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2 御堂寺設計工房

「共同経営者ってことでお願いできるかしらぁ? 一応わたしが代表なんだけど。役員、ってことで・・・会社形態にするから。社員はいないんだけど・・・。」

 は? ・・・共同・・・? 役員?

 それって、重役、ってこと?

 いきなり?

「あははぁ。これもインチキなんだけどぉ。うち、まだ実績少ないからぁ。ちゃんと最低賃金の給料払えるかどうか、わかんないのよぉ。」

 あ・・・。つまり・・・。

 重役なら、労働基準法の対象外・・・?


 そんなふうにして、わたしは(有)御堂寺設計工房の役員になった(実質的には御堂寺先生の弟子になった)のだった。




 その朝、わたしが部屋に入って行くと、先生は打ち合わせテーブル(もとはダイニングテーブルだった)の椅子に腰掛けて朝のカモミールティーを飲んでいた。

「輪兎ちゃんのもあるわよぉ。そろそろ来る頃だと思ったから入れておいたの。」

 そう言って、カップにとぽとぽ注いでくれる。

「あ、わたし、自分でやりますから。」

 先生に弟子が注いでもらうんじゃ、あべこべだ。でも先生はそういうことをほとんど気にしない。

 いや、気にしない、というより

「これもよかったら。」

と勧められた皿には、先生お手製のパン耳ラスクが盛ってある。


 テーブルの上にはまだチラシが挟まったままの新聞が置いてあった。そのわたしの視線に気がついたんだろう。

「はあ。ダンナと子どもたち追い出すだけで手一杯でぇ、まだ読めてないのぉ。自分で輪兎ちゃんに言ってるくせにねぇ。」

 と可笑しそうに笑う。

「お茶飲んだら、ざっと目を通してから仕事にかかるわ。」


 実はわたしも、20代にしては珍しく新聞をとっている。それは先生の勧めがあったからだ。

「ネットは自分の興味のある情報だけに偏りやすいから、新聞を読むといいわよ。紙の新聞は1つの紙面に雑多な情報があって、それが自然に目に入るから、狭い興味の谷にハマり込まずにアイデアや話の引き出しが増えるのよ。」

 先生のようになりたいと思っているわたしは、すぐ新聞店に電話をして朝刊の契約をしたのだった。



「あの・・・、これ、先生わかります?」

とわたしがテーブルの上の新聞を開いて先生に見せたのが、例の広告だ。朝、見かけて気になってしまって、電車の中でもずっと考えてきた。


 そこに乗せてあった間取り図が異様だったのだ。住宅の設計者からすれば、あり得ない間取りだった。

 まず、窓の全くない子供部屋が真ん中にある。両親の寝室からは子供部屋を通らなければトイレに行けず、子供部屋からは両親のベッドの脇を通らなければ洗面にもシャワー室にも行けない。脱衣室とお風呂は廊下を挟んで、階段の正面にある。

 キッチンもリビングもない。まあ、それらは階段を下りて1階にあるにしても、この間取りに「合理性」なんか見いだしようがない。

 少なくともわたしには見いだせない。


 それを先生は、一瞥しただけで「合理的だ」と言い切ったのだ。

「これ・・・、合理的なんですか?」

「そうね。」

と先生は面白そうに笑う。

「一般的には考えられない間取りでしょうけど、ある状況の家族にとっては、とても合理的に配置されたプランだわ。その状況は歪んでいるといえば、まあそうなんだけどねぇ。でも・・・」

と先生はティーを1口飲んで、ラスクを1個ほおばった。

「歪んでない『家族』の方が少ないとは思わなぁい?」


 わたしには先生が何を言っているのか、さっぱりわからない。そんなわたしの表情を見て、先生は説明を始めた。

「輪兎ちゃんはこう考えたでしょ? 両親の寝室からトイレに行くのに、なぜ子供部屋を通らなくちゃいけないのか? どうして子供部屋には窓がないのか? 子供は洗面に行くにもお風呂に行くにも両親のベッド脇を通らなくちゃいけない。これではまるで・・・」

「そうなんです。まるで両親が子供を監禁しているような・・・。子供部屋はまるで刑務所の独房のような・・・。それが合理的だとしたら、その家族にはどんな歪みがあると先生は考えてらっしゃるんですか?」


 小説の話ではある。だから、現実にこんな間取りの家があるわけではないんだろうし、ミステリー小説としては「異常」なほど面白いだろうし、読んでみればわかるというだけの話なんだけど・・・。

 むしろ、いつも優しい先生が、この間取りをさらりと「合理的」と言っちゃうことの方が、わたしには怖い。


「監禁というのも1つの解釈だけど、見方を変えればそれほど異常な間取りでもない可能性もあるのよ。もっとも、実際にこういう間取りの家を作っちゃう両親がいるとしたら、その両親はかなり追い詰められてるとは思うけどね。」

 先生はイタズラっぽい目で、わたしを見た。

「ねぇえ、輪兎ちゃん。両親の寝室から考えるから異様に見えるのよ。真ん中の窓のない子供部屋の住人が、一般的な世間を拒絶しているとしたら? あるいは拒絶せざるを得ない事情を抱えているとしたら?」

 え?

