36.妨害
私とソフィアが出会ってから早半年と少し。王立学園の入学に向けた準備が着々と進み、私とソフィアの入学が現実感を帯びてきた頃。
日も沈んで久しいような時間。今日も日課のソフィアとの勉強会を終えて、自室に戻って休んでいる時だった。
コツコツと控えめなノックが扉から鳴る。その音に、私はほとんど反射的にどうぞと返す。
日中ならいざ知らず、この時間に私の部屋を訪れるのはソフィアくらいなので、相手が誰かなど気にも留めていなかったのだ。精々が、ソフィア今日の勉強会で解からないところでもあったのかしら。と考える程度。
しかし、私の予想に反して扉を開けたのは意外な人物だった。
「いらっしゃい、どうしたの。ってあら、ガウス翁?」
「こんな時間にすまんのフィリス嬢」
開けた扉をしっかりと閉めてから、空いている椅子に腰かけるガウス翁。私は申し訳程度の飲み水をガウス翁に用意しながらも、脳裏には嫌な予感が渦巻いていた。
そもそもガウス翁が部屋を直接訪れるのは珍しい。いや、最初の頃を除けば皆無と言ってよかった。私やソフィアと直接会うことで現総主教派と無用な衝突や要らぬ勘繰りを起こさないために、いつもは用があってもをゼニルを経由して伝えてくるからだ。
そんなガウス翁がわざわざ部屋を訪れたなら、ただ事であるはずがない。
「何か、非常事態でも起きましたか」
「流石に察しが良くて助かる。ちとフィリス嬢のことでまずいことになってしもうてのう」
ガウス翁にしては珍しく、ばつが悪そうに顔を顰めると、気を落ち着けるようにグイと水を飲みほした。
「まあ、なんじゃ。そもそもの話、儂がソフィアと会わんようにしとるのは総主教派に要らん邪推をされんためなんじゃが、まずそこのところは大丈夫じゃな?」
「えぇ。ガウス翁がソフィアを擁立して時期総主教の座を狙っている、となったらソフィアに排斥の手が伸びかねない。だからこそ接触を避けつつ、次期総主教の座に興味がないようアピールしてソフィアに危険が及ばないようにしているのですよね」
現状を確認するように言葉を並べるガウス翁。それがこれから来る話の前置きであることを察して、私も認識を共有し、互いに頷く。そうして話の本筋に入る準備が整ったとばかりにガウス翁は一段と椅子に深く腰を落とした。
「じゃがソフィアに対して何もしてやれん儂に代わって、フィリス嬢にソフィアについて貰う。対価としてフィリス嬢の目的のために王立学園に入学させる手筈を整える。そういう算段じゃった。しかしここに誤算が生じてしもうてのう。ここにきて総主教派がフィリス嬢に矛先を変えおったせいで、今年の入学に手回しが間に合うか、ちと怪しくなってきおった」
「私ですか?なんでまた急に?」
私自身、何か動きがあるのならソフィアの方だとばかり思っていた。だからこそ他のシスターたちからそれとなく話を聞いたりして警戒はしていたのだけど……。まさか私がやり玉に挙げられるとは思ってもみなかった。
「根本のところは儂の想定が甘かったという他ないんじゃが。正直言うとフィリス嬢、お主が予想を超えて優秀過ぎたんじゃ。最初は総主教派も養子として入ってきたお主を警戒こそすれど、儂がソフィアにつけた友人か教師程度に見て過干渉はしてきおらんかった。軽微な動きはあったが裏で芽を摘んでしまえる程度のものじゃったしのう。が、蓋を開けてみれば勉学も出来て知識も豊富。社交性も高く、勉学の会を始めとして教会中に繋がりも広げておる。バイロンとも個人的な繋がりがあるようじゃしな。
更には教会外部のグランベイルの令嬢とも非常に良くしておる。故にフィリス嬢はソフィアのために呼んだのではなく、お主こそが儂の本命、擁立候補ではないかという疑念が総主教派に流れとるようでなあ」
言われて、ハッとした。私としたことが、所作や言葉遣いは適度に崩して教会の空気に馴染んだとばかり思っていたけれど、それ以外のところでボロが出ていたんだ。優秀と言われることは本来喜ぶべきなんだろうけど、この場合不必要に目立ち過ぎたことに他ならないのでそんな気にもなれない。
