45.変わったものは
革と紙の独特な匂いに包まれながら、一つ、また一つとページを捲る。タイトルは、「歴史から消えた魔法」
こうして授業の合間に書庫にやってきては本を漁ることが、最近の私の日課になっていた。
何せ、今の私には調べるべきものがとにかく多い。身体を入れ替えるような類の魔法について詳細も知りたいし、サクラの使おうとした聞きなれない詠唱の魔法も気にかかる。
それと、マリーが家から見つけて来た本についてもだ。
だからずっとこうして書庫に籠っているわけだけど、一向に収穫はない。目ぼしい本は粗方目を通してしまったし、残るは読むのに時間がかかる古語で書かれた本ばかり。
現代語で書かれていた最後の本を書庫の棚にしまいこみ、またしてもはずれであったことに溜息が出る。
「ねぇ」
そっちはどう?自然とそう続けようとして、私の隣には誰も居なかったことを思い出し、口を噤んだ。
あの日以来、私とソフィアは徐々に別行動になることが増えていった。
授業や部屋で一緒に居る時は以前と変わらない様子だけど、それ以外の時間にはそそくさと何処かへ行ってしまうことが多いからだ。
あの一件で愛想を尽かされたのだとしたら、それは私が悪くて、仕方のないこと。そう納得しているはずなのに、胸はチクリとした痛みを主張する。
今も、ふとした時にソフィアが隣に居るように錯覚してしまう始末だ。
ダメね。切り替えないと。私にはやるべきことがたくさんあるんだから。
私は頬を軽く手で叩き、次の一冊へと手を伸ばした。
「最近見ないことが多いと思ったら、こんなところにいたんだね」
古語で書かれている本をもたつきつつも訳しながら読んでいると、いつの間にかアシュレイが私の手元を覗き込んでいた。
「アシュレイさんこそ、こんなところに何か御用ですか?」
「探し人だよ。先生に頼まれてね。デューイを見なかったかい?ほら、カスティ商会の」
カスティ商会のデューイと言えば、私たちのクラスメイトのうちの一人だ。あまり関わりはないから、たまに転生者と商品についての話をしていることくらいしか知らないけど。
「見てませんけど、彼がどうかしたのですか?」
「朝から姿が見えないらしくてね。連絡もないし、まあ伝達の行き違いだろうけど、念のため探そうかって話を先生たちがしていたから、ボクが引き受けてきたのさ」
自然と私の隣に腰を下ろすアシュレイ。頬杖までついて、私をじっと見つめている。もう完全に居座る構えだ。
「……探し人が居るのでは?」
「目ぼしい場所は探したよ。それに、これだけ触れ回れば学園内のどこにいても明日には目撃情報があるはずさ。それよりも歩き回ったせいで疲れてしまってね。邪魔はしないからここに居させてくれないかい?」
息一つ切らしていないのにいけしゃあしゃあと。当代有数の剣術の名手がそんなことで疲れるわけないでしょ。
喉元までそんな言葉が出かかったが、アイリスとしてならともかくフィリス・リードとしてはそんな事実知る由もないので、ぐっと言葉を飲み込んだ。
動く気はないらしいアシュレイを横に置いて、仕方なく私はそのまま読書を続行。
区切りのいいところまで読み進み、首元に疲れを感じて顔を上げると、興味深げに手元の本を覗き込んでいるアシュレイが目に入った。
「見ていても何も面白いものはないですよ」
「いや、面白いよ。例えば、キミがこんな古語で書かれた本を翻訳と平行してその速さで読める事実とかね。
薄々思っていたけど、キミ、ホントはもっと優秀だろ。教室では上手く目立たない程度に抑えているけどね」
「お爺様に教えて貰ったからたまたま読めるだけで、勘ぐり過ぎです」
獲物を見つけた魔物のように、ニヤリと笑みを浮かべるアシュレイ。
迂闊だった。確かに、私の出自からすれば古語の扱いが少々不自然なレベルに映るかもしれないわね。
それでも他の人なら言いくるめられるけど、アシュレイだけは下手に言い訳をすると持ち前の勘の鋭さで看破されてしまう気がする。かと言って事情の説明もしようにも、貴族を騙るのは重罪だ。
色々考えた末、私はこのことに関してこれ以上何も言わず沈黙することを選んだ。
明確な回答の拒絶。答えたくないことに対して、アシュレイも無理に踏み込んでくるような人じゃないから。
再び本へと目を落とすと、私がこれ以上語らないことを察してアシュレイもそれ以上は追及することはしなかった。
再び本へと意識が没頭しだしたころ、突然肩を揺すられる。アシュレイにしては乱雑な行いに何事かと本から顔を上げると、太陽の光を受けたような金色の髪が目に飛び込んできた。
この鮮やかな色は見間違うこともない。私の正面には、いつの間にかエリオット殿下が座られていた。
「良かった。このまま気付かれずに次の授業が始まってしまうかと思っていたよ」
なんでこんなところに殿下が、それもおひとりで?!
