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1 御堂寺設計工房

「とっても合理的な間取りだわね。」

 その間取りの載った本の広告を見せた時、先生はこともなげにそう言った。


 え? これが「合理的」?

 どこが? 動線混乱しまくりじゃない? 異常としか言えない間取りじゃない? 住宅としてあり得ないでしょ、こんなの・・・。


 新聞広告にはこんなキャッチコピーが書いてある。

『あなたはこの間取りの「謎」が解けますか?』

 ミステリー小説の広告だった。

 当然、広告主は「解けるまい」と思っているから、こんなコピーを載せるのである。

 広告に載っている間取りは1フロア分だけで、他の階の間取り図は載っていない。


「でも、2つほど謎があるわねぇ。まあ、ミステリなんだから当然なんだろうけど。」

と先生は言う。

 わたしにはわからない。そもそも、何が「謎」なのかさえ・・・。謎だとすれば、なぜ窓のない子供室を作ったのか? というところだろうけど・・・。




 わたしは工藤輪兎くどうわと。免許だけ持つ名ばかり建築士で、御堂寺みどうじ先生の元に来てまだ3ヶ月の駆け出しでしかない。

 その前は某大手住宅メーカーに2年ほど勤務していたのだけれど、「これが住宅作りなのか?」という疑問が湧いて、2年で退社した。その間、何のキャリアアップもあったようには思えない。

 そもそもお客さんとの打ち合わせに同席させてももらえないし、ただ営業さんが打ち合わせてきた内容で「明日までに叩き台作って」とか言われてパソコンのモニターに向かうだけだ。

 間取りプランの変更も、営業さんが打ち合わせてきたものをそのまま図面にするだけ。

 何かを提案しようとしても、もう少しこうした方がお客さんにとっていいのに、と思っても、「うん、いいのは分かるんだけど、それだとコストがかかっちゃって会社の利益が出ないんだよね」なんて言われてしまう。

 その「利益」の中から給料をもらっている身としては、それ以上は言えない。

 同時に法規のチェックもしておかないといけない。間取りプランを提示しちゃってから、「すみません! 建築法規に引っかかって、この通りにはできません」とかなったら、クレームになりかねないからだ。建築契約に至る直前で逃げられてしまうかもしれない。

 だから、じっくり間取りを考える時間なんかなくて、以前の間取りのCADデータを少しいじって敷地と要望に合うようにやっつけて・・・。

 だんだん仕事がそんなことの繰り返しになっていく。


 たしかに給料も福利厚生も悪くない。だけど・・・。

 わたしはこんなことをずっと続けていきたくて、大学の建築科に進んだんだっけ?


 辞めてから1ヶ月くらいは、何もしないでふらふらしていた。

 親には

「せっかく大学まで出して、ちゃんとした会社に就職できたのに。ちょっとワガママさせすぎたかねぇ。せめてムコさんくらい見つけてからやめればいいのに。」

などと言われて、家にいても居心地が悪く、少し遠くの映画館に映画を観に行ったりしていた。


 映画を観終わってもすぐに家に帰る気がしなかったわたしは、そのまま街の中を電車で一駅くらいの距離、歩いていった。

 モダンなビルが建ち並ぶメイン通りを外れるとすぐに、趣きのある古い商店街へと道は続く。

 お洒落なカフェがあると思えば面白そうな骨董品屋さんがあり、その隣に揚げたてコロッケを売っている店があったりする。

 小さいけれど凛とした佇まいの個人商店が並ぶその通りは、歩いているだけで気持ちよかった。


 カフェに入って休憩してみてもよかったのだけれど、わたしの目当てはその先にある住宅街なのだ。

 高級住宅街、というほどの場所ではないのだけれど、間違いなく「これは建築家の仕事だ」と思える住宅がいくつもある所で、学生時代にも一度同じルートで歩いたことがある。

 記憶をたよりにもう一度歩いてみて、2年間でついた会社の垢と疲れを落としたい、と思ったのだ。


 そこで見かけたのが、御堂寺設計工房の手がけた住宅だった。

 とりたてて奇抜な形をしているわけじゃない。ただ、1輪の花を飾ったような控えめな華やかさがあり、人を癒すような優しい佇まいをした住宅だった。まるで建物自体が微笑んでいるような——。

