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5.婚約の儀

07/16加筆修正

「アイリス……」

「エリオット様ぁ~」



庭園の方から砂糖を煮詰めたような甘ったるい声が聞こえてくる。その声は転生者の物、つまり私の声でもあるんだけど、私にもあんな声が出せたのかと一周回って感心すら覚える。

庭園に戻ってきた私たちの目に飛び込んできたのは、殿下と転生者が机の上で互いに手を握って見つめあっているという信じがたい光景だった。市井の一平民ならいざ知らず、婚前の貴族令嬢としてはその距離感はどうかと思う。

殿下の護衛が場を収拾してくれていればと願っていたけど、肝心の護衛がソフィアを見るなり救いを求めるような目をしていたので、多分場の収拾に失敗して、仕方なく強引にスケジュールを進めることで有耶無耶にしようとしているのだろう。私の願いは届かなかったようだ。


尤も、何故こんな惨状になっているのかなんとなくではあるけど、その原因は予想出来ている。

自分で言うのもなんだけど、私の貴族間における評判というのは決して悪いものではなかった。これでも模範的な淑女、貴族子女として振舞ってきたのだ。お父様にそうあれと教育されてきたから。

そして殿下の婚約者の選定となれば、対象になる人物の下調べくらいはしているはずだ。そんな中で私の前評判と今の私、つまり転生者だけど、との差が大きくて、私相手の応対を考えていた殿下の周囲の人たちは困惑しているんだと思う。


加えてこの短時間で転生者に殿下が絆されていることも、この状況を形作ることを手伝っている。

庭園を出る前に転生者に迫られていた時の殿下は、困惑の色の方が強かったように見えたけど、今では受け入れているように見える。転生者の方も表情や仕草を見る限り、計算っぽさや何か思惑のような物をあまり感じないどころか、節々から殿下への好意を感じる。

私たちが庭園を出ていたこの短時間で、それなりに仲を深めているということは、二人の人間的な意味での相性は悪くなかったに違いない。私にとっては微妙な事実だけど。

貴族令嬢の中には、転生者ほど明け透けにものを言ったり、取り繕うことなく接する人なんて居なかっただろうから、そういう意味でのある種の新鮮さも、殿下が絆されている一つの要因なのかもしれない。

もしくは、殿下の婚約者候補と目されていた公爵令嬢との仲があまりうまくいっていないという噂があったけど、その辺りも関係しているのかも。


「ゴホン。殿下、シスター殿が参られました故、そろそろ婚約の儀を始めましょう」

「う、うむ。そうだな。始めるとしよう」


二人の世界に居た殿下と転生者を、年嵩の護衛が咳払い一つで現世に引き戻す。その時、二人は反射的に握った手を離していたけど、殿下は離された手を名残惜しそうに見つめている。

転生者もどこか惚けたような顔をしているけど、二人とも(片方は私のでもあるけど)一応今後の人生に大きな影響のある一婚約という大事なんだから、せめて顔だけでももっと引き締めて。私が居た堪れないから。


一方、護衛に場の進行を促されたソフィアが、私の方に不安げな視線を向けている。私の意思とは関係ないところで婚約が進もうとしていることを心配してくれているんだろう。彼女だけはこの場における私の唯一味方兼心の清涼剤だ。

けれど、流石にここで彼女に変な負担をかけるわけには行かない。


『私のことは気にせず、貴女は貴女のやることをやって大丈夫よ。儀式の進行を任されているんでしょう?』


私の言葉にソフィアは周囲に気取られない程度に小さくうなずくと、殿下の護衛と相談して、段取りを進めていく。

淀みなく説明を進める彼女に、先ほどまで私と話していたときのようなおどおどとした雰囲気はなく、淡々と話す様はまるで別人のようだった。



粗方の段取りや説明を終えたソフィアが、紙を一枚、殿下と転生者の間に置く。


「この紙に両名の署名と血判を押すことで婚約の証明となります」


殿下は照れながら、転生者は嬉々として紙に名前を書き込んでいく。血判を押すと、それがまるで婚約を証明するかのように紙が光を帯びる。きっとあの紙には何らかの誓約に基づいた魔法が組み込まれているのだろう。

周りの皆も、婚約が恙なく進みそうで胸を撫でおろしているところ悪いんだけど、誰か転生者が私の名前を書き間違えていることに気付いてくれないだろうか。


「ではわたしこと、ソフィア・リードが婚約の見届け人として立ち会ったことをここに宣言するとともに、お二方の顔を証明としてここに残します」


侯爵家の令嬢が自分の名前も書けないとは誰も思っていないようで、誰も私の名前が間違っていることに気付かないまま儀式はどんどんと進んでいく。後でソフィアにこっそり言ったら直してくれたりするんだろうか。流石に私も、婚約の時に自分の名前を間違えた令嬢として後ろ指を差されたくはない。

