7 家族という病?
輝子先生が指差したのはリビングの小さなガラス棚の中に飾ってある、昆虫の模型だった。
バッタやトンボやカブトムシなどの実物大くらいの精巧な模型だが、よく見ると全部金属で出来ている。
ネジや金属板や針金みたいなものを上手に組み合わせて、それぞれの昆虫の特徴をよく表現していた。
「ああ、お父さんの趣味なんですよ。手先器用ですからねぇ、この人。2階にもいっぱいあって、片付かないったら——。」
須賀代さんが、困ったもんだわ、という顔で言う。
「子どもたちにやると喜ばれるもんでね。」
お父さんの義尚さんが初めて、ちょっと照れたような顔で言い訳みたいに言った。
わたしはもう一度、ガラス棚を覗き込んだ。
いや、これ・・・。芸術の域だよ?
「2階を見せていただいてもよろしいですか?」
先生が言うと、須賀代さんは少し慌てた。
「いや、もう、散らかりまくってて・・・」
「どうぞ。」
と、施主の義文さんが、半ば母親を抑えるようにして手を階段の方に向けて伸ばした。
2階は階段上がってすぐに入り口がある2間だったが、2つともほぼ物置だった。その片方の6畳の片隅に荷物に埋もれるようにして小さな机が置いてあり、そこにあの昆虫の作りかけがいくつも乗っていた。ペンチやハンダゴテなどが脇の棚に並んでいる。
どうやらこの机がお父さんのささやかな「工房」らしい。
「もうもう、なんか整理がつかなくってぇ。」
須賀代さんが、ちょっと言い訳がましく言う。
「ここは以前は寝室だったんですけどね。年をとるとほら、だんだん階段上がるのがしんどくなってきてぇ。今はさっきの座敷の南側の部屋にお布団敷いて寝てるんですよ。そのうち足が悪くなったらベッドになるから、もう畳の部屋は要らないわね。」
その割には、ずいぶん2階にたくさんの荷物を上げたんだな。と、わたしは心の中でツッコんでみる。普段あまり使わないものばかりなのかな?
隣の4畳半にはタンスが3つも置いてあった。これも下から上げたんだろうか?
いつ? 階段上がるの、しんどいんじゃなかったっけ?
「ここは前はよっちゃんの勉強部屋だったの。机もまだそのまま。」
いろいろな荷物に埋もれて、窓の近くに勉強机が置いてある。その背の方には扉付きの本棚が置いてある。
「よっちゃんの本がまだあの中に入ったままよ。要るのがあったら持ってってね。」
「いろいろありがとうございました。最初のプランが出来ましたら、息子さんに渡しますからまたご覧になってくださいねぇ。」
ひととおり家の中を見せてもらうと、輝子先生はそれだけを言ってご両親の家を辞した。
「よく喋る母でしょう? あれですからね・・・。」
沙華井さんが車の中で、呆れたような声でわたしたちに言い訳とも愚痴ともつかないことを言った。
「いえいえ、いろいろよく分かりましたからぁ。やはり直接お宅を拝見しませんとねぇ。」
沙華井さんの現在のお住まいの方に戻って沙華井さんが車を車庫に入れている間、わたしたちは外で立って待っていた。
輝子先生はぼんやりした表情で、沙華井さんの現在の住まいを眺め上げている。
そして、わたしはその時、驚くべき呟きを聞いてしまったのだ。
「お義母さんはわたしが息子を盗ったと思っているのよ。」
わたしが思わず小春さんの顔を見ると、その細めた目の中に、まるで真冬の夜の嵐のような寒気が宿っていた。
これは・・・! あの穏やかな小春さんと同じ人か?
しかしそれはすぐに消えて、微笑んだいつもの穏やかな小春さんは片手の指先でちょっと口を押さえるような仕草を見せたのだった。
事務所に帰るまで、わたしはあの小春さんの寒々とした目が忘れられず、何かこう、家族というものの暗い沼の底を見せつけられてしまったような気がしていた。
二世帯住宅なんて、作って大丈夫なんだろうか?
先生は、あの小春さんの呟きに気がついていたのかしらん?
事務所に帰り着いて、いつものようにカモミールティーを入れてひと息つくと、輝子先生は面白そうにわたしの顔を覗き込んだ。
「で・・・? 輪兎ちゃんには、あの2軒の家の間取りから何が見えた?」
え? 間取りですか?
わたしは、あの小春さんの呟きの方がショッキングだったんですけど・・・?
「間取り・・・と言われても・・・。普通の住宅でしたよね? まあ、沙華井さんがアールが好きなんだなぁ、というのはよく分かりましたけど・・・。」
わたしは小春さんの呟きに関しては、言うのを躊躇った。
「あらまあ。輪兎ちゃん、何も見てなかったのねぇ。」
輝子先生はそう言って笑顔になると、カモミールティーをひと口飲んでから話し始めた。
「間取り——モノの配置も含めてね——、そこにはどうにも隠せない家族の関係が顕われるものなのよぉ。まだ顕在化していない病みたいなものがね。」
そしてここから輝子先生の「間取り推理」が始まった。
それはわたしには全く想像もできていなかった内容だった。先生と同じものを見ていたというのに——。




