51.関係
「アイリスは元々この世界の人間じゃないの」
そんな語りから始まったアイリスの話は、普通ならとても信じられないようなことで満ちていた。
転生者の元々居たという、魔法が存在しない別の世界の話。魔法の代わりに科学が発達して、話を聞くに魔法よりよほど魔法なんじゃないかって思うような物がたくさんある世界。
その世界で私たちはある物語の登場人物で、アイリスはその物語のファンだったというのだ。
アイリスの知識の源は、向こうの世界にあった物と、物語上で未来に登場するはずだったものが混じりあっている、とも。
アイリス本人もなんでこの世界に来たかはわからなくて、こっちの世界で意識が目覚める前、最後に向こうの世界で感じたのは大きい地震と頭への強い衝撃だった。
話はそう締めくくられ、アイリスはこちらの様子を窺うように私の顔を覗き込む。
一方の私はと言うと、話を咀嚼するのに必死で、こめかみを抑えてしかめっ面でだんまり。
すると、私の態度を勘違いしたアイリスは目を伏せて俯いた。
「……こんな話されても信じられないよね。ごめん」
「あぁ、いや違うんです。ちょっと飲み込むのに時間がかかって」
私は慌てて手を振りながら弁解した。
勿論アイリスを信じてないわけじゃない。私の中にある常識とのすり合わせに時間が掛かっているだけで、アイリスのことはこれから全面的に信じようとそう決めた。ただ
「一つだけ聞かせてください。私たちの色んな未来を知っているって言われましたよね。ソフィアがこうなることも知ってたんですか」
これは私がアイリスを信じるための、最後の確認。もしも知っていたのなら、知っていた上で今に至るのだとしたら。私はアイリスの手を取ることが出来なくなるかもしれない。
「……アイリスが介入したから、もう物語の筋書きだったところから大きく外れてるの。その上で、ソフィアがこうなるのは知ってたけどわからなかった」
「どういう意味です」
「ソフィアが被害にイベントの存在は知ってた。けど、起こす人は全然違う人のはずだった。その人がイベント通りの行動をとることはあり得ないから消失したとばっかりに思ってたの。……知ってたら、絶対に止めてた」
色が変わるくらい強く唇を噛むアイリス。その顔には、後悔が滲んでいた。その言葉を、疑うべくもないくらいには。
アイリスを少しでも疑った私が馬鹿で、失礼だったみたい。彼女の人柄なんて知っていたはずなのに。
そう理解した私は、アイリスの向けて深々と腰を折った。
「疑ってごめんなさい。そんな人じゃないってわかっていたのに、つい」
「や、止めて!アイリスも知ってたのに止められなかったのは事実だから。それに、フィリスがそうなっちゃうくらいソフィアのことを大事に想ってることも知ってるから!」
「そ、そうですか」
ソフィアのことを憎からず思っているのは事実だけど、改めてそれを第三者から指摘されるとどうしてもこそばゆい気持ちになってしまう。
私はアイリスから目を逸らすと、恥ずかしさを咳払いに込めて吐き出した。
「それよりも、そのゲーム?ですか。その中でもソフィアが同じ目に合うと言うのなら、その後ソフィアはどうなったんですか」
「……物語はそこまで。ソフィアは目覚めないの」
「そ、んな……」
アイリスの無情な宣告に、手足の先から温度が消えて行く。息の吸い方が、思い出せない。
未来を知っているアイリスがそう言い切るのなら、ソフィアはこのまま……。
昏い未来を直視した私は、もう立っていることも出来そうになかった。
「でも!目覚める可能性は知ってる!」
身体中から力が抜け、崩れ落ちそうになる私を、ふわりと暖かいものが支えた。
力強い声にゆっくり顔を上げると、至近距離でアイリスと目があった。
いつの間にか、アイリスは力の入らなくなった私を抱きとめていた。私が感じた温度はアイリスだったらしい。
諦めなんて微塵も感じさせない目で、彼女は言う。
「アイリスの知ってる”物語”ではソフィアは目覚めなかったけど、ここは決まったお話の中じゃない。まだ変えれる、ううん、変えて見せるから」
「信じて、いいんですよね」
「うん」
「何か、私に手伝えることは」
「いっぱい。アイリスも手がかりを知ってるだけだから、いっぱい協力して欲しい。いい?」
