8.生い立ち
07/16加筆修正
ソフィアの力を借りて屋敷から出る事の出来た私は、そのままソフィアの乗ってきた馬車に一緒に乗り込んで教会へと向かった。
道中色々と話したいこともあったけれど、私の声はともかくソフィアが私と話していると、傍から見ると完全に独りごとになってしまう。流石に馬車の中では御者の目もあってほとんど話すことも出来ず、道のりは静かなものだった。
貴族区域を抜けて中層区に入った頃、馬の嘶きと共に馬車が停止した。ソフィアが私の方を向いて軽く頷くと、馬車を降りていく。どうやら目的地に到着したようだ。
王都のやや東、貴族区と平民区の境に位置する場所に立つ正教会の中心、王都中央大聖堂。荘厳な大聖堂を備える王都一の教会の前に、私たちは降り立った。
『やっぱり、ここの教会だったのね』
王都にある教会、というと他にも幾つかあるけれど、ソフィアも儀式に必要とはいえ貴族区域にわざわざ招かれるような聖職者ならここの所属だろうと目星はつけていた。
目星をつけていただけで確信を持っていたわけじゃないけど。
私が確信を持てなかった理由は単純で、中央聖堂の場所は貴族区域に近いこともあって貴族と繋がりのある人物も多数所属していると聞いている。1代限りの爵位を持つ名誉貴族なんかも過去にはいたようで、
そういう人間たちは往々にして、態度が貴族寄り、つまり言葉にどこか含みを持たせたり腹芸を得意とする者が多い。だから、独特の雰囲気があるんだけど、ソフィアからはそういうものを全く感じなかった。
私の聞いていた話と実態が違うのか、ソフィアだけがそうなのかはわからないけど、とにかく行ってみないことにはわからない。
そう結論づけて、いざ教会に入ろうとした私は”透明な壁”に阻まれた。
『なんでここにこの壁が』
「あっ、ごめんなさい。馬車の中で言うつもりだったんだけど、言いそびれちゃって。今開けるね」
グランベイル邸にあったものと同じ壁が教会にもあることに驚く私をよそに、まるで家の鍵でも開けるかのような気軽さでソフィアが手早く魔術を解きほぐしていく。
それで私はピンときた。ソフィアが私の家にあった魔術の壁のことを、似たような物を知っているからなんとかすることが出来ると言っていた、似たような物とは、この教会の周りにある魔術のことだったのだ。
『でもいいの?勝手にそんなことしちゃって』
「うん。元々はお爺様が張った魔術で、そのお爺様が、いつか必要な時が来たら使いなさいって、開け方を教えてくれたの」
魔術を解除し終えたソフィアが教会の中に入っていこうとするので、私も後をついていく。一応、この魔術の主には了承済みらしいので遠慮なく通らせてもらおう。
しかし、屋敷にあった魔術もそうだけど、この規模の魔術を使えるということは相当な使い手のはずだ。他の話の中にも度々上がっている辺り、ソフィアのお爺様も中々に謎に包まれた人物だ。
私はソフィアにお爺様とやらのことを尋ねようとして、ふと、周囲が異様な雰囲気であることに気付いた。教会に足を踏み入れたソフィアを遠巻きにするように、道を歩く人がソフィアを避けているのだ。
周囲を通り過ぎていく人たちは、ソフィアに露骨に嫌な顔をしたり敵視するのではなく、どちらかと言うと極力関わりたくないとでも言わんとばかりに目を逸らす。世間話に花を咲かせていたシスターたちも、ソフィアの姿を見るなりピタリと話を辞めて早足でどこかへ去っていく。
ソフィアもソフィアで、曇り気味の表情で俯いてはいるけど、まるでそう扱われるのを受け入れているように、何も言わずにすたすたと歩いていく。
嫌な静けさの中、人の歩く足音だけが教会内に響く。そんな中で話しかける気にもなれなくて、私も無言でソフィアの後に続いた。
お互い言葉を発することもなくしばらく歩いてたどり着いたのは、大聖堂の横に付設された修道院だった。
廊下にずらっと並ぶ扉の横にナンバープレートが下げられている。時折他シスターが出入りしているので、ここがシスターたちの主な居住区なのだろう。
