37.わたしの気持ち
「じゃあもうちょっと後で出直すね」
「待っ、貴女何か勘違いしてっ……!と言うかなんで居るんですか!」
扉を開けるなり私たちを見て踵を返そうとした転生者を、私は必死の思いで引き留める。
このまま行かせたらどんな風に話を面白おかしく話を盛られるか。妄りに話して周るようなことはないかもしれないけど、マリーの耳に入るだけでも私からすれば事だ。
「近くまで来たから会いに来たの。そういうことだからじゃあ後で」
「後で。じゃないです!絶対何か勘違いしてますからね?!」
「……そうなの?そういう仲なんだと思ってたんだけど違うの?女の子同士でもアイリスは別に良いと思うけど」
案の定とんでもない勘違いをしていた。転生者は訝し気に私とソフィアを交互に見ているけれど、そんな目で見られても違うものは違う。
大体同性同士でだなんて、常識から言うならあり得ないじゃない。
「普通に考えたら良くないんです。だから変な解釈をしないでください。違うので。ね、ソフィア?」
「え?ああっ、うん、そうだね」
上の空気味に答えて、何故かそのまま考え込んでしまったソフィア。
転生者に私との仲を勘違いされたのがそこまでショックだったんだろうか。 まああんまりそういうのは一般的じゃないし、いきなり”そういう風”に勘違いされれば動揺するのもわかるけど。
そう考えると、なんだかほんの少しだけ胸の奥がもやもやした。
「ふーん、まあそういう事なら今はそれでいいや。それで二人は何してたの?」
急に興味を失ったように話題を転換する転生者。今は、ってところが引っ掛かるけど、これ以上この話を引き延ばしても私たちの損にしかならないのであえて突っ込みはしない。
「大事な話をしてたんです」
「大事な話?どんなお話?二人だけの秘密みたいなの?」
目を輝かせてズイっと迫ってくる転生者からは逃がさないという気概を感じる。
「が、学園の事で少し」
言ってしまってから、私はハッとして慌てて口をつむいだ。
しまった。食いつかれると面倒だから適当に煙に巻くつもりだったのに、勢いに気圧されて思わず学園と言ってしまった……。
すると、私の言葉を聞いた転生者は突然ポンと手を合わせると、うんうんと頷いた。
「あー学園!そっか、ソフィアちゃん原作にも居たもんねえ」
「げん……?なんですか?」
「なんでもない。学園って王立学園でしょ。フィリスは通わないの?」
やはりこうなった。まだいけるかどうかも分からないからあまり口外はしたくなかったんだけど……。誤魔化しても結局根掘り葉掘り聞かれそうだし、教会のこともグランベイルなら簡単に調べられるし隠しても意味ない、か。
結局、変に隠して後から不信感を抱かれるくらいなら、と私は転生者に現状を素直に打ち明けることに決めた。
「通う予定だったんですけど、ちょっと通えるかどうかわからなくなってその話をしてたんです」
「どういうこと?」
「お世話になってる教会の都合で。それ以上は私の口からは」
「あ、そっちは興味ないからいいや。でもフィリスは居た方がアイリス的にも嬉しいしなー。そうだ!じゃあアイリスが家名推薦しようか?」
名案を閃いたとでも言いたげな転生者の、家名推薦、という聞きなれない言葉に私は眉を顰めた。
「家名推薦?」
「うん。王立学園には家名推薦っていう貴族が平民を家の名前で推薦して入学させる機能があるんだー。あんまり使われてないけどね。アイリスも原作でヒロインが使って、じゃない。本で読んだから知ってただけだし」
意外な転生者の博識ぶりに私は思わず感心する。いや、転生者が博識じゃないというわけじゃないんだけど、それは商いや開発の方に向いていて、貴族の決まりや規則なんかには疎いと思っていたからだ。
本当に、よくそんなものを知っていたと思う。私も聞いたことが無いので、大方、昔の貴族が一時の無理を通すために作ったルールの内の一つだろう。学園にはその場しのぎに作られて、無用になった時に改定されたものもあれば、そのまま放置されて形骸化した規則も幾つもある。