へにゃりと浮かべる彼女のその頼りない笑顔が、今はすごく眩しく見えた。
「こちらこそ、お願いします」
互いに固く握手を交わして、私とアイリスは協力者になった。
あの日、私から身体と存在を奪っていた”敵”は、もうどこにも居なかった。
結んだ手をほどくと、アイリスは一転して何か切り出し辛そうに口をもごもごと動かし始めた。
「あの、何か?」
「あのさ、アイリスたちはこれから協力していくんだよね?それでさ、アイリスともソフィアみたいに接して欲しいな~って」
胸の前で両手の人差し指を合わせてもじもじとさせるアイリスは、元自分の身体ながら不覚にも可愛かった。
……私は可愛げのない方だと思ってたけど、中身が変わるだけで雰囲気までこうも変わるのね。
「無茶を言わないでください。私は庶民で貴女は侯爵。立場が違います」
「フィリスは私の中身を知ってるでしょ!」
「周りの人は知りません。もしそんな風に接しているところを見られたら、良いことなんて一つもないですよ?」
「でもー……!」
きっぱりと断ったにも関わらず、アイリスはなおも納得していない様子だ。
「はぁ。そこまでして変えたいのは何故ですか」
「それは~、その。……前にさ、アイリスのお手本になった人っていう話したの、覚えてる?」
「ありましたね、そんなことも」
寮の部屋で、私とアイリスで食事をした時の話だ。あの時、アイリスはある人を見て自分も色んなことをしてみようと思った、切っ掛けだったと話していた。
尊敬、憧れ、好き。話しぶりからだけでも、その人に対して色んな正の感情があふれ出ていたのをしっかりと覚えている。
「それが今の話と何か関係が?」
「……アイリス・グランベイル」
「え?」
ぼそりと呟かれた言葉は、確かに私の名前で、今は目の前の少女の名前だった。何故突然名前を言ったのかと首を傾げていると、アイリスは顔を真っ赤にして吠えた。
「だ・か・ら!アイリスの言ってたその人って言うはアイリス・グランベイルなの!そんな憧れの人に畏まられても落ち着かないの!」
あの時やったなぞかけの答え、「アイリスがアイリスである限り会えない人」その答えに、成程と納得する二割の私が、突然の告白に慌てふためく残り八割の私を、頭の片隅で他人事みたいに冷静に傍観していた。
理解が追い付いた途端、私の顔が熱を持った。
「アイリスの中の”アイリス・グランベイル”はアイリスのなりたい人で、憧れで、とっても凄くて、自分に厳しいけど人にはすっごく優しくて、とにかくアイリスなんか全然」
「わかりまし、わかった!わかったから!他の人の目が無いところでは態度は崩す、これで良い?」
羞恥心と過大評価だという感覚が混じりあった不思議な気持ちが私の中で爆発し、私の気持ちは簡単に折れた。
若干項垂れる私の横で、アイリスはとてもご満悦だ。
「うん、良い!すごく。……あのさ、もう一つ、良い?アイリスの、名前のこと」
「名前?」
「うん。アイリスの、本当の名前。どうしてもフィリスに知っておいて欲しいの」
アイリスは何かを懐かしむように目を細めた。きっと、元居た世界のことを思い出しているのだろう。
図らずも同じように自分で無くなった境遇の私には、その懐古を理解することができた。
名前は、自分であったことの証だから。
「あやめ。”私”の居た国の言葉で、アイリスの花を差す言葉。それが、私の本当の名前なの」
「アヤメ、ね。覚えたわ、間違いなく」
私が名前を呼ぶと、アヤメはくすぐったそうに郷愁を噛み締めていた。
「それにしても意外だったわ」
「何が?」
「貴女の自称がアイリスだったから、てっきりその自称が習慣づいた元々同名の人だと思っていたわ」
「あ~。アイリスの場合はこっちに来てすぐの頃、他人からアイリスって呼ばれても反応出来なかったから、自分のことをアイリスだーって思えるようにこういう話し方にしたの。今じゃすっかり癖になっちゃったんだけどね」
フィリス。そう呼ばれても咄嗟に反応出来なかった頃を思い出して、私も苦笑した。どうやら、私たちは似たような苦労もしてきたようだ。
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