40.洗礼……?
色々あった入学初日をなんとか乗り切った帰り道、私とソフィアが他愛もない話をしながら寮の自室に帰っている最中だった。
平民寮の廊下に明らかに不釣り合いな集団が、私たちの前にそれとなく立ちふさがった。服装や身に着けている装飾品から貴族ですと全身で主張する彼女たち四人組は、確か端から子爵、伯爵、子爵、子爵だったと記憶しているけど、一体平民寮に何の用だろうか。
凡そこの場所に縁の無さそうな四人なのに、如何にも居合わせただけです、みたいな顔をして立っているのはちょっと無理があると思うけど。わたしたちが寮に入ってきた時から、視線だけが明確にこちらを向いているので、目当ては私たちだろうか。
さっきまで私と話していたソフィアも、あからさまに怪しい集団の登場を前に一旦口を閉じた。
さて、どうしよう。部屋に行くには彼女たちの前を通らないといけないし、今から回れ右して来た道を戻るのも不審すぎる。せめて相手の狙いが分かれば何か出来るかもしれないけど、分からない以上こっちからアクションを起こすのは藪蛇になりかねないし。
思索の結果、私の思い過ごしならそれで良し、そうじゃなくてもとにかくこちらからは何もしないのが吉と結論に至った私は、困惑で固まるソフィアをエスコートするように手を引いて歩き出した。
彼女たちの前を通る際、失礼なく、穏便に済ませられるように廊下の端に寄ってから一礼。そして一歩踏み出そうとした時、私の足の前に彼女たちの内一人の片足が伸びて来た。
引っ掛けてこかそうとしてるのよね、これ。避けることも出来るけど、変に避けて意固地になられたり尾を引いたりするくらいならやらせたいようにやらせた方がいいかしら。
私はソフィアを巻き込まないように手を離してから、そっとソフィアを壁側に手で押し出すと、私は出された足に気付かなかったふりをして、膝からゆっくりとこけた。
ソフィアも私がわざとこけたことは理解出来たようで、小さくあっ、と言っただけで声を荒げたりはしなかった。
両ひざを地面に着く形になった私を見て、四人の令嬢たちが鼻で笑う。
「ふん、いい様ね。平民にはお似合いだわ。貴女、グランベイル様にちょっと良くして貰ってるからって弁えていないんじゃない?」
リーダー格であろう伯爵家令嬢が一歩前に出て、小馬鹿にするように私を見下ろす。
「いい?ここは歴史と伝統ある、品位品格の求められる王立学園なのよ。それなのに貴女ときたら遅刻に飽き足らず式の最中に騒いだり、自身の立場も考えず分不相応にも侯爵家の方々とお近づきになっているじゃない。
それは”良くないこと”なのだとわたくしたちがあなたたちに教えて差し上げようと思っていますの。どうかしら?」
有無を言わせないように冷ややかな色を声に混ぜる伯爵令嬢。
成程、彼女たちのやりたいことがなんとなく見えて来た。要は、これは自分たちの下につけという脅しだ。大方、私がグランベイルとと繋がりがあると見て、自分たちもその繋がりを利用したい腹だろう。
かと言って平民相手に頼み事やへりくだることは出来ず、立場で脅して下につけてから利用してしまおうと。ちょっと短絡的だけど、よくある手だ。基本的に平民が貴族に逆らっても良いことないし、大抵通じる。
しかも、やり方は置いても言ってることはそう間違ってないのよね。貴族の多く通うこの学校ではとかく序列や格が重視されるから、私の行動は型破りに見えたところも多いだろうし、転生者のとばっちり以外は全面的に私が悪い。
彼女たちはそれをグループに入れて守ってやるから転生者との渡りをつけろとそう言うんだろう。
案外、悪くないかもしれない。私は転生者と話して知りたいこと探りたいことが色々あるけど、庶民の私と侯爵家の転生者の距離が近すぎるとあまりにも目立つ。他の貴族からどう思われるかわかったものじゃないし、こんな形で接触してくるなら良いけどもっと悪辣な者も居るかもしれない。
けれど、彼女たちをクッションに入れることでグループの一人として目立たず転生者に接触出来る。
表向きは貴族への恐怖心と何を言われたのか理解が追い付いていないような感情が混ぜこぜになったような顔を作り、内心これ幸いと提案を承諾しようとした時。
「あっ、探したよ~!フィリス、ソフィあっ」
ドシャア。走ってきた転生者が何かに躓いて私の横に勢いよく顔面から滑り込んだ。