「あれ、でも家名での推薦ってことは被推薦者の行い次第では家に迷惑がかかるのでは」
名前から察するに、家名推薦は家名を後ろ盾にする推薦のはずだ。だったら、悪い行いや責任も推薦した家が被害を被ってしまうと思うのだけど、そんな簡単にそんなことをしてしまっていいのだろうか。
「別にいいよ。フィリスはそんなことしないでしょ。それにあの人、違う違う。父様もいいって言ってくれると思うし」
貴族にとっての家名は、人によっては命より重いはずだけど、転生者にとってはその場の思いつきで秤に乗せれるくらいのものらしい。
私も家名ばかり鼻にかける貴族は好きではないし、そういう豪気は嫌いじゃないけど、賭ける家名が元私のものでなければもっと良かったのにと思う。
しかし、どうしたものだろう。ここで、「じゃあお願いします」というのは簡単だけど、それだと……。
ある理由から私が返事をしかねていると、不意に廊下からタッタッタと軽やかに走る音が部屋に近づいて来た。
その音に、転生者がさっと顔色を変える。
「ごめん!ちょっとアイリス用事が出来たからここで……」
転生者が踵を返して部屋から出ようとしたまさにその瞬間、ノックの音とどちらが早いか、音とほぼ同時に扉が開いた。
「入室の返答も待たずご無礼致します。こちらにアイリス様が御越しと伺ったので回収しに参りました」
「えー、あー、まあなんというか、ご苦労様」
転生者の反応で薄々察してはいたけど、足音の主はマリーだった。
マリーはいつの間にか転生者を小脇に抱えると、私に向かって一礼した。
「では失礼します。さ、アイリス様。抜け出した分の補習が待っていますよ」
「ううっ、完璧に撒いたはずだったのに……推薦の話、返事いつでもいいからねー!」
マリーに抱えられたまま、転生者はぶんぶんと手を振ると、部屋からあっという間に消えていった。
それだけの速さで音もなくしっかりと扉が閉まっている辺り、マリーは流石だと思う。
「嵐みたいでしたね」
「……そうね」
マリーの足音が遠ざかっていくのを聞きながら、私は椅子にぐったりと腰かけた。
転生者が悪い人じゃないのはわかっていても、話していて考えることや隠さなきゃいけないことが多いからすごく疲れるのよね……。
椅子の上でグデっとしている私の前に、ソフィアが水のなみなみと入ったグラスをトンと置いた。
「それで、どうするんですか?推薦の話」
「……正直、迷ってるわ」
「理由、当ててみましょうか?転生者さんに推薦させた上で、学園で転生者さんの身体を奪うような行為をするのは不誠実だ~みたいなこと考えてたんじゃないですか?」
ソフィアの言葉に、私は飲もうとしていた水を危うく取り落としそうになった。ソフィアの言ったことが、私の迷っていた事そのままだったから。
「……大当たり。ソフィアには敵わないわね」
「やっぱり。だったら聞きたいんですけど、フィリスさんは転生者さんから無理矢理身体を奪い返すために学園に行くんですか?」
そうソフィアに言われ、私は改めて転生者のことを思い返した。ハチャメチャで、常識では測れないけど、他人のために動くことの出来る人。そんな転生者を見て来たから、答えはもう決まっていた。
「初めはそのつもりだった。けど、今は違う。もっと転生者の事を知ってから、なんで身体を奪っていったのか、きちんと話を聞きたいわ。身体をどうやって取り戻すかは、それからね」
転生者にも何か理由があるかもしれない。もしあるなら、それを私は聞きたい、そう思うようになっていた。尤も、馬鹿正直に身体を返してと言って距離をとられると本末転倒なので加減が難しいところだけど。
「だったら推薦の話、受けてもいいじゃないですか。フィリスさんは騙し討ちをしにいくんじゃなくて、納得のいくよう話をしに行くんですから。お互い胸にしこりを抱えたまま関わっていくより、そっちの方が誠実だと思いません?」
「ほんと、敵わないわソフィアには。……ありがとね」