 和風でも洋風でもない。かといって無国籍でもなく、間違いなくこの日本という風土の中にあるべき建築だった。


 わたしは立ち止まって、その家をしばらく眺めていた。きっとはたから見たら馬鹿みたいに口を開けていたに違いない。


 これだ。

 と思ってしまった。

 ああ、わたしが作りたかったのはこういう家なんだ・・・。


 思ったらもう、わたしはその家のインターホンを押して、設計者の名前を聞き出すという行動に出ていた。行動力だけは昔から自信がある。(別名おっちょこちょいとも言うが)

 その家の方は嬉しそうに御堂寺輝子みどうじてるこの名を教えてくれ、親切にも家の中まで見せてくれたのだった。

 お客さんとこういう関係でいられる、ということが、そのままその建築家の設計姿勢を表しているようだった。少なくともわたしにはそう思えた。


 聞けば、御堂寺設計工房はこの近くにあるという。

 わたしはほとんど衝動的に、その足で御堂寺設計工房に向かっていた。


 そこは、設計事務所、という佇まいではなく、普通に住宅だった。しかし、間違いなく建築家の手になる素敵な住宅だった。道に面した小さなとんがり屋根の下に楕円形の窓が付いていて、その脇の緩やかな勾配の屋根からは煙突が出ていた。既製品ではなく鉄で作られたものだ。

 玄関ドアの脇の壁に、やはり鉄でできたロゴが打ち付けてある。


 御堂寺設計工房


 ただ、同じような住宅でも、さっき見た住宅とは少し違った感じがした。ディテールはよく似ているのだけれど、さっきのような華やかさのある優しさではなく、どっしりとした重さを感じたのは、わたしが少しビビっているからなんだろうか?


 そうだ。だいたい突然アポもなく訪ねてきて、どうするつもりだったんだろう? そうだよ。何やってるんだ、わたし。まずは電話ででも都合を聞いて、アポをとって、ちゃんと手土産を用意して・・・。

 社会人なら当たり前のことすら、忘れてるなんて・・・。


 出直そうと駅の方に向きを変えかけたとき、玄関ドアが開いて顔を出した40代くらいのおばさんと目が合った。

「あ・・・。」

 思わず、ぺこりとお辞儀をする。

「うちに何かご用ぉ?」

 優しげな眼差しと声で訊ねられた。

 わたしはどう答えていいか分からないまま、立ちすくんでしまった。

 何も用意してない。手土産も何にも・・・。


「あなた、設計関係の人でしょ?」

 え? どうして分かったの? わたし、何か、それらしい物持ってる?

「よかったら、中に入らなぁい? ちょうど休憩しようとしてたの。興味あるんでしょ?」

 え? で・・・でも・・・。

「大丈夫よぉ。所長のわたしが言ってるんだものぉ。」

 ええ? ええええええ!?

 じゃあ、この人が・・・、建築家、御堂寺輝子・・・さん?


 安藤忠雄。 とか、

 伊東豊雄。 とか、


 そういうふうに呼ぶ「建築家」と違って、思わず「さん」をつけたくなるような普通のおばさん感——。

 今しがた洗濯物でも取り込んでいたような雰囲気で、髪を頭の後ろでバンダナみたいなもので無造作に縛り上げ、ポニーテール(?)にしている。

 女性にしては背が高く、首も手足もひょろっとしていて、なんだかポパイに出てくるオリーブみたいな感じの人だ。


「あ・・・あの・・・。」

 わたしは、中が見てみたいという誘惑に打ち勝てず、ふらふらと玄関の方に近づきながら訊いた。

「どうして、わたしが設計やってるって分かったんですか?」

「ふふふ。推理よ、推理ぃ。しかも、職を探してるでしょ。」

 探偵事務所? ・・・じゃなくて、設計事務所・・・ですよね?


