29. 黒い荊(いばら)
R6.1.11 挿絵追加
ランスが目を見開く。ベアードがランスに覆い被さり、剣の一撃を背中で受けていた。
「お、おい。ベアード?」
ベアードはニヤリと笑うと、そのまま目を瞑って、力なく項垂れた。刃は背中を貫通し、胸の辺りから突き出ていた。
な。
「何、かってに庇ってやがる!」
自分の命に庇う価値などない。所詮は100万のうちの1回。掃いて捨てるほどの命なのだ。そこへ無情に、再びウィルの剣が振り下ろされ、ベアードの背中に剣がめり込んだ。
「やめろ!」
叫び、ランスがベアードの下から這い出る。横に転がって剣を避けて、立ち上がり、対峙した。
ウィルの構えは確かに、イースティアに伝わる正規騎士のものだ。表情は見えないが、気さくに笑うウィルの顔がランスの脳裏に浮かんだ。
「あああああああ!」
ランスは脳裏に浮かんだ姿をかき消すように叫んだ。そのまま姿勢を低く落とし、一瞬で懐に入りこんだ。ウィルが反応できていないのがはっきりとわかる。
シッ!
一息、狼のような吐息を吐くと同時に、牙のような二連撃がウィルの首を飛ばした。風がランスの長い髪をはためかせ、額があらわになった。
額には円環をなす茨の紋様。
「それは!」
神父が驚愕した声を上げた。「そんな、まさか!」
ランスの長い髪が再び目を隠すが、その奥の額から光、いや、闇と呼ぶべきか。漆黒の黒い光が、髪の間から漏れ出ていた。
ランスはベアードの死体に駆け寄ると、無言で首を刎ねた。動く死体の仲間入りなど、ベアードなら死んでも嫌がるだろう。それからキャスの元に駆け寄る。
「キャス。俺から離れないでくれ」
キャスリンを守るように立ったが、そのランスを彼女が突き飛ばした。
「近寄らないで!人殺し!よくもウィルを、父さんを!」
半ば半狂乱になり、キャスリンはランスから離れた。次の瞬間、這っていた死体が彼女の足を掴み、転ばせる。そこへ、何体もの死体が這い寄ってくる。
「きゃあああああ!」
「キャス!」
ランスは駆け寄り、正確に、次々と周りの死体の首を飛ばした。倒れていた彼女を抱き起こし、その頭を胸に抱いた。
「頼むよ、キャス…姉さん!」
ランスの震える声に、キャスがハッと顔をあげた。
弟は肩で息をしていた。誰のものかわからない血で装束は染まり、重く、体にまとわりついている。立っているのもやっとの様子で、キャスリンに捕まっていなければ倒れてしまいそうだった。
ランスの肉体は限界を迎えようとしていた。剣の技術や立ち回りは転生の中で積み重ねてきたものだが、身体は痩せた14の少年である。すでに握力は限界に達しており、酸欠で頭が暗くなってきていた。
自分の呼吸だけが聞こえる中で、胸中に宿る感情。
ここまでか。
ランスには次がある。次の次も、その先も。
100万回の生の中で、死んでもまた、新しくこの世界に生を受けるだけだ。
何度でも、やり直せばいい。
「ランス!」
キャスが起き上がり、ランスの前に立った。その震えが止まっている。
「初めて、姉さんって呼んでくれたね。おかげで、目が覚めたわ。あなたは私が守るね」
一つ微笑むと、キャスリンは自ら死体の群れの中に身を投じた。
「ここは姉さんが食い止めるから!あなたは逃げな!」
「おい!」
ランスが手を伸ばすが、届かない。キャスリンの姿がゆっくりと遠ざかり、しかし自分の体も同じようにゆっくりとしか動かない。時間の流れが遅くなったかのようだった。
どうしてだ。
どいつもこいつも、どうして勝手なことをする。
ランスは復讐に生きている。この繰り返される生は、魔女を殺すためだけのものだ。
新しい生で、父と名乗る他人と、母と名乗る他人に出会う。彼らは勝手に家族を築いて、勝手に俺を守る。だが俺は、その輪に入ることはなかった。俺は守られることなど、必要としていない。
どうせ生まれ変われば、すべては他人だ。
ただこの生において、たまたま近くに居ただけにすぎないだけの他人。
けれど。
船に乗って故郷を出る俺を追いかけて、服のまま海に入って追いかける母が、俺の名を叫んだ。
魔女に敗れ、街角でボロ布のように息絶えようとする俺にすがって、泣き続ける妹の声がした。
そして今、俺のために命を捨てようとするものがいる。
どいつもこいつも、なぜ、勝手なことをするのか。
もうやめてくれ、俺に構うな。
「ランス」
姉の声が聞こえた。そこは最初の炎の光景だった。
美しい雪と花々が、灰となって夜空に舞い散る。
地上の惨状を、あざわるかのように月が見下ろし、
気を失った姉の目から涙がこぼれ落ち、
その傍に、全ての元凶である魔女がいる。
ああそうだったな。
全部、てめえのせいだったな。
その瞬間、全てがランスの脳内から追いやられた。湧き出す憤怒が意識の全てを染め尽くす。
ランスの動きが加速し、キャスリンの腕を掴んで後ろに放り投げた。そのまま、周囲の死体たちの2体の頭を一息で刎ねた。3体目にも剣を振るうが、油や体液に塗れた剣はすでに切れ味を失い、首を飛ばすには至らない。死体は吹き飛びながらも再び動き出し、こちらに向かってくる。
「とんだ安物だがな」
切れなくなった剣を、構わず死体の頭に叩きつけた。二度、三度、四度。死体の頭蓋が破壊され、突っ伏して動きを止める。
「お前らには十分だ」
ランスは斬れなくなった剣を、ただの鉄塊として、構わず死体の頭に打ち下ろし続けた。返り血で濡れた前髪の奥で額の紋章が黒い光を増し、増殖し、ランスの顔半分を茨が覆った。黒い光のその奥で、目だけが赤く光っている。
最後の一匹の頭を素手で掴み、近くの岩に叩きつけた。動くものがいなくなり、ランスはその場に倒れ込む。ヒュー、ヒューと、気道から細い息を吐きながら、呼吸に喘いだ。全身の骨が軋み、激しく痛み、悶絶する。
「ランス!」
キャスリンが駆け寄ってきた。それをランスが手で制止する。
「キャスリン、近寄らないでくれ。俺はあんたの弟じゃない。見ての通りの化け物だ。深い茨の騎士の話は本当だ」
全身、泥と体液に塗れ、額から黒い光を放つ姿は確かに、この世のものとは思えない。黒い光は顔からさらに広がり、黒い荊が腕にまとわりついている。キャスリンは歩みを止め、荊の騎士を見下ろした。膝が震え、今にも崩れ落ちそうにしながら、しかし、まっすぐにランスを見つめる。
「だから何?」
「え?」
キャスリンがランスを抱きしめた。
「何よ、さっきから偉そうに。よくわからないけど、あなたは私の弟なの。さっき、私を姉さんって呼んだじゃない」
「それは、そうだが」
「ほら、もう一度、姉さんって呼んでみて?」
言いながら、キャスリンの顔が歪んだ。その瞳から大粒の涙が溢れてくる。肩を振るわせて、ランスの胸に顔を埋めて、大声で泣き出した。ランスは黙って天を仰ぐと、姉の頭に手を置いた。気がつけば、手の荊は消えている。
いつだったか、こんなことがあったな。
この200年の、いつの記憶かは思い出せない。
気づけば、三日月が上空に出ている。
夜は平穏を取り戻し、風の音だけが鳴り響いていた。




