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28.下層

「さてと、休憩もしたしそろそろ探検の再開を」

「しませんよ。警備も今頃大慌てでしょうから、おとなしく迎えを待ちましょう」


意気揚々と路地に向かって歩き出そうとする転生者。その手を強く握り、私はニコリと笑顔で制止をかけた。

私たちの居るここは入り組んで道の多い下層の中でも比較的大きな道で、ここならまだあとから追ってくるだろう捜索隊も私たちを見つけやすいはずだ。

だけど、ここから先は覗くだけでも迷路のような小道が続いている。転生者は興味津々で覗き込んでいるけれど、行ったら帰ってこれる気がしないので絶対行かせるわけにはいかない。

私が目を光らせているせいで、やることを失った転生者はしばらく手で髪先をくるくると弄んでいたが、突然はっとしたように自身の懐をごそごそと漁りだした。


「何をしてるんですか?」

「んー?ちょっとお腹空いたなーと思って。あ、あった」


転生者が懐から取り出したのは、パウンドケーキだった。


「何を懐に入れているんですか!」


包装もされていないそれを、一体どこに隠していたのか転生者は次々と懐から取り出す。


「ちょっ、そんなものを服の中に仕舞っていたら服が大変なことに……!」

「だいじょぶだいじょぶ。保存?の魔法で形も崩れないし触ってもべたつかないから。フィリスはどれにする?」


意気揚々とケーキを突き出す転生者には悪いけれど、それは多分保存の魔法じゃない。一般的な保存の魔法は経年劣化は防げるけど、元の物体の耐久性が変わるわけじゃないので、相応の力で触れば壊れる。まして懐にケーキなんて入れていたらあっと言う間に服の中は崩れたケーキのクズ塗れになってしまうだろう。

なので転生者のかけたそれはもっと高位の、不変とかそう呼ばれる類のもので、恐らくまだ体系化されていないものだ。ただでさえ保存の魔法は必要魔力が大きくて滅多に使われるものじゃないのに、それの上位版をお菓子を持ち歩きたいからなんていう理由で使う人が居るとは思わなかった。

私が転生者の常識外、いや、規格外さに頭を抱えていると、ぐぅ、とお腹のなる音が近くから聞こえる。音の方に視線をやると、一人のやせ細った女の子が物欲しそうにパウンドケーキを見上げていた。

転生者もその子に気付くと、腰を目線まで落として安心させるように女の子に笑いかけた。


「あげる。どれがいい?」


転生者はハンカチの上に広げたパウンドケーキを女の子に差し出した。女の子は躊躇うように視線をさ迷わせ、再び鳴ったお腹の音に背を押されるようにケーキに手を伸ばした。


「やめろ!俺の妹になにしてんだ!」


女の子の指がケーキに触れかけた時、路地から飛び出してきた男の子がグイっと転生者から女の子を引きはがした。


「なにって、アイリスはただお菓子をあげようと」


戸惑う転生者を、男の子は敵意に満ちた目でキッと睨みつける。


「お前ここの人間じゃないだろ。お前みたいに綺麗な服を着た奴の言うことを聞くと碌な事にならないんだ。どうせそれに触ったら、汚れたからとか言ってひどいことをするんだ!」


獣のように唸る男の子は、転生者を妹に絶対近づけさせまいとする意思を感じた。転生者はなんとか宥めようとしたり、ケーキを近づけて見たりしているけれど、どう見ても逆効果だ。


「アイリス様、そろそろ止めておいた方が」


私はそんな転生者を手で制止する。お互いのためにも、これ以上は辞めて置いた方がいいと感じたからだ。気が立っている男の子が、万が一にも何かの間違いで転生者に危害を加えてしまえば、大ごとになる。

そうなれば、最低でも彼の命は無いだろう。女の子には気の毒だけど、こんなことで死人が出るのは誰の望むところではないはずなので、転生者には早く諦めて欲しい。だけど、どうやら転生者はまだ何かをする気のようだった。


