4.ソフィア
07/16 加筆修正
「はい、少し気分が悪くなっただけ、なので。一人で大丈夫、です」
使用人に連れられて客間までやってきたシスターの少女は、そのままここに残って自分が世話した方が良いかと聞く使用人の提案を、申し訳なさそうにやんわりと断って部屋から出した。
そのまま来客用のソファーに腰を下ろす彼女に対して、私も使用人の足音が遠のいていくのを確認してから、改めてシスターの少女に向き直った。
さっきは転生者に殿下にと気を取られてあまり意識していなかったけどこのシスターの少女、いざ正面からしっかりと見据えてみると、澄んだ青空のような綺麗な空色の髪に、深い海みたいな見ていて吸い込まれそうになる藍色の瞳、それらを計算に入れて作られた人形だと言われても信じてしまいそうなくらい可愛らしい顔立ちをした彼女に、私は思わず数舜見惚れてしまった。
「あ、あの、わたしの顔に何か?」
私がマジマジと顔を眺めてしまったせいで不安げに瞳を揺らすこのシスターの少女に、まさか見惚れていたと素直に白状するわけにもいかず、私は咳払いを織り交ぜながら適当に話を誤魔化し切り替えていく。
『あぁ。いえ、ごめんなさい。本当に私が見えているのだなと思って。私はアイリス。アイリス・グランベイルです。信じられないかもしれないけど、あの庭に居た侯爵令嬢の本物とでも言えばいいかしら』
「ううん、あの貴族の人、見てて魂と身体の形が合ってなかったから、おかしいなって思ってた。アイリス、様の話を聞いて納得しました、です。あ、わたし、ソフィアって言い、ます」
『魂と身体の形?』
「あっ、ええとその、それはあんまり詳しくは話すなって、言われてて、ます」
驚いた。全容はわからないけど、ソフィアには私の存在以外にも、もっと別の何かが見えているらしい。何か現状打開のヒントになるかもしれないし、ここで一気に詳しく聞いてしまいたいけど、ソフィアはしまったとでも言いたげな顔で口を閉ざしてしまっているので、あまり口にしたくないか、口にしていい話ではないのだろう。私の貴族として培った話術を使えば無理に聞き出すことも出来るだろうけど、現状唯一私を認識できる人物だから、出来ればソフィアとは友好的でありたい。
何より、数日間ぶりに人とやり取りが成立することに私自身が感動しているというのもある。いくら話かけても誰も私に気付いてすらくれない日々は、自分でも思っていた以上にストレスになっていたようで、実は内心ちょっと泣きそうだ。どういう事情であれそんな状況から一先ずでも解放してくれた彼女をあまり無碍には扱いたくない。だから、聞き出すなら話の中で彼女の信頼を勝ち得てからだ。……久々の誰かとの会話をもうちょっと続けていたいというのもなくはないけど。
手始めに、ソフィアは普段あまり丁寧な言葉遣いを使う機会がないようで、敬語がたどたどしく話し辛そうにしている。シスターであるということはよほどの理由が無い限り貴族ではなく平民だろうし、丁寧な言葉遣いが出来ないことそれ自体は問題ないし珍しいことでもない。こんな身体ではあるが一応私が貴族ということで丁寧に接しようとしてくれているのだと思うけど、それでは長く話すには支障をきたしそうだ。
だからお互い話しやすい環境を作るためにも、ソフィアが畏まってしまわないような場を作りたい。ここまで話してみた感じ、ソフィアは私が敬語のままだと自分もそれに倣うタイプだと見た。だからまずは私が率先すべきだろう。
実は貴族的には大して親しくもない相手に軽口を許したりすると、軽く見られる原因になるので家庭教師の先生からすると説教ものだろうけど、どうせ今の私は誰にも見えていないからセーフ。
『お互い敬語外しましょうか。そっちの方が貴女も話しやすそうだから』
「ごめんなさい、うまく話せなくて」
しゅんとしてしまったソフィアに私は慌ててフォローを入れる。
『出来ないことを責めているわけじゃなくて。私、こんな状態だから他に話す相手も居なくて、もっと気軽にお話し出来ればと思ったのだけど。ダメかしら』
私の言葉にソフィアはしばらく逡巡していたけど、こくりと頷き、「わかった」と小さく口にした。
『じゃあまずはそうね、ソフィアさん、あなたには私はどう見えてるの?』
「……すごく綺麗な人?」
求めていた答えとは違うけど、小首を傾げあまりに澄んだ瞳で彼女がそう言うものだから、思わず私が狼狽える。
私も魑魅魍魎蠢く貴族社会の一員として、対面している相手の多少の嘘や腹積もりは察することが出来るけど、彼女には驚くほど裏表がない。もしこれが演技だとしたら大したものだけど、私にはどうにもそうは思えなかった。
だから同じ貴族や、商人なんかからのおべっかは聞き飽きているけど、こうも純粋に褒められるとどうにも調子が狂う。
