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02 はじまり-伊豆にて- 時政

時政は、時房が沙羅を連れて来た事で、宗時を思わずにはいられなかった。

その昔、宗時が京から白拍子:葵と娘の桜子を連れて帰って来た。

時政が反対しているうちに、宗時が戦死し、時政は孫に会う事ができなかったのである。


北条氏は、伊豆の弱小豪族で、時政は幼馴染の江間氏の千枝ちえを妻に迎えた。千枝は気が強く、時政はその気性も含めて千枝を愛していた。彼女は、宗時と政子を生んで亡くなった。

千枝の死後、妹の百枝ももえを後妻に迎えた。百枝は気立てがよく、宗時・政子も百枝になつき、子供たち(娘達、義時、時房)にも恵まれた。


時政は幸せだったが、心から愛したのは、千枝であり、その面影を残す宗時を一番愛していた。

百枝が亡くなった時には子供も大きくなっていたので、時政は妻を迎える事はなかったが、大番役で上京した時に、「牧の方」に出会い。心を奪われて妻に迎えた。


牧の方との間にも子供が生まれ、また、何人もの孫がいる身にはなっていたが、宗時の娘に会う事ができなかったのは、生涯の心の残りであった。


時房が沙羅と沙夜を連れて鎌倉に戻って来た時に、宗時への償いの気持ちもあり(沙羅の父が高位の貴族である事も後押しして)、正式には認める事はしなかったが、二人の仲を黙認した。

何れ、時房も妻を迎えざるを得ないだろうという気持ちもあった。


沙羅に会うことはしなかったが、孫娘の姿は(政子の計らいで)見る事ができた。

時政にとって、沙羅の娘達は、会う事ができなかった宗時の娘:桜子でもあった。

北条時政は娘の政子(気が強い)と後妻の牧の方の事を考えると、どう考えても「気の強い女性」に弱かったと思いました。


伊豆の地には、北条のすぐ近くに南条という地名があるので、北条家はそこまで有力ではないという話があり、また義時が「江間小四郎」と呼ばれていたので義時の母(時政の妻)を江間の出身と仮定しました。

時政の妻は伊東入道の娘という説もありますが、ここでは、その節は無視しました。


この時鏡の中では、北条家の男たちは、「生涯の恋」をして、それが一族を苦しめる事になります。

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