6 嫁と姑
「まあまあまあ、どうもわざわざお運びいただいて。こんなむさい所に。」
玄関で騒がしく迎えてくれたのは、施主の義文さんのお母様、須賀代さんだった。痩せ型でしゃきしゃきして、身動きの機敏な人だ。
いかにも小さな町工場の経営者である旦那を支えて切り盛りしてきた、という感じの人だ。
年齢的にはお婆さんの部類に入るのだろうが、とてもそんな感じはしない。まだまだ若い者には負けないわよ!——というオーラが、ぶんぶん出ている。
こちらの家はお父さんが建てたのだろう。いかにも昭和の大工が造った——という和風の2階建てで、天井の高い瓦屋根の家だった。
わたしたちは二間続きの座敷の座卓に案内された。畳の上でお座布団に座るなんて、何年ぶりだろう。
座敷には立派な床の間があり、脇床まであったが、人形やら記念品やらがごちゃごちゃに置いてあって、なんだかせっかくの床の間が台無しな感じだった。
「どうぞ、どうぞ。」
とにこやかに座布団を勧めるご主人の義尚さんは、元社長というよりは職人みたいな雰囲気の人だ。
「ほら、小春ちゃん。ぼさっとしないで、お客さまにお茶出すから台所まで来て!」
須賀代さんがわたしたちの目の前で大きな声で言うと、小春さんは嫌な顔ひとつ見せず「はい。」と返事をしてついていった。
お客さんの目の前であれ言うか? と、わたしがちょっと唖然としていると、義文さんは少し苦笑いのような表情を見せた。
「ああいう人なんでね。気にしないでください。」
須賀代さんは小春さんと2人でお茶とお茶菓子をお盆に乗せて持ってくると、わたしたちの座っているテーブルの上に並べながら
「粗茶ですが。」と言い添えた。
それから自分はテーブルの脇の方に座り、小春さんをさらに自分の後ろに下がらせた。2人ともお茶はない。
わたしは、あ・・・、と思った。
こういうのって、むしろちょっと感じ悪い・・・。
昭和や平成の時代ならどうか知らないけど、わたしはこんなふうにされてちょっと居心地が悪くなってしまった。
わたしもこの前やっちゃったよね。あの時、輝子先生は「輪兎ちゃんはいいの?」ってわざわざ訊いた。
あれは、フランクで平等な人の関係を重んじる先生の、遠回しな「注意」だったのかもしれない。
次からはちゃんと自分の分も用意しよう——とわたしは少しだけ内心で反省する。
そう思ってみれば、この人の配置は人間に上下を付けて、しかも女を一段低く見ている配置だと見える。
もし、「心遣い」や「もてなし」の表れならば、あの雑然とした床の間はありえない。
わたしが「感じ悪い」と思ったのは、女を一段下げることをもてなしと勘違いしている無意識の何か、を感じたからかもしれなかった。
輝子先生は相変わらず、ほにゃ、とした顔で話を聞く体勢のままだ。
わたしが驚いたのは、話しだしたのがお父さんの義尚さんではなく、脇に控えたはずの須賀代さんだったことだった。
「もう、この子が父親と一緒に住む二世帯住宅っを作ると言い出した時には、そりゃあ私たち喜びましたよ。大学までやって、立派になって会社も大きくしてぇ。それで今度は親孝行でしょう? 私たちの育て方は間違いではなかったと思いますわ。」
なんだ? このいきなりのひとり息子自慢・・・。
輝子先生は一瞬目を剥いた表情を見せたけど、その後はやっぱりにこにこしながら聞いている。
わたしは表情に出ないよう抑えるのに必死で、ほとんど話の中身は頭に入ってこなかった。微笑んでいたつもりだったけど、たぶん表情はこわばってたに違いない。
長々と義文さんの小さい頃の話など聞かされているうちに、義文さんは痺れを切らしたようにその話の腰を折った。
「母さん! 先生方は打ち合わせに来てるんだから。自分たちのエリアの要望とかないの?」
言われて須賀代さんは、はっと止まり、それからちょっとバツの悪そうな笑い顔を見せた。
「あらまあ、私としたことが・・・。私はお父さんが良ければそれでいいんですのよ。キッチンさえ便利に出来てればそれで。ほら、年を取ると身動きも鈍くなったりしますでしょ? そうすると・・・」
「親父はなんか要望ないの?」
止まらない須賀代さんの話にかぶせるように義文さんが言った。
「ワシはぁ、息子に任せてありますで——。」
お父さんが言ったのはそれだけだった。
ここにきて、ようやく輝子先生は自分から言葉を発した。
「もし、よろしければ・・・、今のお住まいの様子を見せていただいてもよろしいですか?」
「あ・・・あの、散らかってますけど・・・。」
須賀代さんが少し慌てたように言う。
「よろしいんですのよ。皆そんなものです。生活してるんですもの。ありのままを拝見させていただくことが、設計の役に立つんですの。キッチンとか・・・。」
そう言った割には、先生はキッチンはさらっと通り過ぎた。
「散らかってますでしょ? なんだか恥ずかしいわぁ。女性の設計士さんに見られるのって。収納が少なくってぇ。お分かりになりますでしょ? 同じじょ・・・」
「母さん! 失礼だろ。」
義文さんがたまりかねてまた嗜める。
輝子先生がさらっと通り過ぎたのは、そんな須賀代さんの気持ちに配慮したのかもしれない。まあ、同じ主婦だもの。輝子先生のところのキッチンも、結構いろんなモノが出っ放しだ。
キッチンとつながって狭いダイニングがあるが、その間に少し段差があって、敷居と鴨居があった。溝はあるが、建具は入っていない。
「ここは昔、畳敷きの茶の間だったんですの。ほら、よっちゃん覚えてるでしょ? ここで仮面ライダーのテレビ見てたの。」
義文さんが苦笑する。
ダイニング(茶の間)から廊下を挟んだ南側に8畳ほどのリビングがある。今はそこにテレビが置いてあった。
「ここは昔は客間だったの。陽当たりがいいから今はここが居間になってますけど、廊下を挟んでるから使いにくくって・・・。」
沙華井家の家族は全員でぞろぞろとついてはきているけれど、しゃべっているのは須賀代さんばかりだ。
お父さんは黙ってついてきているだけだし、義文さんは時々長くなるお母さんの脱線話を苦い顔で止めるくらい。小春さんは相変わらず穏やかな微笑をたたえているだけだ。
「これは?」
と、輝子先生が初めて自分から質問した。