ソフィアのおかげで、私のやるべきことは決まった、明日にでもマリーを通して返答をしよう。そう心に決めた私は、なんとなくソフィアを抱きしめたくなって、抱きしめた。
腕の中で照れたように笑うソフィアが可愛くて、そのまま抱きしめていたら、つい勉強会を始める時間を少し過ぎてしまったことは反省しようと思う。
後日、私の入学はグランベイル家の推薦で決定することになった。マリーに伝えてから数日、古い規則を引っ張ってきたにしてはとんでもなく早い入学決定だった。なんでも、今年は私より前にその制度を使って推薦を受けた人物がもう一人いたから、前例に倣って処理がとても早かったのだとか。
あとこれは余談だけど、私の方に手を回す必要のなくなったガウス翁は、それから持ち前の老獪さを発揮し、ちょっかいをかけてきた反ガウス派は決して軽くはないしっぺ返しに泣く羽目になったのだとか。
side ソフィア
そういう仲じゃない、フィリスさんにそう言われた時、わたしの胸に小さな針が突き刺さったようなチクリとした痛みがあった。
フィリスさんの言っていることは何一つ間違っていないはずなのに、それを残念に思うわたしがいる。フィリスさんは恩人でお友達、それだけのことなのに。本当は、わたしはなんて言ってほしかったんだろう。
そんなことを考えていたからだろうか。フィリスさんからの話につい上の空で答えてしまった。わたしのこと、おかしく思われなかっただろうか。
わたしが悶々と考え込んでいるうちに、マリーさんが来て転生者さんを連れて帰ってしまった。転生者さん、連れ帰られるのを嫌がってるように見えて実はちょっと楽しんでたんじゃないかなって思う。顔、笑ってたから。
二人が居なくなるなり、それまで姿勢を保っていたフィリスさんがだらっと椅子に腰を落とす。
それだけのことが、わたしはなんだかとても嬉しくなった。ここに来た頃、フィリスさんは疲れた様子なんて見せようとしなくて、常に気を張ってるみたいだった。だから、こんなに無防備なフィリスさんを見ることが出来るのは、わたしに心を許してくれたんだって。勘違いじゃなければきっとそうだから。
心の中でそんな風に喜んでいると、フィリスさんのためにグラスに注いでいた水をちょこっとだけいれすぎてしまった。
考え事をしてて水をいれすぎたせいか、それともそれまで考えていたことのせいか、わたしは恥ずかしくなって誤魔化すように話を切り出した。
「それで、どうするんですか?推薦の話」
手近な話題を振ってみたけど、わたしにはなんとなく返答がわかっていた。即答しなかった時点で、フィリスさんは迷っているに違いないから。
しかも、こういう時は他人に対して何か配慮をしてるに決まってる。だから、わたしには自ずと答えが見えていた。
わたしがフィリスさんの考えを当ててみせると、フィリスさんは面白いくらいに狼狽えていた。でも、そんなに狼狽えなくたっていいと思う。だってわたしはフィリスさんがここに来てから、ずっとフィリスさんのことを見て来たんだから。
自慢じゃないけど、こういう変に気を回してる時のフィリスさんの考えなら、半分くらい読める自信がある。気を回しすぎたり、自分のことを考えなさすぎたりしてることばっかりだから。
だからわたしは解きほぐす。フィリスさんが全部背負い込んでしまわないように。わたしの言葉で、ちょっとでも良く考えられるように。
わたしの言葉で、フィリスさんが吹っ切れたように笑ってくれて、わたしも嬉しくなった。やっぱり、わたしは笑った顔のフィリスさんが好きだ。
ありがと、そう言ってフィリスさんがいきなり抱き着いてきたけど、わたしもフィリスさんに抱き着かれるのは嫌いじゃないから、なされるがままにしていた。
そうしているうちに、いつもお勉強を始める時間が少し過ぎたのを知っていたけど、わたしは何も言わなかった。
次回から学園編の予定です。もしかしたらサイドストーリーを幾つか挟むかもしれません。
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