「種明かしは中でしてあげるわ。一緒にお茶しましょう。1人でやってると煮詰まっちゃうのよぉ。ちょうど洗濯物取り込んだとこだし、少ししたら子供たちも帰ってくるし、夕飯の支度しなきゃいけないし。あんまり時間はないけど、休憩時間にお話し相手がいるのは助かるわぁ。」

 主婦だ・・・・。(^^;)


 わたしは誘われるままに、打ち合わせ室に上がり込んでしまった。もちろん、普通に住宅だから玄関で靴を脱いで。

 玄関から幅の広い緩やかな階段が2階に続いている。驚いたことに、玄関の作り付け下足箱はゆるくカーブしていた。

 階段の右脇からドアを開けて入ったところが打ち合わせ室になっていた。

 打ち合わせ室といっても、セカンドリビングみたいな場所で、打ち合わせテーブルも元々はダイニングテーブルとして使っていたものらしい。

 その奥の書棚で仕切られた場所が、先生の仕事場らしかった。

 打ち合わせ用の椅子もダイニングチェアーのようで、木で出来ている。学校で習った有名なデザイナーのものではないが、座り心地はすこぶる良かった。

「座り心地いいでしょ、その椅子。伊佐木さんっていう木工家が作ったのよ。」

 住宅の一部を事務所として使っている——という感じだった。


 御堂寺先生は無造作にわたしの前にティーカップを置いて、そこにポットからトポトポとお茶を注いでくれた。

 カモミールのいい香りがする。

「どうぞ。よかったらこのパン耳ラスクも。わたし作ったのよ。そうだ。推理の種明かしだったわね。」

 そう言って、自分から先にお茶をひと口含んだ。

「あれ、インチキなのよ。実は加子母さんから電話があってね。」

 笑いながら舌を小さくぺろっと出す。加子母さんというのは、さっき家の中まで見せてくれた人だ。

「そっちに行くかも、って言うから、洗濯物取り込みながらベランダから見てみたら、うちの前で真剣な顔して見てる子がいるじゃなぁい? その視線が一般の人のそれじゃあなくって、明らかに設計系の人じゃなきゃ気がつかないようなディテール部分を追ってるんだもん。すぐ分かったわよぉ。」

 なあんだ・・・。びっくりしましたよ、先生。

「あ、でも、職探し中というのはどうして・・・?」

「お勤めしてたら、平日のこんな時間に気ままに歩いてたりしないでしょ? といって、学生さんって雰囲気でもない。自分で事務所とか立ち上げるにしては若すぎるし、学生起業なんかするタイプにも見えない。・・・だとしたら、っていう願望も含めた憶測だけど・・・。当たってた?」


 やっぱり、半分探偵じゃないですか・・・。

「あ、当たってます・・・。あの・・・、願望って?」

「当たってたんだぁ!」

 嬉しそうに顔の前で両手を合わせた。

「ちょうど手伝ってくれる人、探してたのぉ。うちなんかで良ければぁ——。」


 もちろん、わたしに異存があるわけがない。手土産持って出直してこようと思ったのは、それをこそわたしの方からお願いしたかったからなのだ。


 その時、奥から白髪の品の良さそうなお婆さんが1人出てきて、私にペコリとお辞儀をした。

「あら。輝子さん、お客さまだったの? ごめんなさい、こっちを通ってしまって。いつもお世話になっております。」

「あ、気になさらないで、お義母かあさま。スタッフ希望の方なんですの。工藤さん、っておっしゃるんですのよ。」

「あらまあ、そうですか。ふつつかな嫁ですけど、よろしくお願いしますねぇ。」


 なんか・・・、会話がおかしくないか?


「おしゅうとめさんなの。難しい話すると話が長くなるから、端折はしょった紹介でごめんねぇ。」

 主婦だ・・・。

「あ・・・あの・・・。わたし、採用していただけるんですか?」

「あなたさえ良ければ、なんだけどぉ?」



 そんな経緯から、わたしは御堂寺設計工房で仕事をすることになった。

 今どき珍しいんだろうと思う。こんなバカな選択をする20代なんて。

 大きな会社を辞めて、給料は大幅に安くなるし、社会保障も福利厚生もアテにならないようなアトリエ系設計事務所に勤めようとするなんて。

 他人ひとに言わせれば、酔狂にも程がある、ってことになるんだろうけど、わたしは魅かれてしまったんだ。御堂寺先生の住宅に。そして御堂寺先生その人に。

 だから、どんな待遇だろうとわたしは受け入れる覚悟だった。


 しかし、御堂寺先生が提示したその待遇は・・・。

 わたしの想像の斜め上をいくものだった。



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