33.来客
ソフィアとの勉強会を終えて部屋を出ると、私は外にいたゼニルに呼び止められた。
なんでもガウス翁が私に用があり直接話したいとのことで、ソフィアとの勉強会が終わるのをここで待っていたらしい。ゼニルの話を了承した私はそのままガウス翁の私室へと連れていかれた。
飾り気は無いがかと言って質素というわけではなく重厚な雰囲気すら感じる家具で彩られた部屋の中、ゆったりとした椅子に腰を沈めたガウス翁は私の入室を笑顔で迎え、私を対面に座るように促すと、早速とばかりに切り出した。
「呼びつけてしもうてすまんの。ゼニスから聞いてはおると思うが、フィリス嬢にちと用があるんじゃ。それだけならゼニルに言伝を頼むだけでも良かったんじゃが、丁度儂も時間に空きが作れたで直接ソフィアの近況も聞きたくてのう」
「ソフィアのこと、ですか。構いませんが、そちらから話すと長くなりそうなので用事から先に伺っても?」
私もソフィアの最近の躍進について語りたい気持ちを抑えつつ、先を促すようにニコリと笑った。
ガウス翁にしたってソフィアについて聞きたいことは山のようにあるだろうし、私も私でその話をし始めると何故だか少々話過ぎてしまう気がするので、まずは用とやらから済ませてゆっくりと話したい。ガウス翁もそんな私の意図を察してか、「それもそうじゃな」と頷いた。
「用とはまあ、フィリス嬢に来客じゃよ。予定だともうちょっとしてからくることになっておる。さる貴族の家の使用人なんじゃが、フィリス嬢の知人で間違いないの?」
さる貴族の家の使用人、その言葉を聞いて私はハッと顔を上げた。今の私の知り合いの中でその条件に当てはまるのは一人しかいない、マリーだ。私と連絡を取る時はガウス翁を通した方が良いと言っておいたので、彼女はそれを早速実行したんだ。
一方ガウス翁もある程度確信を持った言い方をしている辺りマリーの素性くらいは調べてあるのだろう。
「間違いなく。信頼できる人物で、ある程度事情も知っています。この間の慈善業の時に偶然会いましたので、その時に」
「成程のう。事情を話せる程度には信のおける人物ということじゃな」
「それでその、突然のことだったとは言えガウス翁の名を勝手に出したことについては謝罪を」
勝手に名を使ったことや余計な手間をかけさせてしまったためと、私が軽く頭を下げるとガウス翁はこれを笑い飛ばした。
「構わんよ。こんな老いぼれの名で良ければ好きなだけ使うとええ。それにあやつ、総主教の耳に入っても碌な事にはならんじゃろうし、儂を通したのはむしろ正解じゃな」
あやつにも困ったものじゃと苦笑するガウス翁。同じく総主教に思うところのある私もそれには苦笑で返す。
「それで、まあ一応の確認じゃが、その来客、使用人を追い返すことも出来るがどうする?」
「勿論会います」
迷うことなく私が頷くと、ガウス翁も私の決まり切った返答を知っていたかのように、ゼニルに手配を指示しはじめた。
「ではそのようにしよう。それでじゃ、仲介料というわけではないが、用のことは終わったんじゃから、ソフィアのことを話してくれるんじゃろ?」
グイと、ガウス翁が僅かに椅子から身を乗り出す。感情を隠すことに長けたガウス翁にしては珍しく楽しげな様子が伝わってくるほどだ。まあ、マリーに会える嬉しさとソフィアの成長を知らせたいやらが合わさって、この時ばかりは私もあまり他人のことは言えない顔をしていたけど。
「そちらも勿論。では来客が来るまでは存分に語りましょうか」
「……というわけで、勉学の方は順調そのものです。慈善業では逆に私が助けられることになったりで、ソフィアのことを預かっている身としては情けない限りですが……」
「聞く限り状況としても仕方ないじゃろう。勿論危険があったことは褒められたことではないが、しかしソフィアが自分の意思でそのような行動になあ」
感慨深く思いをはせるように顎髭を撫でるガウス翁。ソフィアの成長を間近で見ていた私でも下層での行動には驚いたのだから、ガウス翁にはその驚きの度合いが一入なのだろう。
「ある程度は儂の子飼いから聞いておったが、こうして聞くと改めてフィリス嬢にあの子のことを任せたのは間違っておらなんだと確信したわい。これからもあの子のことをよろしく頼む」
私に向かって深々と頭を下げるガウス翁。
「い、いえ私はあくまで約束のためにやっているのであって、対価はしっかり貰っていますから、ですから頭をあげてください」
