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54.禁忌の研究者



こっそり学園から抜け出した私たちは、裏通りからマリーの手配した馬車に乗り込んだ。

アヤメが御者に指示を出し、向かうのは王都の外。さらに街道からも外れた辺鄙な場所。

整備されていない道でがたがたと揺れる快適とは言えない座席に身体が痛み訴え始めたころ、馬車はようやく停車した。


森の入り口を覗いた場所にぽつりと廃墟のように佇む一軒家。

おおよそ人の住処とは思えないようなこの場所が、私たちの目的地。

アヤメが御者にお金を握らせて迎えの時間を指定して、馬車は近くの宿場町へと引き替えしていく。


金色の髪を微風に揺らしながら、私は目の前の廃墟紛いの家をまじまじと見渡した。

人の気配どころかところどころが緑に覆われて、玄関には呼び鈴すら見当たらない。

家の奥に見える畑がギリギリ人が住んでいることの証明だろうか。


門番もなく呼び鈴も無い。招待も紹介も無い家にさてどうやってアプローチしたものかと右往左往していると、アヤメはそれを意にも介さずドアをドンドンと強くノックした。

仮にも男爵家を相手にそんな、と私の中の常識が警鐘を鳴らしていたけれど、ここではそれが正解だったらしい。


「はいはい、ちょっと待ってねー」


畑の奥から聞こえてくる若い男の声。突然の訪問にも関わらず、その声に不快げな様子は微塵もない。

だけど、はて、どこかで聞いたことのあるような。

気を抜けば簡単にすり抜けそうなほど僅かな引っ掛かりは、目の前に現れた青年を見て確かな形を結んだ。


「いやー、どうも。こんなところにまで来る者は少なくてねえ。あれ、キミどこかで」


「アイリス様のお店ではお世話になりました」


「あぁ!あの時の。いやはや、縁というのもあるものだねえ」


私が軽く頭を下げ、合点がいったと指を慣らす青年。

私としても驚きだ。アヤメの店で偶然出会った人と、またここで出会うとは。

この人はオーロ男爵。ただしはオーロ男爵家の次男とつくが。以前、アヤメの店で私とソフィアが暇を持て余していた折、イキイキと商品の解説をしてくださった方だ。


「そうだ。あの時は紹介していなかったねえ。改めて、オーロ男爵家次男、ロイエスだ。と言っても家督とは程遠い次男だから、気軽にロイエスと呼んでくれよ」


挨拶を受け、ぼーっとしているアヤメをこっそり肘でつつく。

アヤメにしてみれば私が挨拶を受けたのだから私が返すものとでも思っているのだろうけど、流石に庶民の私が侯爵に先んじてというのは体面が良くないどころの話じゃない。

ロイエス様はまあ、こんなところに侯爵が足を運んでいるなんて思いもみないだろうから仕方ないだろうけど。

何度目かの肘でようやく”順番”に思い至ったのか、アヤメも慌ててスカートの端を軽くつまんだ。


「グランベイル侯爵家、アイリス。初めまして、ロイエス。こちらは友人のフィリスよ」


慌ててさえいなければ及第点だろうか。そんなアヤメの紹介に合わせ、私も深く頭を下げる。

すると、今度は逆にロイエスが慌てふためく番だった。


「ア、アイリス様?!数多の革新的で新しい品物を作り出し、その頭脳は三十年先を行くと言われているあの?!」


なんだろう、そう言われるとアヤメがとてつもない偉人に見えてくる。いえ、言ってることはそう外れてもないし、アヤメの世に出したものとそこからの功績を考えたら偉人と言っても過言ではないんだけどその。

火魔法もかくやという情熱で迫られたアヤメに至っては、両目は泳ぎかつてないくらいに動揺している。

ロイエス様が土の地面にも関わらず跪きアイリスへの賛美を始め、アヤメの喉からひっという声が漏れたところで、私は助け船を出すことにした。


「アイリス様。そろそろ本日のご用件を」


「えっ、あっ、ああそうね!そう。今日はクリエット男爵に会いにきたの。ここにいらっしゃるでしょう?」


ピリリと、空気が痛みを帯びる。クリエット、その名を出した瞬間それまで陽気だったロイエスが一変し、社交界のような、ごくごく貴族らしい薄い笑みを顔に張り付けた。


「確かに私はクリエット男爵の知己でありますが、何用で?」


「禁じられた魔法について。被害があった、その解呪依頼よ」


値踏みするような目線と、腹を探りあうようなたっぷりの沈黙を経て、オーロ男爵はおもむろに廃墟もどきの扉を開いた。


「続きは中でお伺いしましょう。あなた方が真実、被害者だと言われるのであれば、きっとお力になれることでしょう」








外見の割に意外にも綺麗な家の中、簡素な木の椅子の上で、アヤメはソフィアに起こったことと現在の状態の全てをロイエスに話してみせた。

ロイエスは神妙な顔で聞き入り、話が終わると深く腕を組んで目を閉じた。


「お話はわかりました。そのような場所であの魔法が行使されるなど俄かに信じかねますが、お話に聞く状況がそれを証明している。八割方真実、残り二割も僕が直接その娘を見ることで埋められるでしょうね。なるほど我が師、クリエットを訪ねてこられるわけだ」


