空を切る。奴が跳躍し、俺に拳を振り下ろしてくる。
鎖を巻いた鉄の拳に全体重を乗せた凄まじい一撃だ。俺は体と顔を捻り、寸でのところで交わした。拳の風圧で俺の鼻が歪み、鼻血が出る。俺は二撃目を警戒し、後ろに跳躍する。しかし、奴は追ってこず、余裕の顔を向けてきた。
「驚いた!早いじゃねえか。驚きすぎて、終わらせちまうところだった」
ジョイルが感嘆の声を上げた。驚いただと?俺は止まらない鼻血を手で拭った。それはこちらの台詞だった。あの巨体にして一瞬で跳躍した身体能力、そしてあの一撃。まともに顔面に入れば頭蓋骨を破壊されて即死していただろう。
しかし、だ。
「ランス!」
駆け寄ってくるキャスリンを手で制した。
「ランスじゃない。俺の名前はヴィンス」
「あ」
「それに、問題ない。後ろで見ててくれよ」
俺はまた剣を構え、奴に踊りかかった。奴も拳で応戦するが、それはただの街の喧嘩屋のものではなく、訓練されたもので顔面に向けて正確に打ち出される。しかも、その一撃ごとに全て必殺のもので、一撃を貰えばそこで終わりだ。だが、当たらない。
俺は足捌きを使い、基本的には間合いを外してかわしつつ、合間を見て剣での一撃を放っていった。身長差はあるものの、流石に剣を持っている分、射程はこちらの方が長い。一撃ごとに奴の皮を切り裂き、鮮血が舞う。徐々に奴の出血の量が増えていく。
「おい、船長さんよ。なかなかいい拳を持ってるが、その足じゃ俺に追いつけねえな」
ジョイルは出血しながらも、しかしニヤニヤ笑いは変わらなかった。
「マジだな、全然当たんねえ。これも旅芸人の芸のうちか?」
「まあ、そんなところかな。もういいか?合格ってことでよ」
「確かにお前は合格って感じ、かな。けどやられっぱなしは性に合わなくてよお」
「やめとけ。これ以上、お前の血で床を汚すのは偲びねえ」
「ありがとな、床の心配までよお。けど、気にすることはないぜ」
ジョイルは手の鎖をテーブルに向けて放つと、俺に向けてぶん投げてきた。「マジかよ」俺はそれを避けると、今度は椅子が飛んできた。テーブルに載っていたグラスや燭台は破壊されて床に散乱し、叩きつけられた椅子が木片となって散らばる。
「これからもっと散らかるんだからなあ!」
さらに椅子やら壁の壁画やら、色々なものが飛んでくる。部屋はあっという間に散らかり、足の踏み場もなくなった。
「おいおい大将、やられすぎてイかれちまったか!」
「この部屋はムーングラスプのもんでしょうが!」
「関係ねえ!あとで言い値で弁償してやれ!」
ジョイルは瓦礫の中央で仁王立ちになり、こちらを見下ろした。
「さあ、これでちょこまか動けねえな。さあ、どうするよ」
「おい海賊、獲物は使わないんじゃなかったのか?」
「部屋を散らかさない、とは言ってねえな」
「はあ…俺は合格なんだろ?これ以上はやめとけよ」
俺は無感情に見上げた。
「確かにこの足場じゃ、逃げ切れねえかもな。だがそれは、手加減できねえってことだ」
俺は剣を構える。
「お前は自分の肉体に自信を持ってるみたいだがな、これ以上は怪我ではすまねえ」
「面白え!やってみろや!」
「確認するが、お前が死んだ場合はどうなる?俺は船に乗れるんだな」
「おうよ、二言はねえ」
「わかった」
俺は重心を落とし、白狼の構えに入る。結局のところ、繰り返される生にあっても、亡き兄、ハウルドを超える剣士はいなかった。その人から伝承された、亡国の王者の剣。この200年、人間に破られたことはない。
奴の攻撃をかわせないなら、喰らう前に戦闘不能になってもらう。俺の少年の背丈では首は狙えないが、奴の拳ごと片腕を飛ばす。もしそれでも怯まなければ、胴なぎにしてあの世にいってもらう。
ガシャン!ジョイルが酒瓶を床に叩きつけ、割れた瓶を手に持った。あいつも殺る気だな。なら手加減はしねえ。
「いくぞオラァ!」
ジョイルが雄叫びを上げ、散乱した木屑を踏み散らしながら突進してきた。俺も迎え撃つべく踏み出す。そのとき、
「ジョイル」
声がした。場を凍らせるような冷たい声。知っている声だ。
忘れたくても、忘れることはできない。
声を聞いたジョイルは雷に打たれたようにその場に硬直し、顔面を蒼白にして声の主の方を見た。俺も足をとめ、声の主を振り返った。
黒髪を靡かせ、変わらない姿で女がそこに立っている。亡き姉、フィリオリと同じ顔が、200年前と同じ表情で当たりを見下していた。
傲慢の魔女グリシフィアがそこにいた。