私が慌てて頭を上げるよう言うと、三回目にしてようやくガウス翁は頭を上げた。本来の立場としてはともかく、名目上は目上になっている人物にこう頭を下げられるのは心臓に悪いのよね。
「そうだ、対価と言えば例のお渡ししてくださった本、あれのおかげで進展がありましたわ。問題解決の糸口も掴めましたし、こちらからも感謝を」
「それは良かった。糸口を掴んだ、ということはすぐにでもフィリス嬢は動き出すのか?」
「いいえ。諸々の理由も鑑みて、少なくとも学園に入学してからになると思います。それまではあの魔法について調べつつ、転生者のことも調べていこうかと」
そのまま私が本の未解読部分についてのことを話していると、ゼニルがいそいそと部屋にやってきて客人が来たことを告げた。
それを聞いたガウス翁は僅かに肩を落とすと、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「ふむ、名残惜しいがここでお開きのようじゃ。お客人との面会には近くの空き部屋を使うとええ。ゼニルが案内するでの。さて、ソフィアも頑張っとるようじゃし、儂も仕事に邁進するとするかの」
「ありがとうございました。では私もこれで」
退室しようとするガウス翁を前に、私も椅子から立ち上がり軽く礼をすると、そのまま部屋を出てゼニルに案内されるままに空き部屋へと足を運んだ。
「! アイリ」
「ちょっ、マリー!ストップ!」
部屋に来るなり開口一番私の本当の名前を大声で呼びかけたマリーの口を手で塞ぎ、唇の前に人差し指を立てる。
「私はフィリス。シスターのフィリスよ。……一応ガウス翁が人払いはしてくれてるだろうけど、万一聞かれていた時のために、ね?」
笑顔で詰め寄る私の言葉にマリーがこくこくと頷くのを確認してから、私はようやくマリーの口から手を放した。
肝が冷える、というのはこういうのを言うんだろうか。私のあとから部屋に案内されて来たマリーが部屋で私を見るなり感極まった様相で本当の名前を叫びかけたのだから。
いや、私と会うことを喜んでくれるのは私も嬉しい。けど、グランベイル家の使用人が一介のシスターを指してアイリス様なんて呼んだのを聞かれようものなら何がどうねじ曲がって面白おかしい風聞にされるかわかったものではない。
主にそういうことをするのは貴族連中だけど、貴族の目なんてどこにあるかわかったものではない。ただでさえ最近面白おかしく噂されているグランベイルの令嬢にこれ以上面白い噂は必要ないの。
私は念のために部屋の外に誰も居なかったかを素早く確認すると、しっかりと扉に鍵をかけた。
「全く。マリーは普段なんでもそつなくこなすのに、変なところで抜けているわよね」
「面目ありません……」
全身からしょんぼりオーラを醸し出すマリーを見て私はクスリと笑いを漏らすと、マリーの手をとった。
「怒ってるわけじゃないわ。昔からそうだったなって思っただけ。マリー、わざわざ来てくれてありがとう」
「フィリス様……!」
感極まったり落ち込んだりなんだか忙しいマリーを宥めて椅子に座らせ、私も改めてマリーの対面に腰掛ける。
「で、貴女のことだもの。ただ旧交を温めに来たというわけでもないんでしょ?」
「勿論です。貴女の今後にも必要かと思い今のアイリス様、転生者、でしたか。の情報をお持ちしました」
そう言ってマリーが懐から取り出した紙には、転生者の関わっている事業や行ったお茶会、現在の貴族間における風聞などがびっしりと書かれていた。
「こ、これは……すごいわね。色んな意味で」
食品、家具、魔法具、果ては土木に冒険者ギルド。どうやら転生者は様々な事業に手を伸ばしているようで、それも商品開発やその売り込みを主にしているようだ。しかも内容を見るに子供でも思いつきそうなくだらないものから、発想の飛躍したとても先進的なものまで、とても同一人物が考えたとは思えないようなアイデアばかりだ。
「あの方の持ち込まれる物は売れるものも多いのですが、それと同じくらい全く売れないものも多く、巻き込まれて潰れる商会まで出る始末で。一部では貴族界のリロント草などとも」
転生者のやりように困り果てた様子のマリーに私も思わず額を手を当てて溜息をついた。