城へと踏み入る相手を値踏みする門番のような態度が氷解し、ロイエスの態度が概ね好意的と言っていい柔らかさを取り戻す。

説明するアヤメにとってもここが試練の一つだったのだろう。彼女の僅かに強張っていた顔が綻ぶ。


「なら、クリエット男爵に!」


「出来かねます」


これでようやく希望が通ると信じて声をあげたアヤメに返ってきたのは、断固とした拒否。


「なんで!」


思わず立ち上がろうとしたアヤメに、ロイエスはしかし、落ち着いて待ったをかけた。


「お話にケチをつけようという話ではありません。お話と、まあ後は僕の個人的な感情もありきですが、僕という個人は今のお話を完全に信じても良いと思っています。どちらかというと、クリエット男爵にアイリス様の望む意味で会わせることは出来ない、というのが正しいのです。今、彼の方は他人に会える状況にないと言いますか」


「えっ」


驚くアヤメが僅かに漏らした、早過ぎる。という声を私だけが聞き逃さなかった。アヤメの中に、クリエット男爵に会えないことへの驚きとは別の種類の驚きがあることに勘付ける程度には、私も彼女との付き合いは長くなってきたらしい。

多分だけど、アヤメはクリエット男爵が今どうなっているのか、原作の知識で知っているのだろう。


「ですが、ソフィア嬢の一件なら、僕が代わりをしましょう。僕もクリエットの弟子なので、アイリス様の言うところの魔法について心得が無いわけではありません。アイリス様?」


「弟子……うん?あ、ごめんなさい、ロイエスが解決できるのならそれでもいい。必要なものがあればこっちで用意するね」


話半分と言った様子で頷くアヤメ。先ほどから、彼女はソフィアの話とは別の何に気を取られている。彼女だけが、嗅ぎ取った何か。

とはいえ私にそれを察することは出来ない。彼女にしかわからない何かの可能性も大いにある。

よって私が出来ることは、ただ代りに話を進めること。侯爵と男爵の話に庶民が割って入るなんて普通は不興を買う可能性が高いけど、ロイエス様はそういうタイプではないように見える。

仮に不興を買ったとしても、買うのは私だけだろうし。


「日取りも全てそちらに合わせます。お願いできますか男爵、ソフィアのことを」


苦い物を飲み込む時のように顔を顰めるロイエス様。最初、私の読みが外れて不興を買ってしまったのかと思ったけど、どうやらそれとは少し毛色が違う。


「断言はしかねるよ。代わりは出来ても僕は師じゃない。解決できるかは良くて半々、完璧な状態で魔法が行使されていたら……絶望的だ。それでも?」


絶望的。そう告げられて、噛み締めた口の中から鉄の味がした。心が鉛のように重くなって、頭まで、その重さにつられて落ちようとする。けれど


「僅かにでも可能性があるのなら、お願いします。それでも無理なら、ロイエス様に師と弟子という関係があるのなら、私もそこに混じって学びます。ソフィアのために」


意思の力で顔を持ちあげる。私には、下を向いている時間なんてない。絶望的でも、それが無理なことでも、私はソフィアのためなら道理だって捻じ曲げてみせる。


「……この魔法は禁忌だ。余人が軽々しく触れるなどと言っていいものではないよ」


ロイエスの鋭い視線が私へと突き刺さる。間違いなく威圧的と言えるそれを、私は正面から見返した。視線の衝突。

僅か数秒の出来事ではあったが、その刺々しい雰囲気は、ロイエスの大きな溜息で霧散した。


「だからこそ、僕は成功させるしかないみたいだね。そちらのほうが、フィリスくんを翻意させるよりは簡単そうだ」


肩を竦め、軽く笑うロイエスは席を立つと、家のさらに奥、私室へと足を向けた。


「急ぐんだろう?なら、最初の診療の日取りは今日でどうかな。馬車でここまで来たみたいだし、帰り道にそのまま同道出来るなら話が早いと思ったんだけど」


私たちがその言葉に否と返すはずもなく。


ロイエスが私室で用意を完了するのと、馬車が宿場町から引き返してきたのは、ほぼ同時刻だった。


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