9.お爺様
私が家を出て数日、教会付設の修道院に住みつきながら、ソフィアに勉学を教えつつなんとか元の身体に戻る方法を探していたけど、進捗は芳しくない。
教会に保管されている中でソフィアの閲覧可能な範囲の本や資料を当たってみたけれど、解かったことは精々、その昔魂や霊魂の存在を肯定する邪教の主が魂の開放を謳って大虐殺を行ったことと、それを理由に魂魄の存在が禁忌とされていることくらいだった。
これですら資料室の奥で埃をかぶっていた本を偶然見つけたくらいだから、私の身体に関すること、つまり霊魂やそれにかかわる魔術や現象なんて禁忌そのものについて書かれている本があるわけもなく。
かと言ってこの件で宛になるような知り合いも居ないし、居たとしても今の私では接触どころか認識すらして貰えない。
結果、私の身体を取り戻す方法探しは行き詰っていた。
逆に、その合間に教えているソフィアの勉学はとても捗っている。
最初は文字の読み書きも覚束なかったのに、数日で基本をほとんど覚えてしまったのには私も舌を巻いた。
私と出会った切っ掛けの婚約の儀式に派遣されてきた件も、急遽代理に決まって急いで儀式の手順や定型句を覚えたと言っていたし、地頭はかなり良い方かもしれない。
なにより教えたことを次々と吸収していくのは見ていて楽しい。おかげでソフィアに勉強を教える事が、行き詰っている私の身体に関する調査の息抜きになっているくらいだ。だからか、ついついそっちに力が入ってしまう。
丁度、今みたいに。
『そこは引っ掛けね。そこじゃなくて、こっちの文章に繋がるの』
「あっ」
私が文章を指差すと、間違いに気づいたソフィアが魔力石版に訂正を書き込んでいく。
『そろそろ休憩にしましょうか。魔力の消費も気になってくる頃合いだから』
「うん」
頷きつつ、ソフィアは魔筆と書き取り用の魔力石板を机に置いた。
『どう?疲労はある?』
「まだまだ大丈夫、だと思う」
ソフィアがぐっと拳を握ってアピールしている。うん、無理している様子も無いし、魔力的にも大丈夫そう。
魔力を流すことで薄く発光する魔力石版。それに魔筆を通して魔力を流すことで文字や図を書く。
ごく一般的な書き取りだし、適度に使う分には問題もないんだけど、これが地味に魔力を消費していくので、
連日かつ長時間やって疲労があまり見えないソフィアは、実は結構な魔力量の持ち主なんじゃないだろうか。
『じゃあ休憩が終わったら次は算術にしましょうか』
「うん。でも、いいの?」
『何が?』
「アイリスさんの身体のこと。調べなくてもいいのかなって。あ、勿論、勉強を教えてくれるのは嬉しいし、楽しい。でもそれだとアイリスさんの調べ物が……」
『心配してくれてるのね。ありがと。けど、調べようにももう宛がないのよね。ここの保管庫のそれらしい資料も一通り目は通したし、他のところに行こうにもこんな身体じゃいけるところは限られるから。』
「……もしかしたらお爺様なら何か知ってるかもしれない。昔ちょっとだけ霊のことを話してた記憶があるから、会えれば何か聞けるかも」
ソフィアのお爺様と言えば、確か前総主教だったはず。確かに、そんな立場に居た人物なら対立する教義のことに関して何か知ってるかもしれない。けど
『それは危険じゃない?霊魂に関する魔術やそれに近いものを探ってるなんてそこらの人に知られただけでも異教、いや、邪教徒認定されかねないのに、相手は前総主教でしょう?』
これが私の身一つならまだ邪教認定される可能性があっても割り切れるけど、今回の場合、実際相手に聞くのはソフィアで、何かあったとき被害を被るのも恐らく彼女だ。
これはここ数日で解かったことだけど、ソフィアは自分のことを結構軽んじている。自分の損に対して無頓着というか、受け入れてしまっている節がある。
だからこそ、危ない橋は渡らせたくない。ただでさえ巻き込んでしまった上に世話になっているような立場なのに、これ以上もたれ掛かると、彼女はぽきりと折れてしまいそうな危うさがある。
