68.カステルの使用人
見たこともない使用人が話しかけてくる、この時点で私の警戒心は相当に高まっていた。
貴族か平民でも有力な者ばかりが通うこの学園において、使用人が主人以外の生徒に話かけることはほとんどない。
何か用があるにしても、大抵は専属の使用人に話が一旦行くか、私みたいに専属が居ない場合は伝手のあるところ、マリー辺りから話が来るはずだ。
それなのにわざわざ廊下で面識のない私を呼び止めたというのは、普通じゃないはずだ。
その上で、彼から出たサクラの名前。
私は近づいてきた使用人を制すると、警戒心も露わに彼から一歩距離を取った。
「どちら様でしょうか」
少々の威圧を込めて声をかけると彼はビクリと肩を跳ねさせ、茶色の髪に隠れがちな黒い瞳を不安に揺らしながら、カクンと頭を下げた。
「も、申し訳ありません!使用人ごときの僕がこうして貴族様にお声がけするなど失礼極まり無いことだと理解はしています。で、でも、どうしてもお聞きしたいことがあるのです」
平身低頭。まだ何の話も進んでいないのに、何度も何度も頭を下げる彼のあまりにも必死な様子に、先に根負けしたのは私の警戒心の方だった。
「頭をあげて。私は貴族じゃないですし、そこまで畏まらなくてもいいですよ」
「な、なんだ。貴族じゃないんだ。それなら―」
「ストップ。畏まりすぎることは無いですけど、最低限は整えてくださいよ。お互い学園での立場もあるでしょう」
ピンと伸びていた背筋をだらけさせて、急にフランクになりかけた使用人を、私はキッと一睨みして彼の続く言葉を止めた。
この学園は身分の高い者が多いだけあって、礼儀や身分差に厳しい。特に生徒間では肩を並べて学ぶということである程度見逃される部分がある代わりに、使用人と生徒の間には明確な線引きがある。
それを踏み越えるということは、その使用人の主人の不躾に当たる。
今の私は平民だけど、それでもこの学園においてはあまりいい顔はされないだろう。
誰かに見られでもしたら彼の主人にとっても不利益だろうし、火の無いところだって煙をたてたがる貴族の子息が通う学園だけに、私も巻き込まれることは間違いない。
彼もそこに思い至ったのか、口を噤み青い顔で周囲をキョロキョロと見まわしてから、誰も居ないことを確認してほっと息をついた。
「落ち着いたようで何より。それで、貴方は何者で、要件は何ですか」
「ぼ、僕はデューイ家の使用人のポロと、言います。あの、貴女様がサクラ様のことを聞いて回っていた方、ですよね。……僕の主人を、カステル様の行方を知りませんか」
デューイ家というと、確か北方に小さな領地を持つ子爵家で、カステルは学園に入学していたその子息だ。
その彼はこの間自主退学し、領地に戻ったという話を小耳に挟んだことがる。
退学自体は当主交代や領地の事情、婚姻などでそう珍しいことでもないから気にも留めていなかったけど、彼に一体何かあったのだろうか。
「先月頃、途中退学なさった方、ですよね。残念ながら行方どころか面識もありません。けれどそれを何故私に?サクラと何か関係があるのですか」
ポロは私がカステルのことを何も知らない様子に僅かに落胆しながら、神妙な顔で首を振った。
「あれは途中退学などではありません。……あの方は、行方不明なんです。ある日学園で居なくなられて、そのまま。
居なくなる直前、カステル様はよくサクラ様と会っておられました。話を聞こうにも、そのサクラ様も近頃学園で姿が見えないご様子。
それで、サクラ様のことをあれこれ聞いて回っておられる貴女様ならば何か知っておられるのでは、と」
ポロは焦りと憔悴を隠そうともせずに、額に零れた汗を拭った。
幾ら主が行方不明とは言え、わざわざ見ず知らずの貴族(だと勝手に思い込んでいただけだけど)相手に一対一で話を聞きにくるくらいだ。
それだけ主のことを真剣に探しているのだろう。
元々サクラが関わっているということで話は聞くつもりだったけど、私もそれ相応に応えないといけない。
「事情は分かりました。ですが、一つ。それが本当ならば随分な大事なのに、話すら聞かないのは何故でしょうか」