こんな初歩的なことで躓くなんて、悔やんでも悔やみきれない。バイロンと転生者だけは私じゃなくて向こうからアプローチをかけてきたのだからここで名前が挙がるのは理不尽な気がしなくもないけど。
「とにかく事情はわかりました。大方それで焦った一部の方々がなにかれ構わず私に対して裏工作を仕掛けてきている、ということですよね」
「そういうことじゃな。儂と正面切って事を構えるのはあやつらにとっても不利益が大きい故、教会を二分するようなことにはならんじゃろうが……。それでも王立学園の方の手続きが遅れるのは避けられん。ただでさえ入学まで1年の短い時間で手を回さねばならんのに、ここに妨害まで入るとなると」
「入学までに間に合わないかもしれない、と。まあ私自身はそれでも仕方ないと割り切れます。今は王立学園に行く以外にも転生者と接触する方法はありますし、必須というわけではなくなりましたから。ただ、私よりもソフィアを一人で王立学園に送り出す方が心配ですね……。勉学や作法はもう問題ないでしょうけど、あそこはそれだけではありませんから」
王立学園は貴族が多数在籍する学園だ。だからこそ、貴族以外の出自の者は貴族の暗黙の了解に触れないようにしなければいけない。それでも以前までならソフィアに貴族と極力関わらないようにと言い含めればそれで良かったかもしれないけど、転生者と面識を持ってしまった今、ソフィアが王立学園で転生者に巻き込まれることは恐らく避けられないだろう。転生者の性格的にも。
それでいて転生者も貴族の常識には疎いのだから、教会からの出とは言え平民扱いのソフィアがどんなとばっちりを受けるかわかったものじゃない。
「あくまでソフィアのためか。あいわかった。……元よりそのつもりじゃが、こっちもなんとか間に合わせるように全力を尽くすわい」
「お願いします。私も、何か出来ることが無いかあたってみます。ソフィアには一応このことを伝えておいても?」
私の言葉に肯定の頷きを返したガウス翁は、用は終わったとばかりに席を立った。そのまま部屋を出て行こうとして、一瞬だけ間をおいて少し身体を翻した。
「ちと面倒なことになってしもうたが、あの日ソフィアが連れて来たのがフィリス嬢で良かった。それだけは間違いないと今晩改めて思ったわい。今後もソフィアをよろしく頼む」
ガウス翁は深々と私に向かって頭を下げると、静かに部屋から出て行った。
翌日。私は早速ソフィアと昨晩の話をするために、予定していた勉強会よりも早めにソフィアの部屋を訪れていた。
予定外のことにも関わらず歓迎してくれたソフィアを相手に、私は昨日のガウス翁の話を噛み砕いて説明していった。
「そういう訳で、もしかしたら私は学園には通えないかもしれないの。ガウス翁も力を尽くすと言ってくれているけれど、万一のために貴族相手の対応を前倒しにして教えたいの。本当は学園に通いながら教えようと思ってたことも多いからかなり詰め込みになっちゃうけど」
「わたしは大丈夫だよ。フィリスさんの教え方が上手いから、ちょっとくらい勉強が増えてもやれると思う。でも……」
私が粗方説明を終えたところで、ソフィアは何か言い淀むと気落ちしたように目を伏せた。
やっぱり予定の前倒しには思うところがあるのかもしれないわ。今でも十分すぎるほどの量をこなしているんだから。
「もし不安があったり無理があるなら言ってね。私もやれるだけのことはやるから」
私はソフィアに何か心配事があるのなら遠慮なく言い出せるように、努めて優しい声色で彼女に語り掛けた。
するとソフィアは、言うか言うまいか逡巡した後、おずおずと続きを口にした。
「あの、もしも本当に学園に一人で行くことになったらって想像したら、不安よりもフィリスさんと一緒に居られないことの方が残念だなって、その、思って」
はにかむソフィアにくすぐったい気持ちになった私は、なんだか無性にそうしたくなって彼女の頭をわしゃわしゃと撫でた。
最初はなされるままだったソフィアも段々やり返してきたりと、二人でじゃれついていると、突如、部屋の扉が開く。そこには何故か転生者が居て、部屋に入ってくるなり、いきなりのことに凍り付いている私とソフィアを見てうんうんと頷いた。
「あー、お邪魔だった?」