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3 アールの好きな施主

 やってきた施主さんは、打ち合わせ室がただの住宅の1室であることに少しびっくりしたような顔をしていた。

 年の頃は40代半ば。地味めのジャケット姿だが、上質な生地のものであることは一目で分かった。髪は短髪で、自然な感じにまとめている。眼差しはいかにも仕事がデキる雰囲気で、その底には熱い情熱を秘めてもいる。

 一方、一緒に来た奥様は、ちょっとぽっちゃり目の優しそうな眼差しの人で、旦那の隣で静かに微笑んでいる。


「どうぞ、おかけください。わたしが御堂寺輝子です。」

 輝子先生が名刺を差し出すと、訪ねてきた男性も慌てて内ポケットから名刺入れを取り出した。

「あ、お電話しました沙華井さかいです。」

 出された名刺には『株式会社サカイ工業 代表取締役 沙華井 義文』と書かれている。つまり、社長だ。もちろん、わたしの『とりあえず取締役』とは違って、本物の社長だろう。(^^;)


「こちらは工藤輪兎(わと)さん。一緒に仕事をしている仲間です。」

 わたしも名刺を差し出す。名刺には『取締役』とかは書いてない。あれは労基署を欺く半分冗談なのだから、単に『一級建築士』とのみ書いてある。それだってまだ、半分以上ペーパーだ。

 先生は『仲間』なんて紹介するけど、わたしはまだそんなレベルじゃない。

「輝子先生の弟子です。お茶入れてきますね。」

 わたしは、にっこり営業スマイルを残して奥のミニキッチンのところに引っ込んだ。


 最初わたしは「御堂寺先生」と呼んだのだけれど、先生は

「そんな堅苦しいの・・・。お尻がむず痒いから、輝子さんでいいわよぉ。」

と言った。

 しかし、わたしからすれば全てを教えてもらう先生なのだから、ただの「さん」づけは抵抗があって、結局「輝子先生」と呼ぶことにしたのだった。


 わたしがお茶を入れていると、隣の部屋からおしゅうとめさんの富士子さんが顔をのぞかせて話しかけてきた。

「あら、新しいお客さまなの?」

「はい。」

 長くなると困る。すぐお茶を持っていかなければならない——。ただ、それが顔に出ないように気をつける。

「いいわね。繁盛で。わたし嬉しいのよ。輝子さんが活き活きと働いてるの。わたしたちの若い頃は、女がこんなふうに仕事するなんてなかなかできるもんじゃなかったもの。」

 冷蔵庫からレモンミントの葉を3枚取り出して、アールグレイを入れた3つのカップにそれぞれ浮かべる。

「お茶、持っていきます。」

と、富士子さんにちょっと頭を下げる。

「わたし、応援してるのよ。あなたのことも。頑張ってね。」

 背中に富士子さんの声を受けながら、お盆を持って打ち合わせテーブルの方に歩く。


 いい嫁・姑関係なんだな。珍しいよね、こんなの。

 まあ、それだけ輝子先生の主婦力も嫁力よめりょくもハンパないってことかもしれないんだけど。



 テーブルには1枚の手書きの間取り図が乗っていた。プロの描いたものではない。たぶん、沙華井さんが自分で描いたんだろう。

 セカンドオピニオン、とか言っていたはずなのに、今の設計士が描いた図面は持ってきてないんだ・・・?


「あ、どうも。」

 わたしがお茶を脇に置くと、沙華井さんはペコリとお辞儀をする。奥様も静かに頭を下げられた。

 本当に物静かな奥様。わたしとは正反対なタイプだな——。


 先生の脇にお茶を置いて、隣の椅子に座って話を聞く体勢に入る。

「あら、輪兎わとちゃんはいいの?」

「はい。」

 自分のお茶も一緒に持ってくる、というのはなんとなく遠慮してしまった。わたしはまだ、そんな対等な立場に立てるような実績も能力もない。

 こんなふうにして施主さんとのお話を聞かせてもらえるだけで、どれほど勉強になるか——。


「それでですね・・・」

と沙華井さんは指で図面を指しながら、話の続きを始めた。

「このアールの出窓は工事が難しいし、高くなるって言うんですよ。この玄関のアールもいらない、無駄だとかって・・・。」

 先生は何も口を挟まずに、にこにこと聞いている。

「2階のこのカーブした壁だって、高くなるから真っ直ぐにしましょうとか言うんですよ? 施主がやりたいって言うことを全部否定する設計士って、一体なんなんですかね?」

 沙華井さんは少し怒ったような口調で言う。


 わたしは、というと、その設計士の言うことも理解できるなあ、と思いながら聞いている。アールの出窓は雨仕舞い(雨水が屋内に侵入しないようにすること)だって大変だろうし、玄関のぐにゃぐにゃした壁のカーブは「なんでそんなことする必要があるの?」というふうにしか思えない。

