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25. ウィッチハント・サーガ:ゼロ

R6.1.5 イメージ画像追加

R6.2.14 改訂・加筆



挿絵(By みてみん)


「この国はこれから、なくなるの」


 ひれ伏す俺の前にしゃがみ込み、悪戯の種明かしをする子供のような目で、話を続ける。


「あの炎が見えるかしら? あれがこの窪地をくまなく飲み込むの。あなたの国も、向こうの国も等しく飲み込まれるわ」


 四方の天を焦がす炎の柱が、徐々に折れ曲がり傾くと、地面に倒れ込んでいく。


 炎に炙られた霊峰が呼応して噴火し、轟音と共に煙と溶岩を吐き出し続けた。広まる溶岩と蒸気があっという間に麓の森を飲み込み、一瞬で燃え上がらせた。



 あのあたりは暖かい泉の森のあるところだ。フィリオリと歩いた花畑や、森の奥で紅茶を沸かすノルディンが鮮明に浮かんだ。


 それが今や、松明のように激しく炎をあげている。


 なんだ、これは。これは何が、起きているんだ。


 あまりの光景に、俺の脳が理解を拒んだ。しかしその間にも、炎は広まり、こちらの平野に向けて迫ってくる。


 不意に感情が弾け、俺は叫んでいた。


「こんなことが! これが! お前の仕業だというのか?」


「だとしたら、どうするのかしら?」


 俺が怒りの視線を魔女に向けると同時に、小指にはめた月の指輪がうっすらと光りを放ち、淡い銀色が俺の体を包んだ。するとさっきまで重く抑えつけていた不可視の力が弱まる。


 俺は歯を強く食いしばり、剣を支えに立ち上がった。


「へえ」


 しゃがんでいた魔女が感心し、ゆっくりと立ち上がった。


「あなたの激情に呼応しているのね。魔女の指輪の力を引き出すなんて、面白いわ」


「があああああ!」


 俺は抑えつけてくる力を振り払うように、剣を振り上げた。対して、魔女が右手を横に広げると、夜の闇がその手に収束して黒い槍となった。激情のままに振り下ろした俺の剣を、魔女の黒い槍が受け止める。


「ランス、怒ったの? 憤怒に満ちた、酷い顔だわ。まるで、あの女の本性のよう」


 俺は魔女の槍を押し返そうとするが、しかし力が入らなかった。慣れない浮遊感に足を見ると、地面から離れていた。俺の体はバランスを崩して前のめりになるが、倒れずにそのまま宙に浮いていた。


「けれどそんな剣、私には届かないわ。何ものも、私に届くことはないの。なぜなら」


 宙でもがく俺に魔女の槍が向けられる。


「私は傲慢の魔女、グリシフィアだもの」


「なぜこんなことをする! この国を滅ぼして、どうするつもりだ!」


 噴き上がる炎が壁となって、この窪地を飲み込んでいった。四方から迫りくる炎の壁が、雪と氷の世界を緋色に染めている。


 俺の問いに魔女は小首を傾げた。少し考えてから、


「なぜだとか、どうするだとか、そんなこと知らないわ。どうでもいいの、そんなこと。やりたくなれば、そうするだけよ。滅ぼしたくば、そうするだけ。今はあなたのその顔が見れて、満足よ」


「貴様ああああ!」


 俺は叫んで剣を振るが、空中に固定されたここからでは届かない。握り手に満身のチアらをこめ、グリシフィアに向けて投げつける。しかしそれは大きく軌道をそれ、かすりもせずに地面に転がった。


「なんて無様なのかしら。これ以上見苦しくならないよう、そろそろ死にましょうか?」


 グリシフィアは漆黒の槍の切先を俺の喉に向けた。狙いから逸れようと身をよじるが、宙に浮かんだ俺の体はその場から動かない。


「もがいても無駄。それは、あなたにとって逃れようがないもの、そして私にとっては渇望しても叶えられないもの。けれど死は終わりではないわ。あなたにとってのむしろ、始まりなの」


「始まりだと!? 俺の死から何が始まるというんだ!」


「怠惰の魔女の祝福を受けたのでしょう。あなたには100万回の生が与えられているの」


 100万回の生。


 怠惰の魔女パルシルシフの言葉が蘇る。


 血の気が引き、背筋が泡立った。まさか……いや、そんなバカな。


「はじまるのはあなたの物語よ。無限のように続く輪廻の中で繰り返される、永遠の魔女を狩る物語ウィッチハント・サーガ。繰り返される生と死の果て、でも、そんなものに耐えられる人間がいるのかしら。あなたの脆弱な人間の精神は、一体どうなってしまうのかしら」


