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29.大男

フードの大男は私の手首を掴んだまま、値踏みするように私のことをねめまわした。


「多少聞いていた服装と違うが、まあ良い。来い」


痛いくらいの力で握られた手首をぐっと引かれ、私は顔を顰めた。この男は何者で、何が目的なのか、どうやってこの場を切り抜けるか、考えることはたくさんあるはずなのに、恐怖で思考が回らない。


「さっさと来い」

「っ!」


大男のとても人に向けるものとは思えないような冷ややかな声と視線に悪寒が走る。掴まれた手を力一杯振り払おうとしても、大男の手はびくともしない。

助けを呼ぼうにも、あまりのことに声が出ない。声を出そうとしても、喉からはひゅうという空気の漏れるような音がするばかりだった。

大男は私の手を引いて、歩きだそうとする。向かう先は、複雑に入り組んだ小道。あんなところに一度入ってしまえば、仮に助けが来たとしても追ってくることも出来ないだろう。

私にはその小道の入り口が、口を開けて獲物を待つ怪物のように見えた。


「や、やめて……!」


せめてそこにだけは連れていかれまいと必死に抵抗していると、男の手首を掴む力が一気に強くなる。男は、恐怖と痛みで硬直する私を睨みつけて、感情の感じられない声で囁いた。


「生きたお前を連れてこいとは言われたが、無傷でとは言われてない。それ以上暴れるなら四肢の一本は無くなると思え」


その一言で、私は今度こそ動けなくなった。頭の中は恐怖心でいっぱいで、心臓は何かに握りつぶされているかのように痛い。

下層は治安が悪く、警備の目も届きにくい場所が多くて危険なことくらい、わかっているつもりだった。

アイリス・グランベイルを良く思わない者が、誘拐や暗殺を目論む可能性もあると、わかっているつもりだった。

全部、わかっているつもりになっていただけだったんだ。

男に腕を掴まれた時に、即座に事前に打ち合わせて置いた合図用の魔法を即座に使えれば、なんとかなったかもしれない。でも、現実はそううまくはいかなかった。いざ本当に危険が目の前に来ると、驚きと恐怖が先行して、何も出来なかった。

最早、魔法を詠唱しても間に合わないだろう。そんな素振りを見せれば、宣言通りこの男は私の腕の一本でも切り落としてしまうに違いにない。私にはもう、どうすることも出来なかった。


無抵抗になった私を引きずって、男は路地へと入っていく。この男が誰の差し金であれ、この後私は碌な目には合わないだろう。私が現アイリス・グランベイルでないことは、調べればすぐにわかる。そうなれば、私に用などないだろうから。

私が恐怖と諦めで目を閉じかけた、その時だった。


「≪光の精に命じる。我は災いより守護する者。あの人を守る盾を!≫≪光の精に命じる。我は導く者。光の導をここに!≫」


私のよく聞きなれたはずの人の、でも私の聞いたことのないような凛とした声が響く。

彼女の詠唱に反応して、魔力が展開されていく。魔力は男の間にするりと入り込んで、私を守るように光の壁を形成した。丁寧に、私を掴んでいた男の手だけを外に弾き飛ばしながら。それに続いて危険を知らせるためのの光の魔術が空に打ちあがる。

それらは私の良く知る人の、繊細で綺麗な魔術。ソフィアの魔術だ。


「フィリスさん!」


険しい顔をしたソフィアが、息を切らしながら私の元に走ってくる。男はソフィアと光の結界を交互に見比べると、舌打ちをして路地の奥へと消えていった。

それを見て、私の固まってた全身が、金縛りが解けたように脱力する。だが、今度は逆に全く力が入らず身体がふらつく。あわや転倒という寸前で、走りこんできたソフィアが私を抱きとめた。


「大丈夫?!」


私を抱いたまま青い瞳を心配そうに揺らすソフィアを前に、ようやく自分が助かったという実感が湧いてくる。安堵感から目頭が熱を持ち、涙まで滲み出てくる始末だ。


「どこか痛むの?怪我でもさせられた?!」


私の涙の意味を勘違いしたソフィアが慌てふためく様がなんだか面白くて、思わずクスリと笑ってしまう。私の笑いの意図が理解出来ずに、呆気にとられたようにポカンとするソフィア。


「あぁ、ごめんなさい。状況の落差がひどくってつい。それに怪我とかはしていないから大丈夫よ、ありがとう。まあ、涙はその……貴女の顔を見て、安心したらちょっと……」


言っている間に、顔が赤みを帯びていくのが自分でもわかる。気恥ずかしくて最後の方は聞こえるか聞こえないかくらいの小声になってしまったけど、肝心の怪我はないというところは伝わったはずなのでよしとしよう。

一応強く握られていた手首が少し痛むけど、この程度なら怪我にも入らないし、変にソフィアに心配させるよりは我慢した方が良い。そう思って私は服の袖でそっと手首を隠す。


「フィリスさん。今隠したところ、見せて」


私のなけなしの隠蔽工作は何故か速攻で見破られてしまった。表情には一切出していないはずなのに、解せない。ソフィアはむすっとした顔で、有無を言わさず私の服の袖を下ろそうとする。