『もしそれが原因で貴女が何か危ない目にあったら、申し訳が立たないわ』
「多分、大丈夫。昔、私が”視える”ことを周りの人の言っちゃったときも、庇ってくれたのはお爺様だったから」
『そうだったのね』
意外だ。曲がりなりにも一宗教のトップなんだから、もっとそういうことに厳しいものだと思っていたけど。
『なら私の危惧してた危険は少ないのかしら?』
「うん。でも、会えるかどうかが解らない。お爺様は総主教を引退してからも忙しそうにしてるし、面会もずっと先まで埋まってるって……」
『元々手がかりも何もない状態だったんだから、十分よ。後はどうやって会うか、ね』
正攻法でソフィアに面会を申し込んで貰う手もあるけれど、かなり時間がかかりそうだから他に接触できる手段があればそっちを取りたい。
こういう時教会に顔の効く知り合いでもいれば良かったんだけど、生憎教会側に私の知り合いはほとんど居ない。
「私も1年以上会えてないの。だからどうすれば会えるのか解らなくて」
『1年も……』
頼みの綱のソフィアも、あまりそういう伝手の多い方ではないのは、ここ数日でなんとなく理解している。
「その、ごめんなさい。本当はもっと早くお爺様のこと、言えば良かったんだけど、会えるかどうかもわからないのにって考えたら言い出し辛くて……」
『気にしないで。事実、資料だけで解決していればその方が早かったんだから、知っててもやることはあまり変わっていなかったと思うし。それよりも、どうやって会うかを考えましょう』
「わかった……」
とは言ったものの、私も特に何も思いつかない。せめて生身の身体ならもう少しやりようもあったんだけど、今は私が口を出してソフィアに代わりに何かをやってもらうのが関の山だ。
あまり無理はさせたくないし、出来るだけ穏便な方法を模索したい。なら、まずはお爺様の話を聞いて人となりだけでも知っておくのが先決だろうか。
『ところで、貴女のお爺様はどういう人なの?』
「うーん、優しい人?」
『優しい?』
「私が”視える”ことを言っちゃって、周りの人に避けられるようになってからも、お爺様だけは変わらずに接してくれたから」
『へえ』
思っていたよりお爺様はソフィア寄りらしい。
『でも、それならなんで1年も顔を合わせてないの?』
「何度か会おうと思ったんだけど、お爺様の周りの人に止められて……」
しゅんと、ソフィアが肩を落とす。
なんとなく状況が見えてきた。どうやらお爺様はともかく、その周囲には受け入れられていないらしい。お爺様も前総主教なら今もそれなりの影響力はあるだろうし、
その影響力をソフィアにも広げないために、ソフィアを嫌っている人たちが妨害している、とかそんなところだろう。
『それなら何か方法も』
ありそうね、そう続けようとした時だった。
廊下からドタドタと走るような音が、誰かが言い争うような声と共に近づいてくる。
修道院ではほとんど聞かないような大きな音に、私はつい言葉を切って、その音に耳を傾けた。
「お戻りになってください!私どもがお取次ぎしますので!」
「いいから、通してはくれんか」
声からして男性が二人、若い人と老人の二人組だろうか。声を荒げているのが若そうな方で、その声には焦りのようなものすら感じる。
逆にもう片方、老齢の男性の声はかなり穏やかだ。
「この声は……」
『知ってる人?』
ソフィアが何か気づいたようだ。
「多分だけど、私の」
ソフィアが何かを言いかけると同時、足音がこの部屋の前で止まり、誰かが扉をコンコンとノックする音が響いた。
「入ってもいいかい?ソフィア」
「うん。鍵も、開いてるよ」
ソフィアが返答すると、ゆっくりと扉が開く。そこに立っていたのは、大柄な白髪の老人だった。
「久しぶりだねぇ、ソフィア。1年と少しぶりだ」
「お爺様!」
『えっ、おじ、えっ?!』
こうして、ソフィアのお爺様との邂逅は思わぬ形で叶うことになった。