「仕方ないなあ。魔法解除っと」


転生者が困ったように指を軽く振ると、手の上のパウンドケーキがわずかに光を帯びた。保存の魔法を解除したのだろう。転生者はそのままケーキを一口サイズに千切ると、毒見の要領で自身の口の中に入れてみせた。

そしてケーキをまた千切ったかと思えば、なんとその一連の行動を困惑気味に見ていた男の子の口に、その一切れを突っ込んだ。

男の子は突然のことに固まってしまっていたが、しばらくするとゆっくり咀嚼を始めた。


「……うまい」

「ね?おいしいでしょ。アイリスは君たちに何もしないから、ほら、二人とも食べて食べて」


転生者は優しく笑うと、二人の前にケーキを差し出す。それを女の子は嬉々として、男の子は躊躇いがちに受け取ると、一口、ケーキを口に含んで相好を崩した。

幸せそうに口いっぱいにケーキを頬張る兄妹を見ていると、私まで温かい気持ちになってくる。けれど、それと同時に転生者を止めようとしていた自身に後ろめたい気持ちも湧き上がる。

結局、私は貴族的な思考に囚われて何も出来てないことばかりだ。



「さて、それじゃあアイリスたちも食べよっか」


転生者が指を振り、ケーキにかけられた魔法を解除していく。辺りにほんのりと焼き菓子のいい匂いが漂い始めると、また、ぐぅと誰かのお腹の音が鳴った。

その音の主は、近くに居た老人のものだった。いや、それだけじゃない。周囲を見回してみると、いつの間にかそこかしこに居た子供や老人が、ギラついた目で転生者の手の中にあるものを見つめていた。


「あのアイリス様、周りを」

「え?あー……どうしよ、流石に全員分は持ってきてないなあ。ごめん、皆。今日のところは炊き出しで我慢して。広場に行けばご飯なら食べれるから」


転生者の言葉に、場がシンと静まり返る。そして、その場にいる人は皆、気まずそうに、どこか悔しそうに俯いた。


「えっ、あれ、どうしたの?ごめん、そんなにみんなお菓子が食べたかった……?」


予想外の反応に狼狽える転生者の前に、一人のボロ着を着た年老いた女性がおずおずと歩み出た。


「儂らぁ、そこには行くなと言われとりまして。何分、儂らぁ見ての通り今日着る物にも困る有様で、見苦しいので来てはならんと。だから、一口でいいので分けてはもらえませんかのぅ」


絞り出すように言う老婆の声からは、諦めのようなものを感じる。まさかと思い、他の人にも目をやると、彼ら彼女らも悲愴な表情で老婆の言うことに頷いていた。


「そんな……でも、広場に集まるようにちゃんと下層に通達したって」

「今日広場に呼ばれておるのは、儂らん中でもまだマシな生活をしとる者たちでして。なんでもお貴族様が来るから、真に汚い者をその方の目に入れるわけにはいかんとかで、最下層の者は立ち入りを禁じると」


合点がいった。思えばリストに目を通した時、今日の炊き出しの材料は予定人数分よりもかなり多めに取られていた。それは、この老人のような人物を排した結果の余剰分だったのだと。

老婆の言葉のあまりのショックに、先ほどまで朗らかに笑っていた転生者からは表情がストンと抜け落ちていた。私だって、慈善事業の裏でこんな扱いがなされてることに少なからずショックを受けたし、老婆に悪気はないにせよ、それが自分のせいだと言われた転生者の内心は推して知るべしだ。

もう炊き出しは始まる寸前だし、今から出来る事は何もない。と、今までの私ならそう諦めていた。


「≪水の精に命じる。我は濁りを清めし者。かの者の不浄を洗い流せ≫」


私の詠唱に合わせて、透き通る水が老婆を包み込む。

私が唱えたのは、日常でもよく使われる清掃用の魔法。それを、少し出力を強くしたものだ。

老婆を包んだ水の繭は、二秒もすると霧散し、一滴残さずどこかに消えてなくなった。後に残された老婆は、身体中に付着していた汚れがすっかり洗い流され、見違えるように綺麗になっていた。