貴族家の子息が行方不明だと言うなら、いくら子爵家と言えどもっと大々的に探されるか、逆にこんな風に話すら漏れないほど徹底して口止めするかのどちらかのはず。
それなのに私はその話を聞いたこともない。学園に来てからは、その辺りの話を意識して聞いて回るようにしているのに、だ。
軽く首を傾げて見せると、ポロは目を伏せ、それは、と言い淀んだ。
「……子爵様とカステル様はあまり仲がよろしくない、とだけ。それ以上はとても僕の口からは。
で、でもカステル様はとても良い方なのです!僕みたいな下層の住民にも兄弟のように接してくださって。どこかへ行かれるときも、僕にだけは必ず行先を教えてからと、あの日以外は……」
「互い想いの良き主従なのですね。……カステル様と面識はありませんが、私の探しものとどこかで繋がっているかもしれません。カステル様のことで何か解ったら貴方にも伝える。代わりに貴方もサクラのことで知っていることを教える。そういうのはどうでしょうか」
私にとっても、ようやく見つけたサクラに繋がるヒントだ。放っておけないだとか、他の想いは置いておいても、取引としては悪くない。
私の提案にポロは目を潤ませ、ありがろうございます、と何度も何度も頭を下げた。
「頭をあげてください。私だって善意だけで言ってるのではありません。サクラとカステル様、二人の間にどういう交流があったのか、何か変わったことを話していなかったか。それが聞きたいのですから」
「僕が話せることはあまり多くはありませんが、それで良ければ」
ひとまず食堂の端の目立たない席にポロを座らせて、私もその対面に座る。
授業が既に始まっている時間だけあって、食堂はがらんとしていた。
「それで、どういう交流があったのですか」
「切っ掛けはサクラ様が声をかけてきたことからだったと思います。珍しい魔法具があるだとかで。カステル様もそういったものに目がない方で、そこから段々と話が膨らんで。それから数日に一度程度の頻度ですが、会って話す程度の間柄になりました」
「ただ会って話していただけ、ですか?」
「そうです。僕もご一緒していたことが多かったのですが、何かおかしなことをしていたというわけではありません。ただ……」
話の最中で言葉を詰まらせたポロに、ただ?と聞き返すと、ポロは嚙み切ってしまいそうなくらいに唇を強く噛みしめ、眉間に皺を寄せた。
「カステル様は元々活発な方だったんですが、サクラ様と会うたびに口数が減っていって、僕も最初は調子が悪そうだくらいに思っていたのですが、行方不明になられる前日などは、一言も発せられないような有様でした。僕がもっと強くあの方をお止めしていれば……」
「……そんなことが」
それがサクラの仕業だと断定されたわけではないけれど、もしもそれが彼女のせいだと言うなら、許されないことだ。
彼女による被害がソフィアだけに留まらないというのであれば、一刻も早く彼女の足取りを掴まないと。
「他にサクラのことで何か知ってることは?住んでいる場所とか、頻繁に出入りしてたところとか」
「すみません。カステル様もあまり私生活に突っ込んだ話はされなかったので……あ、でも一度だけ、ディンダー公爵のところに行くと、聞いたことが」
「ディンダー公爵……」
学園に圧力をかけられるような立場に居て、サクラと繋がりのある可能性があった一人。
そんな公爵とサクラの繋がりがか細いながらも見えたというのは、大当たり、そう言って差し支えない成果だ。
その後も幾つか質問したけど、それ以上の話は出て来ない。
潮時、そう感じた私は時計を軽く見やってから席を立った。
「ありがとう、助かりました。そろそろ次の授業なのでここで。何かわかったら連絡しますね。連絡先は……どうしたらいいかしら」
「今は臨時で学園の清掃員をしてます。……僕は子爵家ではなくカステル様に仕えていましたから。だから、勤務時間は学園に居ますし、清掃員の誰かに伝えて貰えれば、僕に伝わると思います」
「わかりました。ではこれで」
「御止めして申し訳ありませんでした。それと、カステル様のこと、よろしくお願いします」
ポロは深々と頭を下げて、食堂から私が見えなくなるまで頭を上げることは無かった。