『そ、そういう見た目の印象ではなくて、ね。ほら、私幽霊みたいなもので、今までは見えている人なんて居なかったから、貴女から見るとどういう風に見えてるのかなと思ったのだけど』
「……あ!……ちょっとぼやけてるけど、普通の人と同じように見えるよ。お庭の方で見た時は、同じ人が二人いると思ってびっくりした」
転生者と私で同人物が二人いたように見えたということは、ソフィアはかなりはっきりと私のことを認識しているようだ。
『同じ人、ね。貴女は私が庭に居た彼女に身体を奪われた、と言ったら信じる?』
「……わからない。でもアイリス、さま、は嘘は言ってないと思う」
ここまで自信無さげにしていたりおどおどしていることが多かったソフィアだけど、彼女は何故か私が嘘を言っていないだろうというところだけは、妙に確信を持って言ってのけた。単に他人の機微や偽りに敏いのか、あるいはその確信にはソフィアが先ほどぽろっと漏らした魂が視える云々という何かが関係しているのか。
どうあれ、何かしらの理由があることは間違いない、そう思えるくらいには声に迷いが無かった。その理由が何であれ、私の言葉は嘘ではない、そう思ってくれているのなら協力を取り付けれるかもしれない。
『なら、初対面の貴女に頼めるようなことではないのは重々承知の上だけど、私の身体を取り戻すのに協力して欲しいの。私一人じゃ扉一つ開けることも出来ない上、私はこんな様だから、他に頼める人も居ないの。もし身体を取り戻せたら、お礼はいくらでもするわ』
私は頭を下げ、藁をも掴む思いで真摯に頼み込む。やっと現れた、私と意思疎通が出来る人物だ。私が、霊が視える人というのは相当特異なことだろうし、ここで彼女の協力を取り付けられなければ、そんな人物はもう二度と現れないかもしれない。
そうでなくとも誰からも認識されない、自分は既にこの世には居ないのではないかと錯覚しそうにすらなるような孤独はもうたくさんだ。祈るような気持ちで返答を待っていると、ソフィアは何かを堪えるような顔で声を絞り出した。
「その前に、一つ、聞きたいの。わたしは普通の人に視えないものが視える。アイリスさまはそんな私が、気持ち悪くない、の?」
その言葉で、私はソフィアの泣きそうにも見える表情とその裏にある事情を察する。確かに他人に視えないものが視えるというのは排斥される理由に十分なり得るだろうし、そんなことを大っぴらに言おうものなら、霊の存在を否定している、国の宗教的な意味合いでも風当たりは強いだろう。
哀し気に伏せられたソフィアの目が、今まで彼女が何を言われ、どんな扱いをされてきたのかを表している。でも、それは私がソフィアを嫌う理由にはなり得ない。
『私はね、貴女がここに来るまでは誰からも気付いて貰うことも出来ずに、どうしようもなく独りだった。このまま何も出来ずここで独り朽ちていくのかなとすら思ったこともあったわ。だから私に気付いてくれる貴女を見た時、とても嬉しかったし、こうして話を聞いてくれて感謝してる。貴女が私含め他の人に視えない何かが視えているのだとして、それに礼を言うことこそあれ、気持ち悪く思うなんて絶対にないわ。私から何か言うのであれば、見つけてくれてありがとう、ね」
これは嘘偽りない私の本心だ。私は既に彼女に言い表せないくらいには感謝している。一時でも、私がここに在ると証明出来たことが、孤独じゃなくなったことが嬉しかったから。それくらい、ここ数日の出来事は私を不安にさせていた。
私の気持ちはソフィアに届いたようで、俯きがちだった彼女の顔が、私の言葉で段々と上を向いてきている。尤も、顔を上げたソフィアの瞳は涙で潤んでいたので、届いたと思ったのは私の勘違いだったかもしれないけど。彼女の涙に私は一転して大慌てだ。
『ど、どうしたの?!何か気に障った』
「ちが、違うの。ただ、わたしの目にそんなこと言ってくれた人初めてで、それが嘘じゃないってわかるから、嬉しくて」
良かった。悪い意味での涙じゃないみたい。ちょっと私の感謝が届きすぎただけらしい。調子に乗った私は、つい思ったことをそのまま続けてしまった。
『それにそんな理由はなくとも、貴女とこうして話せてよかったわ。だって貴女、とっても素敵だもの』
思わず見惚れるほどに。と、私としては褒めたつもりだったのだけど、ソフィアは何故か急に俯いてしまった。……どうしよう。ソフィアは嘘に敏いみたいだったし、何より私が真摯に対応したかったからここまで本心で話したけど、貴族社会で本心で話すことはあんまりないからブレーキをかけ間違ったかも。
おろおろする私と、俯くソフィア。ちょっと顔が赤く見えるのは、体調が悪かったのがまたぶり返してきたのだろうか。私たちの間に、なんとも言えない沈黙が落ちる。その沈黙を破ったのは、ソフィアの消えるような小さな声からだった。