 グリシフィアが優しく、祝福するように俺の頬を撫でた。


「ほんのちょっぴりだけど、あなたに興味があるわ。光栄に思いなさい」


「ふざけるな! そんなことが……あってたまるか!」


 ヒュー、ヒューという音が自分の呼吸の音だと気づくのに時間がかかった。


 体が震えている。


 奥底から這い出てくる、心臓を鷲掴みにするような、目の前が暗くなるような果てしなく原始の感情。


 俺は今まで、本当の意味で死を恐れたことはなかったのだと、知った。今、感じている感情に比べれば、戦場で訪れる名誉の死などまるで恐ろしくもない。


 しかし、今、俺は、子供のように震えていた。


 死してなお、永遠に生き返る。もし本当にそんなことがあるのなら、永遠に生と死が繰り返されるというのなら、その果てに、俺は、俺は。


 ———どうなってしまうのだ。


「よそ見をしている場合か! 魔女!」


 魔女の背後からハウルドが現れ、必殺の一撃を放つのが見えた。しかし剣が届く前に、見えない力によってハウルドの体は地面に伏せさせられた。


 この夜に何度も目にした、魔女の不可視の力だ。


「動ける人間もいるのね。少し加減が過ぎたかしら」


 魔女が手を横に振ると、見えない力場が発生し、宙に浮いていた俺も地面に叩きつけられた。俺はなんとか手足をつくが、四つ這いになったまま動けない。地面にめり込んだ手や膝、あちこちで骨がきしむ音がする。


「怯むな!」


 兄の声が響いた。


「弟よ! 誓いを果たせ!」


 ハウルドは俺と同じ力を受けながら、ゆっくりと立ち上がった。地面に足をめり込ませながら、引きずりながら、ジリジリと魔女に向かって近づいていく。


 グリシフィアはそんなハウルドへ冷淡な目を向けた。興味のかけらもない、虫ケラを見る目。魔女の虚空から無数の槍が生成されていく。


「あなた少し、うるさいわ」


 10数本と数を増やした槍が一斉に射出された。そのうち何本かをハウルドが剣で撃ち払う。しかし残った大多数が、ハウルドの脚や胸、脇腹に突き刺さった。血飛沫が舞ったが、しかしハウルドは倒れなかった。槍を体に生やしながら、なおも魔女に向かっていく。


「兄さん!」


 俺は思わず、叫んでいた。先ほどハウルドが打ち払った数本の槍が再び浮き上がり、切先を向けてハウルドを取り囲んだ。


 だがそれらには目もくれず、兄がこちらに顔を向けた。幾度となく俺を鍛え上げてくれた兄の厳しい眼差しが、今は静かに俺に向けられている。


「ランス!」


 ハウルドが、ノースフォレスト王家の直系が、最後の言葉を放った。


「フィリオリを、頼んだぞ」


 次の瞬間、無数の槍がハウルドの体をズタズタに引き裂いた。体の残骸が地面に拡がり、血飛沫が俺の頬にかかる。


「滑稽な男」


 グリシフィアがふっと笑った。


「だってそうでしょう。あなたの死は100万回のうちのたった1回だというのに。それを庇って命を落とすなんて、なんて無意味な死なのかしら」


 俺の目の前が真っ赤に染まる。


「黙れ!」


 吠えるように叫んで立ち上がり魔女に向かおうとするが、見えない力で再び地面に押さえつけられた。


「黙らないわ」


 魔女がわらっている。


 熱くなるな、ランス。手を考えろ…!


 俺は懐から短剣を取り出した。ノルディンからもらった真銀ルシエリの短剣。魔除けの効果があると言われ、あの魔女の犬を名乗るガイツにも深い傷を負わせた武器だ。薄青く光った短剣を魔女の額に向けて投げつけた。


「この短剣!?」


 魔女は少し驚いた顔をして、手にした槍で短剣を振り払った。その顔から笑みが引いたその一瞬、俺を押さえつける力が弱まった。


 ここが最後の好奇だと悟る。


 俺は全力で地面を蹴った。余力などもう必要ない。兄から教わった白狼の構えで一瞬で必殺の間合いに入ると、低い姿勢から掬い上げるように剣を振り上げる。


 狙うは、奴の心臓。


 魔女の反応は遅れていて、槍の防御は間に合わない。剣の軌跡が心臓に吸い込まれていき、しかしあと数センチのところで動きを止めた。


「ぐ……ぐぐ……」


 剣が信じられないほどに重さを増している。落とさないように支えるだけで精一杯で、これ以上、振り上げることができない。


 グリシフィアは地面に落ちた短剣を拾うと、その切先を月の光に当てて眺めた。


「この青白く光る短剣は何? 月の引力の影響を受けなかったわ」


 月の引力? それは、この魔女の不可視の力の正体なのか?