 そう言われてみて、わたしは初めてその間取りを内側から眺めてみることができた。


 たしかに・・・、廊下へ出る出入り口は1つしかなく、さらに子供室に入るためには2つのドアを通らなければならない。


「窓のない子供部屋は、その子にとっての超プライベート。その外側は少し緩んだプライベート。その子は誰もいない時、そこまで出てきてシャワーを浴びたり洗面したりするんだと思う。

両親のベッドは使ってるかもしれないし、使ってないかもしれない。他階の間取りがないからよく分からないけど、この階についてだけなら一般的な暮らしからは隔絶されたプライベートスペースが螺旋状にゾーニングされてるわね。」


「両親は夜に子供部屋から異常な音が聞こえないか、自殺に走ったりしないか、心配して夜はここで寝るのかもしれないし、その子は今は大きくなっていて、そこに小さい時本当は欲しかった両親の姿を想像して見るためにずっと置いてあるのかもしれない。

キッチンは別の階にあって、食事は廊下からこのエリアに入る入り口のところにノックでもして置いておく。食べ終わった食器と洗濯物は、その子が同じ場所に置いておく。洗濯は廊下を挟んだ脱衣室の洗濯機で洗って、別の階のベランダに干す。階段のすぐ前に脱衣室と浴室があるのは、これで説明がつくわね。乾いた洗濯物はまたあの入り口に置いておく。これでその子は、誰とも顔を合わすことなく、無理なストレスを受けることなく生活することができるわ。

この部屋の住人が引きこもりだと考えれば、とても合理的でよくできたゾーニングよ。ただ引きこもりだとしたら、相当に重症よねぇ。」


 先生はさらさらとこの間取りの使われ方を説明して見せた。そうやって見れば、たしかに合理的にできているかもしれない。


「もちろん他のもっと怖い解釈もファンタジックな解釈もできるけど、何しろミステリだもんね。小説ではそっちかもしれないわね。でも、少なくともこの階の間取りだけみる限りは、両親はこの真ん中の子供室の子を愛しているわね。」

「それ、間取りだけで分かるもんなんですか?」

「そうでなきゃ、この場所にダブルベッドはないわよ。」


 先生は新聞の見出しをあちこち眺めながら、続けた。

「でも、2つほど謎はあるわ。1つは誰が作ったのか? もう1つはお金はどこから出たのか? 輪兎ちゃん、その本読んだら正解教えてね。」

「あ、はい! でも・・・先生、それが謎なんですか?」

「実務者としてはねぇ。小説だから、その辺は適当にしちゃってるのかもしれないけど、リアルに実務やってる人間からすると、そこ一番疑問だわぁ。」

 そう言って先生は笑う。


「だって輪兎ちゃんだって分かるでしょ? こんな間取り、どうやって建築確認取るのよ? 確認取れなきゃ登記もできないし、売ることもできないのよ。確認書を偽造して工事を進めるなら、それなりに裏のお金だってかかるでしょうし、長い工事期間中には摘発されないとも限らないわ。ハウスメーカーなら1〜2ヶ月で出来ちゃうけど、そういうところではこんな間取りは不可能だし、そもそもそういうハウスメーカーは確認の取れない物件になんか手を出さないわよ。発覚した時の損害を考えたらリスキー過ぎるもの。」


 先生は新聞のページをぱらぱらめくってゆく。話しながらもちゃんと読んでいるらしい。

「あら、これ無罪になったんだ。良かったわねぇ。・・・で、もう1つの疑問だけど、ハウスメーカーが作ったんじゃないとしたら、この家の建設には少なくとも数十人の職人が何ヶ月にもわたって出入りしているはずよねぇ? その人たち全部を口止めすること可能かしら? もし可能だとしたら、安いお金じゃできないわよねぇ。

あるいは一旦確認を通して登記までしてから、こっそり中だけリフォームしたんだとしたら、2軒分とまではいかなくても近いお金かかるわよ。そんなに財力のある人が作ったのかな? 本読んだら、このミステリ小説がこのあたりどこまでクリアして納得できる解答を用意してたか教えてね♪」

 ここまで先生の話を聞いたら、それはわたしも気になる。だって「実務者」だもん。帰りに早速本屋さんに寄ってみよう。

「さて、午後から新しいお客さん来るし、明日の打ち合わせの分、午前中に片付けちゃうわよ。」

「はい。」


 午後のお客さんは「とりあえず相談だけでもいいですか?」という電話で訪ねてくることになった人だ。

 なんだか、よその設計事務所で話を進めているのだけれど、その設計士の言うことがどうも納得できないのでセカンドオピニオンが欲しいという依頼だった。

 その人が持ってきた話が朝の「間取り推理」の続きみたいな話で進む仕事になるとは、この時わたしは思ってもいなかったのだった。



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