「……いいよ。わたし、アイリス、さまに協力する」
『本当?!』
「うん。悪い人じゃないみたいだから。わたし、人の魂が視えるの。魂の色とか雰囲気で、その人が嘘をついてたりするとなんとなくわかる。アイリスさまの言葉、嘘がなかったし、わたしもほんとに嬉しかったから。だから協力する。……嬉しすぎてちょっと恥ずかしかったけど」
最後の方の呟きはよく聞き取れなかったけど、私はソフィアの信頼を勝ち得ることが出来たようだ。まさか本当に嘘がわかるとは思って居なかったけど、慣れないことをしてまで本心で話しておいて良かった。嘘と虚栄で塗り固めた貴族的対応だったら、ソフィアは協力してくれなかったかもしれない。
『そう言ってくれて良かったわ。貴女に断られたら、本当に宛が無かったから』
「わたしも、話して良かった。ほんとは私に視えるモノとお話しちゃだめだ、って言われてたんだけど、アイリスさんの魂がの色がすごく綺麗だったから、もしかしたらって悪い魂の人じゃないかもって」
ソフィアの目には、私の魂はどういう風に見えているのだろう。私自身別に高潔な人物というわけではないけど、それでも嘘や化粧で塗り固めることの出来ないところを褒められたりするのはむず痒いけど悪い気分じゃない。
『じゃあ貴女にそれを言いつけた人に約束を破ったことで何か言われたら、私が代わりに謝ってあげる。流石に今の私のことは視えないと思うから、身体を取り戻してからの話になるけどね』
「おじいさまは怒ったりはしない、とおもう。けどありがとう」
ソフィアの協力を取り付けられてすっかり安心し、心安らかに談笑していた私だったが、ふと、そういえば彼女がここに来た事の発端を思い出した。
『ところで、ソフィアとエリオット殿下は何故我が家に来たの?シスターと皇太子って、かなり珍しい組み合わせだと思うのだけど』
「? アイリスさまとエリオット殿下が婚約者になるから、その儀式のためだよ?」
ソフィアの衝撃の言葉で、頭の中が真っ白になる。いや、まだ私の言葉の受け取り方が間違っているだけかもしれない。思考、再考、再思案。ダメだ。どうやってもある一つの結論にたどり着いてしまう。
私の中で疑問となって散らばっていた点が、一気に一本の線になって繋がった。繋がって欲しくはなかった。
確かにそれなら一介のシスターが皇太子の一行と同道する理由にもなる。婚約の儀式のためだ。この国の風習の一つで、貴族間で婚約者を決める時、教会がそれを見届けるというものがある。
元々は貴族同士で婚約の揉め事が起こった時仲介できるように、国が教会を間に立たせたというのが発端だったはずだ。今では、末永く見届けられるようにという意味も込めて、教会からも婚約者たちと年回りの近い人が見届け人兼儀式の執行役として選ばれると聞いていたけど、どうやらソフィアはその見届けとしてここに来たということのようだ。見た目から言ってもソフィアは私とそんなに変わらない年齢だろうし、言われれば思い至る節はあったけど……。
ちなみにその儀式を経て、貴族同士は婚約者となり、そこから二年で婚姻を結ぶ。つまり、二年で私は身体を取り戻さないと、転生者が王族に名を連ねることになる。
『私、その婚約の話は初耳よ』
震える声で言う私に、ソフィアが絶句している。何故突然私が殿下の婚約者候補として名前が挙がってきたのかや、殿下の婚約者と噂されていた公爵家の令嬢はどうなったのかなど疑問は尽きないけど、それは今は問題じゃない。
問題は貴族としての常識や学のほとんどない転生者が王族入りすることで何が起こるか全く予想できない点。普通の令嬢なら最低限の教育は受けているし、それがあくどい人物であれ貴族として動く以上何をするかの予想はつく。
でも、出自すら不明な転生者にそれは当てはまらず、身体を奪われてから今までの転生者の奔放さを見る限り、最悪転生者に国が振り回されかねない。
二年というタイムリミット。元々私の身体をそんなに長い間預けておく気はなかったけど、ことは私の名誉だけではすまなくなってきた可能性があるので余計に気が重くなる。二年以内には絶対なんとかしないと。
鬼気迫る表情の私を心配そうにソフィアが覗き込んでいると、部屋のドアがコンコンとノックされた。
「ソフィア様、殿下がお呼びです。場が整ったので、こちらに来られよと」
ドア越しに聞こえる声は我が家の使用人の一人のものだろう。あれから殿下の護衛は、なんとか場を収拾することが出来たようだ。……本当に出来たのだろうか。出来れば、転生者が急に貴族令嬢としての使命に目覚め、淑女らしくなっていますように。
そう願いながら、私はソフィアと共に使用人の後をついて庭に向かった。
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