「知らないみたいね。月は全てを引き寄せる力を持つの。私の魔法は、月の引力を操るわ」


 月に向かって巻き上げられた弓矢や、地面に引き寄せられる体を思い出す。そしてこの、信じられないほどに重さを増した剣。これら一連の不可視の力は、その引力というものによるものなのか?


 俺は、視線だけで殺せるほど強く魔女を睨みつけた。魔女は平然と、俺のその眼を覗き込む。


「素敵な眼ね。その激情はいつか私に届くのかしら」


 剣からほんの少しの距離、指数本分の先に魔女の心臓がある。グリシフィアはさらに俺に近づき、その胸に俺の剣が触れた。だが剣は重くなる一方で降り上げることはできず、むしろ徐々に地面に引き寄せられていく。


 魔女の細く白い両腕が俺に伸びてくる。ひんやりとした手が俺の頬を包み、魔女の方に顔を向けさせられた。


 すぐ近くに、魔女グリシフィアの顔がある。


 この世のものとは思えないほど妖艶で美しい、フィリオリと同じ顔。


 だがその顔は、憎しみの感情しか呼び起こさない。


 彼女が口を開き、厳かな調子で語りかけてきた。


「騎士ランスよ、傲慢の魔女があなたに命じるわ。

 あなたの絶望も、憎しみも、全てを私に捧げなさい。色欲や、怠惰や、強欲や、暴食や、嫉妬や、ましてや憤怒などではなく…このグリシフィアに全てを捧げるの。そして…」


 当たりを照らす緋色の光が増していく。ついに世界を焼き尽くす炎の壁がこの平原に到達し、凄まじい音を上げて迫ってきた。


「———この私に、劇的なる死を」


 強烈な蒸気を巻き上げて到着した炎であたりは一瞬で燃え上がり、包まれていく。両国の騎士たちは白も黒も分け隔てなく、地面に押さえつけられたまま、声を出すまもなく炎の壁に飲み込まれていった。


 しかし魔女グリシフィアを中心とした一帯だけが見えない壁に阻まれるように炎が遮断されている。行き場のない炎は上空に向かい、夜空を焦がす巨大な渦となった。


 炎の渦の中心で、空中にはりつけにされて項垂れた白のフィリオリと、その前に悠然と立つ黒いローブのグリシフィア。


 双子のように、愛しさと憎悪が並びたつ光景に俺は息を忘れた。


 風巻く轟音の中、声が響く。


「さようなら、ランス」


 それは、グリシフィアの声にも、フィリオリの声にも聞こえた。


 グリシフィアの手に漆黒の槍が現れる。


 俺の脳裏に母の姿、ノルディン、ハウルド、ヴィンタス…次々と親しいものたちの顔が巡るましく、浮かんでは消えた。


 そして、フィリオリ。


 こんなに幸せなことがあるなんて。


 そう言って微笑む記憶の中の彼女と、今、眼前にいる彼女の姿が重なった。


「姉さん!」


 約束を果たさなくては。彼女と一緒に、外の世界を見て回る。


 俺は、誓ったのだ! 


 彼女に向けて手を伸ばす。フィリオリの閉じた瞼から、涙が一筋流れ落ちた。

 

 その瞬間にグリシフィアの槍が振るわれ、全ての視界と音が絶たれた。


 全てが断絶された闇の中へと、俺の意識は沈んでいった。







 湿った風が俺の頬を撫でた。


 目の前には果てしない塩の湖がどこまでも拡がり、水平線に日が沈んでいく。


 それをぼんやりと眺めながら、


 唐突に懐かしい声が聞こえた気がした。


「海の向こうまで、私を攫って」


 かつて姉だった存在、フィリオリの声だと、思い出した。


 頬が濡れていることに気がつき、涙を拭う。


「そうか、俺は…」


 この雪のない南国の島で、6歳になった俺は全てを思い出した。


 あの北の国での日々、そして全てが炎に包まれていく記憶だ。


 砂浜で木切れを拾うと、踏み込んで振るった。


 白狼!


 しかし体がついていかず、俺は砂に倒れ込んだ。


 無理もない。この体は鍛えられた騎士の体ではないのだ。


 涙が溢れる。俺は砂に手をつき、枯れ果てるまで咆哮した。


 やがて声が出なくなり、砂浜に横になる。波が寄せて俺の足を濡らしたが、意にも介さない。


 気がつけば、満点の星空。そしてそれらを統べる、巨大な満月。


 引力といったか。


 月にはものを引き寄せる力があり、それを魔女は操ることができるらしい。


 グリシフィア。月の引力を操る傲慢の魔女。


 その魔女が言っていた。


「この私に、劇的なる死を」


 自らの滅びを望む、永遠の存在。


 いいだろう、その望み、俺が叶えてやる。


 どこに行こうと、例えどんなに時を経ようと、お前の心臓に必ず、剣を突き立てる。


 涙はすでに枯れていた。もう流れることはないだろう。



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