「汚いのが広場に行けない原因なら、これで大丈夫だと思います。一人一人洗っていくから次の人、こっちに」


呆気に取られていた人々が、はっとしたように一人、また一人と私の前に並んでいく。

わかっている。こんなことをしても根本的解決にならない。私の魔力に限界はあるし、全員を洗浄することなんて出来ない。それに、ここに来ていない人もたくさんいるだろう。

だから、その全ての人に手を差し伸べる事は出来ないし、ここに居なかった人からすれば不公平に映るだろう。その不公平は、きっと貴族の行いとしては褒められたものじゃない。それでも思い悩んでやらないよりはやった方がいい。悔しいけどそう、転生者の姿に学んだから。


「もし入るときに問題があったらフィリスの名前を出してください。次の人!」


並んでいる人たちを、次から次へと洗浄魔法にかけていく。正直、こんなに一気に魔力を使うことは滅多にないから、視界はグラつくし、頭痛もしてきた。それでも、貴族たる私は、こういった人たちからも徴収した税の上に成り立った生活をしていた。

だから、それを小指の先ほどでも返せるのであれば、私には返す義務がある。私が一心に魔力を放出していると、転生者が突然パンと手を叩いて、声をあげた。


「そっか!さすがフィリス。全部綺麗にしちゃえば文句も出ないよね。よし、アイリスもやるよ!」


ショックから立ち直った転生者が、やる気に満ち溢れた瞳で魔力を凝縮していく。一言で言って、その魔力量は異常だった。


「えーと、≪水の……≫なんだっけ?まあいいや≪全部綺麗になーれ!≫」


転生者の手から放たれた魔力が水となり、一区画を覆う。やがて水は引いていき、そこに居た人々は、街ごと綺麗にされていた。あれだけ汚れていた路面も、建物も、その汚れは全て流れ落ちて、今では石造りの路面は太陽が反射せんばかりの光沢を取り戻していた。突然の出来事に面くらって家から飛び出してくる人たちもたくさんいて、その人たちも皆服と身体だけは綺麗に洗い流されている。

流石にあれだけの魔力量を完璧に制御することは難しかったのか、ところどころ隅っこは汚れたままのところもあったけど。それにしても、この魔力はまさに規格外と言うほかない。


「結局私、あんまり要らなかったんじゃないかな」


疲労と気が抜けたせいで脱力しそうになるが、一気に人が増えたせいで通りは軽い混乱状態に陥っている。収拾のために、疲れた身体をなんとか持ち上げながら、私は声を張り上げた。


「皆、事情を知ってる人は知らない人に伝えてください。魔法で綺麗にしたから、広場に向かっていい、そこで食べ物を受け取ってきていいと。万一の時はフィリスの名を出してください。私が対処します」


私の発言で、波打つように人の流れが広場に向かい始める。人の波に押し流されてしまわないようにその場で踏ん張っていると、ケーキを転生者から貰っていた兄妹が、波間を抜けて私たちのほうへやってくる。


「その、ありがと、お姉ちゃんたち!」

「あ、ありがと、でした」


兄妹は、ニカッと笑うと、仲良く手を繋いで広場に走り去っていく。なんだか、最後は転生者に全部持っていかれたけれど、その感謝の言葉だけでも私は行動を起こして良かったのだと、そう思える。

兄妹たちの姿が広場に消えていくのを見守ってから、私は重大なことに気付いた。転生者が居ない。


「アイリス様?!アイリス様はどこに!」


人の波に押し流されてしまったのだろうか。早く見つけないとまずい。人の壁をかき分けていると、チラリと金色の髪が視界に映った。

咄嗟にそこに手を伸ばすと、私の手が上からガシリと掴まれた。転生者にしてはあまりに大きく力強い手。そこに居たのは、私よりも頭二つ分は大きいであろう大男。


「お前が、アイリス・グランベイルか」






いつも感想・評価・ブックマークありがとうございます。励みになりすぎて怖いくらいです。

おかげ様でモチベーションが爆発したりしながらここまで書いてこれました。今後ともよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 転生者は悪者ではなかった 普通のパターンとは違う とても新鮮だ
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