そもそもリロント草とはロント草という薬草と見分けのつかない毒草だ。冒険者が傷つき、倒れ、どうしようもない時に最後に頼るのがこのロントという薬草なのだが、リロントという毒草と見分けがつかないためにこれに頼る時は生きるか死ぬかを完全に運に任せることになる。
転じて運任せの比喩に使われたりするのだけど……。
「かつて毒と例えられた歴史上の女性は数多いたけれど、こんな理由で毒草に例えられた令嬢は初めてでしょうね……」
「ですがロント草と同じく、成功した時の見返りもまた大きいもので。次は自分にと名乗り出る商会も多く居るのです。しかし成功それ事態にも問題がありまして」
「既得権益からの反発が大きい、でしょ。新しすぎる物を扱う時は根回しが大事なんだけど、そういうのはあの子、苦手そうだものね」
「そうですね、反グランベイルやら親グランベイルやらで商会内部でも分裂が起きたりで商業ギルドは大荒れですよ……」
話している内にマリーの瞳がどんどんと濁っていく。相当苦労したのだろう、こんな泥水のように濁り切った瞳をしたマリーは未だかつて見たことがない。
「それは……大変だったわね……」
マリーの肩にポンと手を置くと、マリーはガクリと項垂れてしまった。
「大変でした……。暴走は商売関連に留まらず、ある日にはタコ?とか言って魔物を食べようとしますし」
「ま、魔物?!……食べたの?」
魔物を食して無事だった例はほとんどない。それはこの世界の常識だ。 食当たり程度なら良い方で、身体の一部が魔物化したり身体が動かなくなったり、そのまま死んでしまったりという話は御伽噺にも実話にも枚挙に暇がない。だからこそおいそれと魔物を食べようとする人はいないはずなのに。
もし転生者が食べてしまっていたとしたら転生者と私の身体は一体どうなってしまったのか。私が嫌な予想図に顔を青ざめてさせていると、マリーはいいえ、と首を振った。
「使用人一同総力を挙げて阻止しました。……しましたが、未だに食す機会を虎視眈々と狙っている気がしてなりません」
「絶対に阻止してね」
私の真剣な声と同様に、マリーも神妙に頷いた。
それからも話を聞いていくと出るわ出るわ転生者の破天荒なお話が。お茶会に、商会との交渉に、果ては王城でまで。悲しいかな、アイリス・グランベイルの名は既に国中に轟いてしまっているらしい。
しかもその話の節々にマリーが転生者の行いを阻止や矯正しようとした形跡が見られるのがなお哀愁を感じさせる。
ちなみに話の中で判明したことだが、エリオット殿下はそんな転生者のことをとても気に入っていて、絶対に婚約すると公言しているらしい。人の好みは人によるところだからそれはいいけれど、王子としてはそれでいいのだろうか……。
「その、ごめんなさいね。とても大変なことをマリーに押し付けてしまったみたいで」
「いえ。確かに大変ではありますが、フィリス様が言っていたように転生者様も悪い人間ではないですから、苦ではありません。私の言うことにも一応耳を貸してくださいますし、暴君というわけでもないので。私の話を聞いた上で斜め上に暴走なされることも多々ありますが……。なのでフィリス様がそのように謝られることはありませんよ」
こういう時、マリーは私に嘘をついたり隠し事をしないことを私は知っている。そのマリーがこう言うのだから、本当に転生者に仕えるのは苦ではないのだろう。振り回されてはいるようだけど、二人はそう悪いペアではないのかもしれない。
相槌を打ちながら話を聞いていると、マリーが何かを思いついたようにあぁ、と声をあげた。
「ですが、労っていただけるというのであればお褒めの言葉を一つ頂戴してもよろしいですか」
「そんなものでいいの?確かに今の私には他にこれといって貴女にお礼として渡せるものもないけれど」
「それが良いのです」
若干食い気味に即答するマリーにやや困惑はあるけれど、そう力強く断言されると私としてもやらないわけにはいかない。
私は改めてマリーを正面から見据えると、軽く息を吐いた。
「ありがとう、マリー。いつも頼りにしているわ。これまでも、きっとこれからも」
私の言葉にマリーは深く頭を垂れると、はっ、とだけ返した。その後マリーは頭を上げると、何事もなかったかのように再び転生者の話をしだしたけれど、表情のあまり変わらない彼女がどことなく嬉しそうに見えたのが、私の気のせいでなければいいと思う。
次話は本編ではなく閑話になるかもしれません。フィリスではなく別視点の。
追記:誤字修正しました。誤字報告ありがとうございます。