状況がうまく呑み込めないけど、私が殿下を待たせてしまったということは確からしい。
慌てて不敬を詫びるために頭を下げようとしたところ、殿下はそれを手で制した。
「いい、いい。君たちを見つけて勝手にお邪魔したのは僕の方だ。それにこの学園では地位に関係なく皆平等、だからその程度で頭を下げることはない。だろう?」
「それは建前でしょう。それとも、本当に平等だと信じておられるとでも?」
アシュレイのまるで試すような物言いに、傍で見ている私の方がハラハラする。
不敵に笑うアシュレイに対して、一方の殿下はただ肩を竦めただけだった。
「そうだね。建前だ。けれど、建前も時には役に立つ。アイリスと仲良くしている君たちとは以前から話して見たくてね。そんな折に地位なんて壁は邪魔なだけだ。そう思わないかい?」
「ほう。ではただボクたちと腹を割って話してみたいとでも?」
殿下の言葉を受け、アシュレイの物言いがより無遠慮なものに代わる。
昔からアシュレイの権力嫌いで、すぐ人を試したりするところは嫌いじゃないんだけど、よりによって王族相手にそれを発揮しないで欲しい。
暴発寸前の魔法を目の前で見ている気分よ。
「その通り。アイリスの友人と話をしてみたい。ほんとにそれだけなんだ」
アシュレイの態度を咎める様子もなく、嘘をついているようでもない。信じられないことに、真実、殿下はただそれだけのために私たちに声をかけられたらしい。
「……わかった。信じよう。それと、先程のボクの態度の謝罪もしよう」
「それこそ不要さ。自分で言いだしたことだからね。アイリスと接しているのと同じように接してくれると嬉しい。フィリス・リードも、そうしてくれると嬉しい」
にこやかに笑う殿下に悪気はないのでしょうけど、現平民の私に殿下直々の提案を断れようはずもなく。私は転生者と同じように殿下を扱えという無茶にただ頭を縦に振ることしか出来なかった。
「わかりました。殿下がそのように言われるのであれば」
十数分前よりも幾分か砕けた雰囲気で話すアシュレイと殿下と私。
アシュレイを交えた殿下との話の中でわかったのは、殿下は転生者を溺愛していることと、転生者というフィルターを通さない場合の殿下は相当な人格者であるということだった。
フランクで、王族のイメージとは程遠いけれど、品格を損なっているわけでもない。
転生者とのことであまり良いイメージは無かったけど、こうして話してみると不思議な魅力のある人物だ。転生者が慕っているのもわかる気がする。
「なるほど。アイリスと君らはそういう関係だったのか。ここに来てよかったよ。色々と面白い話が聞けた」
「それは何よりです。そういえば、殿下は何故こんな場所におひとりで?」
「ん、僕はただ本を返しにきただけだよ」
手に持った本をひらひらと揺らす殿下。そこにあったのは比較的新しく、なんの変哲もない学術書。
「あの、殿下。失礼ながら、ただそれだけ、ですか」
「それだけだね。これ自体も最近書かれた普通の本さ」
「使用人に任せるなどすればよろしかったのでは」
「そうだね。きっとそれが正しい。効率的にも、王族としてもね。でも、一人で来たおかげで今日は君たちと話も出来た。労力に見合う、悪くない収穫だったよ」
学園内で何か起こるとは思えないにしても、護衛も無しに一人で動いてた理由がただそれだけなんて。
あまりのことに啞然としていると、隣でアシュレイが腹を抱えて笑い出す。
「ハッハッハ!いいね、その型に嵌らない感じ。気に入ったよ。殿下、アイリスを変えたのはキミかい?」
すぅっと何かを見定めるようにアシュレイの目が細くなる。
アシュレイ、なんだかんだ私のことを気にかけてくれていたのは嬉しいけど、ごめんなさい。当の本人は横に居るし、殿下はそれとは関係ないの。
「何を指しているのか解らないが、恐らくその答えはノーだ。変えられたというなら、むしろ自分の方かな。ここに一人で来るのだって、アイリスに出会う前じゃなきゃ考えもしなかっただろうね」
「……そうか。ならいいよ。今の質問は忘れてくれ」
アシュレイが僅かに肩を落とす。殿下の反応から、自身の問いが空振りだったことがわかったからだろう。
そんなアシュレイに私が声をかけようとした時、ゴーンと休憩時間の終わりを告げる鐘が鳴った。
「もうそんな時間か。ありがとう、今日は楽しかったよ。君たちの調べものの邪魔をしてしまったことについてはまた別に埋め合わせる。何か融通を効かせたいことがあったらいつでも声をかけて」
殿下は棚に持ってきた本をしまうと、一足先に書庫を出て行った。
その後ろ姿を見送ってから、私も本を片付けようと立ち上がると、机の上からは本が姿を消していた。
ギョッとして周囲を見回すと、そこにはクスクスと笑うアシュレイが。
「さ、ボクらも行こうか」
「もう、驚かさないでください。片付けありがとうございます」
何時の間にか本を棚に仕舞いんでいたアシュレイに促されるように、私たちも書庫を後にした。