「え、ちょっ、ソフィア?ほんとに大丈夫だから」

「わたし、フィリスさんのことは信用してる。けど、こういう時のフィリスさんは信じちゃダメだから。ほら」


ソフィアの手で露わになった私の手首は、見事に真っ赤に腫れていた。じとりとした目で私を見るソフィアに、言い訳のしようもなく私は視線を逸らした。


「痛みは?」

「ほとんど無いわ……いえ、ほんとは少しだけ……はい、嘘です……さっきから痺れと痛みがずっと……」


嘘を言うたびにじとじとと湿り気を帯びていくソフィアの視線に耐えられず、ついに私は根負けした。私が痛みを認めると、ソフィアは鞄から包帯と薬草を取り出して、私の手首に素早く巻き付けていく。


「一応持ってきておいて良かった」

「これは?朝はこんなもの持ってきて無かったわよね」

「フィリスさんか転生者さんに何かあるといけないからって、マリーさんが持たせてくれて」


転生者とそれに連れられた私が走り去っていくのを見て、追いかける前にマリーがソフィアにこれを渡したらしい。大方、転生者のはしゃぎ様から万一走りすぎて転んだりした時用に渡されたのだろうけど、こんな形使うことになるとはまさか渡したマリーも思っていなかっただろう。


「そういえばマリーたちは?貴女一人でここに来たの?」

「その、ここは霊たちが多く居るから、その霊たちが騒いでたから気になってこっちに来たの」

「そう、霊が……」


教会内では結界のせいで霊魂が入り込めないから忘れがちだが、ソフィアにはこの世に留まる霊魂を視ることが出来る力を持っている。。以前、そのせいで外に出ると、たまに否応なしに霊の言葉が聞こえてきてしまったりするという話をソフィアから聞いていたけど、何の因果か私はそのおかげで助かったというわけだ。


「ソフィアの目のおかげで助けられるのは、これで二度目ね。私をあの屋敷から連れ出してくれた時と今回。私はソフィアに何度感謝してもし足りないわね」

「ううん。そんなことない。わたし、前まではずっとこの目が嫌だった。でも、フィリスさんがこの力のこと褒めてくれてから、なんだか今はそんなに嫌じゃない。さっきだって、前までだったら霊の独り言みたいなのは、あんまり聞きたくなくて耳を塞いでたけど、わたしから話しかけてみようって思えて、霊の人に話を聞いてここにこれたから。全部、フィリスさんが私のこと認めてくれたから出来たの」


そう言ってソフィアは照れくさそうに破顔した。けど、私は何も大したことはしていない。自分のコンプレックスを認めて、自分の力として使えるようになったのはソフィア自身の心が強かったからだ。

それでもソフィアの成長は喜ばしいことのはずなのに、そこに今日の自分の出来の悪さ比べてしまって、どうにも心の底から喜ぶことが出来ない。


「そう、それは良かったわね」


表情だけは笑顔を取り繕ったはずなのに、ソフィアは私の内心に勘付いてか、気遣わしげな視線を私に向けた。


「フィリスさん?もしかして、まだどこか痛い?」

「いいえ、違うの。ごめんなさいね、ただちょっと、貴女の成長に比べて自分の不甲斐なさが恥ずかしくて」


あまり人に話すつもりは無かったのに、気づけば私は今日の後悔をソフィアに語っていた。下層の生活を知識だけで知ったつもりになって、その実何も知りはしなかったこと。

そこにある危険も、知らず、対策だってまともに取れていなかったこと。何かあった時にと合図用に決めていた魔法も、私は使えなかった。私だけじゃない、他のシスターだって、同じような状況に陥って、しっかりと動ける人が何人いるというのだろうか。自身で体験してみてわかった。

そんないざという時に使えない方策は無意味だ。つまり、私の提案したことは結局気休めにしか過ぎなかったということだ。

全てを語ってしまった今、ソフィアは私に失望するだろうか。口ではなんとでも言っておきながら、それら全てが幻想でしかなかった失敗した私に。

私が恐る恐る顔を上げると、神妙な面持ちのソフィアがそっと私の手を取った。


「フィリスさんはわたしに、知らないことは学べばいいって教えてくれた。確かにフィリスさんは間違ったのかもしれない。けど、だったらそこから学べばいい。わたしに学ばせてくれたみたいに」


優しく微笑むソフィアの言葉に、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。


「そこから学べばいい、か。そうね、そうかもね」


貴族社会では、一度の過ちが命取りになる。だから間違えてはいけない。失敗してはいけない。ずっとそう教えられてきた。だから、自分が失敗から学ぶなんて、考えてもみなかった。

どこか吹っ切れた私は一度深く息を吐くと、心からの笑みを浮かべて、ソフィアの手に私の手を重ねた。


「ありがと。私よりもソフィアの方がよほど物知りみたい」

「えぇ?えっと、どういたしまして……?」


ソフィアはどこか腑に落ちない様子で、小首を傾げた。




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― 新着の感想 ―
[一言] まるでヒロインのピンチに颯爽と現れるヒーローの如く、フィリスの危機を救ったソフィアが頼もしいです。 怪我を隠すフィリスとそれを見破るソフィアのやり取り。ソフィアが段々と遠慮がなくなって押し…
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