なんてことだ。平民にはお似合いと言われた体勢の私より低い位置に頭があるや。
現実逃避の私と、現実に理解が追い付かない貴族育ちの令嬢方。
最悪な空気の中、居た堪れなくなったソフィアが転生者を仰向けにしてから上半身だけを抱き起した。
「あの、アイリスさん、顔大丈夫ですか?」
「だいじょぶだいじょぶ。ソフィアちゃんは優しいね!」
ソフィアに向かってサムズアップをかましながら、転生者が二カっと笑い。
その間になんとか脳の再起動を済ませた伯爵令嬢が震える声で言葉を紡いだ。
「え、あの、グランベイル様、今のは一体……?」
「んー、ちょっと躓いちゃった。失敗失敗」
「失敗……?いえ、そうではなく、何故あのように、全力で、その、走られておられたので……?グランベイル様は淑女の鑑のような方で……」
ゴーストを見た子供のように、怯えた顔で転生者を見つめる伯爵令嬢。わかるよ。理解できないよね、最初は。私もそうだったわ。
私がこの伯爵令嬢に妙な共感を覚えていると、彼女の取り巻きの一人がぼそりと呟いた。
「だから言ったじゃないですか……グランベイル様は変わられたって。式の時だって、あれが現実だったんですよ」
「う、嘘よ。あれは何かの間違いで」
「現実ですよ!見てくださいよ!」
にへらとだらしなく笑う転生者をビシッと指差す取り巻きの子と、膝から崩れ落ちる伯爵令嬢。
理解してしまった。この子たちは、転生者に入れ替わる前の、貴族間での評判のそれなりに良かったアイリス・グランベイルを慕ってくれていた人たちなんだ。でもごめん、それは私だ。
非情な現実を前に心が限界を迎え、今まさに大粒の涙を流さんとしている伯爵令嬢を見て、私の胸中に抱いたとんでもなく複雑な感情が私を突き動かした。
「これ、使ってください。せっかくのお化粧が崩れちゃいますよ」
お化粧まで一緒に拭いてしまわないよう優しくハンカチで伯爵令嬢の目元をぬぐい、折り直してからハンカチを手渡す。
普段ならこんなことはしない。でも、涙を流す彼女の姿を見ていられなかった。だって、
私たちは転生者の被害者仲間だから。そんな彼女に、こんな往来で顔を崩すという貴族の在り方から外れた行為をさせるわけにはいかない。
これは、私からの謝罪であり同情であり、転生者の被害者という仲間意識が齎した行動だった。
それを見た彼女の取り巻きの一人が、慌てて私の前に割り込む。
「ちょ、ちょっと!こんな小汚い平民の持ちもの使えるわけ」
ハンカチをはたき落そうとした取り巻きの子を伯爵令嬢は片手で制すと、私のハンカチをぎこちなく受け取った。
「……ありがとう。……あなた、名前は?」
「フィリスです。フィリス・リード」
「フィリス、そう。フィリスね。……その、悪かったわね。それと今日のこと、忘れて頂戴」
あっさりと頭を下げた伯爵令嬢に私が驚いている間に彼女はそそくさと立ち去ってしまい、取り巻きの子たちも慌ててその後を追っていった。
彼女らが立ち去って数舜、私の脳裏に電流が走った。
しまった。「今日のことは忘れて」?脅しを撤回されたってことは、これじゃあ私、彼女たちのグループに入れないじゃない……!
私は、貴族の一団に紛れて自然と転生者に接触していく計画がここに頓挫したことを悟った。
悲嘆に暮れた私がソフィアに泣きついてこの悲しみを吐き出そうと振り向くと、頬を膨らませたソフィアはプイと目を逸らした。
「え、なんで?」
「知りません。言いません」
なんでかご機嫌斜めのソフィアに理由がわからずあたふたする私を見て、転生者がニタァと嫌な笑いを浮かべる。
「ふぅん、そういうことね」
「そういうこと、ってどういうことなんですか」
「別に?フィリスは自覚ないみたいだし、アイリスはそっちもいけるから何も言わず見守るだけにするね!」
妙に上機嫌な転生者を受け流しながら、わけもわからずソフィアを宥めすかす私。自室に戻れるのは、まだまだ先になりそうだ。
「厄介なことになりそうならボクが間に入ろうと思ってたけど、その必要はなかったみたいだね」
その影で、一連の騒動を赤髪の令嬢が見ていたことには、誰も気が付いていなかった。
「さて、部屋に戻ったみたいだし、ボクも彼女たちの部屋に遊びに行くか!」
この後、フィリスたちの部屋が一段と狭くなったことは言うまでもない。