第38話 逃げてと逃げない
ハイルトンは僕が無能だから殺すと言った。そしてエクレアとスイムがそれを否定したら今度は僕が有能であってはならないから殺すらしい。
本当につくづく身勝手な話だと我ながら思うよ。だけどあの男なら十分ありえるのかもしれない。
「有能な水魔法だから駄目だなんて、そんな馬鹿な話があっていいわけないじゃない!」
「スピィ!」
エクレアはハイルトンの言いぶりに腹を立てているようだ。スイムも一緒になって怒ってくれている。
「全くわからないお嬢さんだ。今も言っただろう? 魔法の名門アクシス家が当主ギレイル・アクシス侯爵がそこの塵を無能だと判断したのだ。旦那様の発言は絶対だ。だからここで殺す。旦那様の判断に間違いなどあってはならないからだ。故にネロ貴様はここで死ぬ。私が殺す」
ハイルトンは本気だ。このままじゃエクレアやスイムを巻き込みかねない。ハイルトンの戦う姿なんて見たことないけど、正直イヤな予感しかしないんだ。
「待て! 僕を狙うのはわかった。だけどエクレアとスイムは関係ない筈だ」
「関係はある。お前のような塵と行動をともにした。残念だがそれが不運の始まりだということだ」
ハイルトンに必死に伝えた。僕だけが狙いなら二人は逃しても問題ない筈だ。
だがハイルトンはそう考えていないらしい。僕と行動を共にしたからって巻き添えには出来ない。
「エクレアはギルドマスターの娘だぞ! 手を出したらただでは済まない。僕だけなら幾らでも相手してやるから彼女とスイムは逃げさせてくれ。僕とは関わりのない話なんだから」
「は? ちょっ、ネロ何言ってるのよ!」
「スピィ!」
エクレアが眉を怒らせて叫んだ。スイムも僕の判断を良しとしないらしい。だけど、駄目だ。これは僕の家の問題だ。それにハイルトンだってギルドマスターの娘と知れば――
「ハハッ、何かと思えば。全くこれだから塵は浅慮で困る。何故わざわざ私がこのようなダンジョンを選んだと思う? 貴様も含めて殺したところで幾らでも事故で済ますことが出来るからだ」
くっ、こいつそこまで考えていたのか!
「何ならその連中の死体も利用できる。そいつらは冒険者を騙ってはいるが実際は盗賊だ」
やっぱり――冒険者という部分を濁していたから怪しいとは思っていたけどね。
「お前らを片付けた後、その死体の側に転がしておけば盗賊に襲われて相打ちにあったように見せることも出来るだろう」
つまりこのダンジョンで盗賊に襲われあえなく死亡という筋書きにしたいわけか。しかもハイルトンは冒険者ではない。恐らく僕たちとの関係を知られるようなヘマもしなければ街に来ていた痕跡すら残していないだろう。
「――エクレア。やっぱりここは、スイムを連れて先に逃げて!」
「馬鹿ァ!」
「ぐほぉッ!?」
え、エクレアに思いっきり鳩尾を殴られました。膝ががくんと折れてめちゃめちゃ苦しいです――
「ネロはそれで格好つけてるつもり? 冗談じゃないわ! 私もスイムも貴方の仲間よ! そう思ってパーティーだって組んだ! それなのにこんな時に逃げろって――ネロにとって私達はその程度の存在なの!」
「スピィ!」
エクレアが僕の頬を柔らかい手で挟んで怒ってきた。スイムもやっぱり怒ってるみたいだ。
仲間、そう二人は仲間。だから僕の家の事に巻き込みたくなかった。だけど、それは結局僕の自己満足だったのだろうか――て!
「危ない!」
「キャッ!」
「スピィ!」
エクレアを押して地面に倒れる。背中すれすれを何かが通り過ぎていった。
これは、さっきあの盗賊の首を撥ねた――
「私のチャクラムからよく逃げたものだ。全くいつまでもくだらない茶番を見せられているのもたまらないのでさっさと殺したかったのですがね」
戻ってきた輪っかを指で受け止めハイルトンが言う。恐ろしいほどに血の気の通ってない目と声で。
「あぁそうそう。さっきから勝手に逃がすや逃げないやら言っておりますが、私は最初から全員逃がす気などありません」
片眼鏡を押し上げながらハイルトンが宣告してくる。
「全員仲良くあの世に送って差し上げますから後は地獄で仲良くやるといい」
そしてハイルトンがチャクラムに触れるとチャクラムの数が四つに増えた。もともと四本が重ね合わさっていたのか。
「死ぬ前に一つ教えて差し上げましょう。私の紋章は投擲。あらゆる投擲武器を私は扱えるのですよ。武芸・操投擲!」
そしてハイルトンが殺気を込めて四本のチャクラムを投げてきた――