ソフィアはそのまま廊下の奥にどんどん進んでいくと、一番奥にある部屋の扉に手をかけた。
部屋の中に入っていくソフィアの手招きで、私も部屋に足を踏み入れた。
そこは、私の想像していた一般的なシスターの居住区とは全く異なる部屋だった。
まず何よりも広い。私の私室ほどではないにしろ、物が少ないことも相まって確かにこれは一人で過ごすには少々広すぎる。
ベッドやテーブルなどの調度品も数こそ少ないけれどそれなりの品質でまとまっている。正直、これなら男爵位くらいの貴族の部屋と聞いても違和感のないくらいだ。
「えっと、ここがわたしの部屋だよ。滅多に人は来ないから、ここならアイリスさんと話してても大丈夫」
『じゃあ改めて、お邪魔するわ。それと、これからよろしくね』
「うん!」
さきほどまで暗かったソフィアの表情が一転、花の咲くような笑顔に変わる。うん、やっぱり俯いているよりも彼女は笑っている方が絵になっている。
そうなると、さっきまでのソフィアに妙に余所余所しい人たちやソフィアの教会での立場も気になるけれど、さっきの今で直球に聞く勇気は私にはない。
なので、ここは一旦貴族らしく、遠回しに外側から攻めていくことにする。
『落ち着いたところで、まずは現状を整理しましょうか。成り行きでこうなったわけだけど、私たちはまだまだお互いのことをそれほど知っているわけでもないから、色々と、ね』
こくりと、ソフィアが頷いたのを確認して、私は改めて生い立ちや現状を説明していく。私自身のことや、家のこと、身体を早く取り戻さないと貴族としての面子が大変のことになるだろうこと。
『で、転生者と自称していた何かに乗っ取られた身体を取り戻すのが私の目的というわけね。出来れば、殿下との婚約が大々的に発表される前に』
そうじゃないと、私の身体を使って転生者が何をやらかしているか、想像するのも恐ろしい。
「なら、2年後までに?」
貴族間での婚約は、まず見届け人を交えた婚約を行ってから2年間の準備期間がある。
その期間を終えた2年後に大々的にお披露目するので、ソフィアの言う2年とはそのことだろう。けれど
『出来れば、1年後に控えた王立学園への入学までが理想ね』
私は1年後に、貴族子女の集まる王立学園への入学が控えている。婚約の件もそこで大々的に広まってしまうのは想像に難くないので、可能ならそれまでになんとかしたい。
「王立学園……私と同じだったんだ」
『ん?ソフィアも王立学園に通う予定なの?』
「うん。1年後だから、丁度アイリスさんと同じ時期」
驚いた。勝手に年下だと思っていたソフィアが同年だったことにもだけど、それ以上に王立学園に通えるような地位にソフィアが居る事に。
王立学園は主に貴族子女の通う学園。だから、貴族位を持ってない平民で通えるのはほんの一握り、よほど大きな商家か、特別な地位を持った人物の子になる。
一応推薦という制度で平民が通うこともできなくはないけど、少なくとも私は通っていたという平民を聞いたことが無い。
『ソフィアは貴族の血筋なの?』
「ううん。そういうわけじゃないけど、私のお爺様が前総主教だから……」
『総主教?!』
ソフィアの家族は教会の中である程度の地位にはいるだろうことは、今までの諸々からなんとなく察してはいたけど、まさか総主教だとは思わなかった。
総主教と言えば、教会組織のトップだ。その孫娘ということは、ある程度の地位どころじゃない。
それなら下手な貴族よりも影響力も発言力もある。
『王立学園に通えるのも納得ね……』
「で、でも私は末娘で、兄さんたちと違って何も出来ないから、だから、学園に通うのもお情けで……」
『それは、誰かにそう言われたの?』
「う、うん。司教の人たちがそう言ってて……」
おどおどと頷くソフィア。
ソフィアの教会内での立ち位置が段々と見えてきた気がする。聖堂内で避けられているような気がしたのは気のせいじゃなかったらしい。
なんだか腹立たしい。私が怒るのは筋違いかもしれないけど、私を助けてくれた彼女にあまり肩身の狭い思いをしてほしくはない。