じっと皆が見守る中、ソフィアは紙とインクを手に魔法の詠唱を始めた。


「≪光の精に命じる。我は万象を描き出す者。小さな白き庭へと、この世界を映し出せ≫」


ソフィアの詠唱に合わせて、魔力が蠢く。インクが魔力に巻かれて宙に浮かび上がったかと思うと、一人でに紙に付着し、線を引き、絵を描いていく。紙の上に殿下と私の似顔絵が出来上がったのは、瞬くほどの間の出来事だった。我が家の使用人だけでなく、魔法を見慣れているであろう殿下の供回りからも「おぉ」と感嘆の声があがる。

それも当然だ。魔法は魔力の高い高位貴族ほど扱いが上手いと言われているけど、それでもここまで繊細に魔力を使いこなす人は、公爵レベルでもそうは居ないはず。それを一介のシスターがやってのけたのだから、驚きも一入だ。


「これにて婚約の儀式を終えたいと」

「ねえ、これ写真とかじゃダメなの?」


興奮の余韻も冷めやらぬ中、ソフィアが儀式の終了を告げようとしたところに待ったをかけたのは転生者だった。


「シャシン?」

「あ、そっか。写真っていうのはねえ、絵よりもずっと正確な感じの……うーん、やっぱちょっとインクと紙貸して!」


転生者は何かをやりたがっているけど、周囲にそれは伝わらず、シャシンというものの正体がわからず皆一様に首をひねっている。

シャシンの説明を諦めた転生者は、半ばひったくるようにしてソフィアの手からインクと余りの紙を奪い取ると、手の中で魔力を練り始めた。


「えっと、こうだっけ≪光の精よ、お願い。この世界を映し出して!≫」


無茶苦茶な詠唱、乱雑な魔力の扱い、魔法が作用するどころか失敗すらしかねないような有様だったが、結果は予想を裏切るようなものだった。ソフィアの魔法が、線を一つ一つ描いていくようなものだったとしたら、転生者の魔法はインクをペタペタと貼り付けていくような様で、あらかじめ配置される場所の決められたパズルのように、インクが組みあがっていく。

文字通り、世界を映し出したような絵。それが、転生者の作った絵を見た私の感想だった。ソフィアの絵も繊細で美しいものだったけれど、転生者の方は絵どころか世界そのものをキャンパスの中に切り取ったような精密さだ。

ソフィアも殿下の護衛も、その絵を見て絶句している。


『今の魔法は何……?私の学んだ中にはあんなものは無かった。既存の魔法体系じゃない何か?転生者って一体何者なの……』

「出来た!見て見てエリオット様」


周囲の困惑をよそに、転生者だけは絵の出来を無邪気に喜んでいる。


「む、なるほど。とても良い出来だ。まるで鏡に映したような絵だな。そうだ!どうだろう、こちらの絵を婚約の証明代わりとするのは」

「え、ええっ?!そ、そのそれは……」

「殿下、婚約の立ち合いにおける絵画には、立ち合い人の魔力を含んでいることも証明の要素の一つとされていますので、おいそれと変えることは」


殿下のとんでもない思いつきを、護衛の人が寸でのところで止める。ソフィアの狼狽ぶりから言って、護衛の人が間に入らなければそのまま流されていたかもしれない。ナイス名も知らぬ殿下の護衛の人。


「そうか、それは残念だ。ならこの絵を城に持ち帰ってもよいか?」

「勿論!エリオット様にあげます!」


また二人だけの世界に入ってしまった殿下と転生者を前に、老齢の護衛が諦めたような表情でソフィアに続きを、と視線で促した。


「そ、それでは婚約の儀式をこれで終わります。これより二年後、両名の婚約が完全に成立します。それまでお二方が仲睦まじくありますよう」


ソフィアがその言葉で儀式を締めくくった後、殿下と護衛が数度やりとりをすると、申し訳なさそうな顔で赤毛の護衛がソフィアの元にやってきた。


「すまないシスター殿。殿下はグランベイル嬢と今しばらく親交を深めてから帰城なされるそうだ。なので、シスター殿も今しばらくこちらに居てはいかがだろうか。良ければ、客間を再度使わせてもらうようこちらから取り計らおう」


護衛は暗にソフィアにまだ帰るな、と言った。供回りや招待客として場に訪れた場合、一番位の高い者からその場を去っていくという貴族間の暗黙の了解がある。

昔の風習の名残だそうだけど、こと貴族は面子や序列に拘るのでおいそれと無視するわけにもいかない。この場合だと殿下が出立するまでソフィアは待たされることになるのだけど。一応それをソフィアに伝えると、彼女は知らなかったようで、護衛に聞こえない程度に小さくお礼を返された。


「じゃあ、あの、客間で休みたい、です」


赤毛の護衛にソフィアがそう伝えると、護衛はすぐに部屋を使う許可を取ってきた。その後、部屋に向かうまでに何度も殿下に代わり謝罪や礼を繰り返し言っていたので、この人はきっととても良い人で、とても苦労人なのだろう。


後ろでいちゃつく転生者と殿下を背に、私とソフィアは再び客間に向かった。




2/27 誤字脱字報告ありがとうございます 修正しました

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