 2階のカーブした壁というのは、夫婦のベッドの頭の方を少し包み込むように緩くカーブした分厚いアールの壁だ。その後ろ側は「クロゼット」となっている。

 曲がった壁のクロゼットなんてモノが収納しにくいだけのような気がするし、実際、真っ直ぐな壁を作るより費用もかかると思う・・・。

 それをプロとして指摘したら、怒り出しちゃう施主って・・・。厄介なんじゃない? 輝子先生、大丈夫ですか?


「こちらは?」

 先生はアールの壁の話については何も言わず、図面の別の場所を指差した。言われてわたしも、その違和感に気がついた。

 これだけアールをいっぱい使っているのに、その部分だけが異質なほど直線で構成されていた。

「ああ、そっちは両親のエリアなんですよ。両親は別に、アールが好きなわけじゃないんで——。いや、そもそもこの敷地、昔の工場の敷地なんですよ。」

 突然、敷地の話になった。

「今は会社も大きくなって、別の場所に新しい工場を建てたもんですから、古い工場を取り壊して、ここにこれまで頑張ってきた親父のために一緒に住む二世帯住宅を建ててやりたいと思いましてね。」

 さっきまで不満そうだった沙華井さんの顔が笑顔になった。

「両親は古いタイプだから、和風な感じがいいと思うんです。ところがですよ・・・。」

と、また沙華井さんは少し不服そうな顔を見せる。

「今の設計士は、和風とアール壁のある洋風が混ざったらデザイン的に変だって言うんですよ?」


 輝子先生は、相変わらずにこにこ聞いているだけだったが、また全然違う方向の話をした。

「玄関、2つあるんですね。」

「ああ、そうなんですよ。引退した親父たちと私じゃ、生活時間が違うもんでね。でもまあ、何かあった時のために室内で行き来はできるようにしておかないと。」

「室内の行き来はドア1つなんですね?」

「ええ、まあ。そんなにいっぱいあってもしょうがないし。一応ここには鍵がかかるようにしたいんです。どっちかが留守の時、用心悪いですからね。それも変だって言うんですよ? あの設計士は。」


 また今の設計士の悪口だ。いや、まあ、たしかに、少し変ではありますよ? 二世帯住宅なのに、中で鍵をかけるなんて・・・。

 どちらかが留守でも、どちらかは家に居るんだからいいじゃありませんか。1軒の家でしょ?

 わたしはその設計士が少し気の毒になってきた。


 そんなわたしの内心が表情に出てしまったのかもしれない。施主の沙華井さんは、ちらとわたしの顔を見てからまた説明を追加した。

「いや、ま、それだけじゃなくて・・・。おふくろが入ってくるのも止めたいんですよね。あの人は、人が留守の時でも平気で部屋まで入ってきて人のモノ勝手に片付けちゃったりするんだから——。」

 ちょっと本音らしいものを漏らした。

 わたしは極力表情に出ないように気をつけたが、わたしのことだから出ちゃったかもしれない。

 輝子先生は? と見ると、やっぱりにこにこしている。


 そして、おもむろに口を開くと、こんなふうに言ったのだ。

「ねぇえ、沙華井さん? このカーブした壁・・・」

とベッドルームの緩やかなカーブの壁を指差す。

「これ造らないくらいだったら家そのものを造らない——ってくらい、あなたにとっては重要な壁なんでしょ?」


 あっ! と沙華井さんの顔に光が差した。

「そ! そうなんです! わかっていただけますか?」

 身を乗り出して、立ち上がりそうになりながら彼は言った。

「そういえば、先生のところの玄関の下駄箱もアールになってましたよね!?」



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