だからと言って今の私に出来ることなんてほとんど無いのがもどかしいけれど。
「魔法も勉強も、兄さんたちより出来ないし、私は魔物憑きだから仕方ないの……」
『魔物憑き?』
「うん。魔に憑かれたこの世ならざる力を持つ忌むべき者だって今の総主教さまは言ってた」
『貴女が”視える”から?』
「……うん。小さい頃に、周りの大人の人に魂が視える事を言っちゃって、その時から」
魔物憑き、か。ソフィアはその頃からそういう扱いを受けてきたんだとしたら、かなり根の深い問題かもしれない。
特に風評は一朝一夕にどうにかすることは出来ない。
『そうなのね。ねえ、ソフィアはその状況をどうにかしたいとは思わない?』
「……思わなくはない。けど無理。私が魔物憑きなのは皆知ってるし、それで勉強を教えてくれる教師の人も気味悪がって皆居なくなったって兄さんが言ってた。
お爺様だけは聖句や儀式を教えてくれたけど、お爺様は忙しいから……。一人で勉強しようとしてみてもやっぱりわからなくて、だから、わたしはお爺様たちと比べて、出来ない子でも仕方ないの」
言いながら、ソフィアの表情はどんどんと暗くなり、顔を下を向いていく。
ソフィアの、総主教の孫娘という地位にしては言葉遣いや所作がどちらかと言うと平民寄りで、なんだかちぐはぐだった理由がこれで解かった。
魔憑きというのもただの偏見で、何ら本人に悪いところが無いのにそう言われているのも腹立たしいけれど、ソフィアなりの努力が否定され、出来ない子呼ばわりされているところも許せない。大体、教える人も居ないのに勉学なんて捗るわけがない。
書物でもあれば一人でもできなくはないけど、わざわざ勉学のために書物を用意できるのはそれこそ高位貴族くらいだろう。
『解かったわ。確かに魔物憑きと呼ばれるのをすぐにどうにかするのは難しそうね』
「だよね。だから私は」
『でも、それ以外をどうにかすることは出来るわ』
俯きかけていたソフィアの顔が、わずかに持ち上がる。
結局、どれだけの風聞があろうが、それを態度と実績で吹き飛ばしてしまえばいいのだ。
『勉学なら私が教えてあげる。所作も何も、馬鹿にされないくらいに。魔法は教会で教えられる系統が使えるかは解らないけど、一般的なところなら教えるわ』
「いいの?私は出来ない子だよ……?」
『出来ないかどうか、それはこれから決まることで、今の貴女の正しい評価じゃないわ。そんなこと、やってみて初めてわかるんだもの。それとも、勉学は嫌?』
「ううん……ううん!やりたい!」
ソフィアは嬉しそうに頷きながらそう言った。
良かった、余計なお世話ならどうしようかと思ったけど、本人も乗り気だ。これでもしやっても出来なかったらソフィアをよりどん底に突き落とすだけになってしまうけれど、実は勝算はある。
礼節や言葉遣いなんかも教えられてないはずなのに、殿下の前で行った儀式に関してだけはほぼ完璧だった。途中でイレギュラーが挟まった時は狼狽してしまっていたけど、それでも基本は出来ている。
お爺様に教えられたとは言っていたけど、他の基礎が無い状態でそれだけ教えられても普通は出来ないことの方が多いはず。なのに、あの時は所作まで出来ていたのだから、元の素質は悪くないはず。
だから教えれば変わると思う。それにソフィアの所作が変わることでもし周囲の目が好転したら、人づてに私の身体についての情報も集めやすくなるかもしれない。つまりは、これはただソフィアを慮ったわけではなく、私はあくまで一端の貴族として私の利益を追求した結果であってソフィアの置かれた状況に対する憤りとかどうにかしてあげたいとかそういうのじゃない。そういうのじゃないのだ。
『んんっ。なら、やりましょう。あ、遠慮は要らないからね。私も貴女に色々手伝って貰ったし、これからもお世話になると思うから、そのお返し』
「わかった。よろしく、おねがい、します。アイリス……先生?」
『先生は辞めて。なんだかこそばゆいわ』
そう言って、私とソフィアは目を合わせてから、お互いなんだかおかしくなって笑いあった。