25.対策
「危ない!」
視界が暗転し、地面に倒れかけた私をソフィアがなんとか受け止める。危うく床とキスするところだったので助かった。つい先日も床に頭から飛び込んで医務室送りになったばかりなので、これ以上床と親密にはなりたくない。受け止められた時の衝撃で意識もはっきりしたし、このまま”グランベイル”のことについて詳しく聞き出す前に頭をぶつけて医務室送りにでもなったら、悶々とした思いで数日は眠れぬ夜は過ごす羽目になっただろう。
「ありがとうソフィア。もう大丈夫、ちょっと立ち眩みがしただけだから」
ソフィアだけでなくエラもマイラも、バイロンまでもが心配そうにしているので、軽く手を振って大丈夫だというアピールをしておく。ちょっと精神的なショックが強かっただけで、身体は健康だから心配には及ばない。いや、よく考えたら魔術で作り出した身体を使っている状態は健康と言うんだろうか。……ちょっと自分の健康について自信が持てなくなってきた。
「それよりも、そのグランベイルっていう貴族が来ることについて色々教えて欲しいのだけど」
「あたしもそんなに多くは知らないよ。グランベイルって変わったお貴族様が教会でなんか慈善事業をするらしいってくらい。エラは?」
「私も全然。マイラと似たようなことしか聞いてないわ」
「なら俺が話そう」
それまで流れを静観していたバイロンが、ズイと前に出た。そういえば、しれっとこの場に混じっていたり、ガウス翁の件のせいでイマイチ威厳を感じられなかったりするせいで忘れがちだけど、彼は教会の上層部に位置する人間だ。様々な情報を握っていることは間違いないだろうし、今回みたいな催しもいち早く話が通っているだろう。
そんなバイロンが事情を話してくれるのはありがたいし助かるけど、何故話してくれるのかは謎だ。勢力的に、私とソフィアはガウス翁の側で、一応バイロンは現教皇側のはずなのに、そんなまだエラやマイラのような普通のシスターには通達もされていない、微妙に内部事情のようなことを話してしまっていいんだろうか。
バイロンから私に何か熱い視線をずっと感じるので、もしかしたら今もあえて話すことによって私の反応を探っているのかもしれない。注意しておこう。
「今回、グランベイル家の令嬢、アイリス・グランベイル様からの要請で、下層で貧民に炊き出しをするのでその協力をとのことだ。正直意図も目的もわからんが、侯爵家直々の頼みということで教会も断れなくてな。2週間後に行うことになっているが、何分人手が足りん。だから、お前もソフィアも駆り出されることになるから心積もりはしておけ」
下層とは貧民街のことで、街の最も高いところに王城があり、逆に貧民街が最も低いところにあることからそう呼ばれている。しかし、転生者はどういうつもりなのだろう。他の貴族へのアプローチやアピールにしては下層を選ぶ意味もないし、平民相手の人気とりにしたって、一般層や富裕層の固まる中層で何かを行ったほうが効果的だ。だからこそ意図が解らないのだけど。
まさか本当に慈善目的で?無いとは思うけど、もしも、もしも本当にそうなら、今回ばかりは私は転生者の行いに賛成だ。私も、この国の貧富の差には常々思うところがあったから。むしろ、理解していながら動かなかった私よりも、実際に動いた転生者の方がよほど……。まあやりようや金銭の使い方はもっと他に効率の良い方法があっただろうとは思うけど。
どちらにせよ、機会があれば転生者の意図を探ってみたい。流石に顔を会わせて話す機会はないだろうから、お茶会でのこぼれ話が噂となって流れてこないかを期待するに留まることになるだろうけど。
「駆り出されるのはわかりました。けど、皆の安全は大丈夫なのですか?下層ということは治安にもそれなりに不安が残るのですが」
「侯爵家肝入りの事業ということで、多少警備を向こうに雇って貰えることになった。だから警備は万全、だったはずなんだが……」
いつもは物事をバッサリと言うことの多いバイロンが珍しく口ごもる。ただ、言いたくないとか口留めされているといった感じではなく、どちらかと言うと困惑の色が強い。一体何が警備の枷になっているというのだろう。流石に私たちの身の安全のことでもあるので、ここで聞き出しておかないとまずい。
「バイロンさん、だったはず、ということは今は違うのですか」
「ううむ」と唸り、しばらく視線をさ迷わせたバイロンは意を決したように口を開いた。
「アイリス・グランベイル様も同行なさるのだ。それで、そちらに重点的に警備が配置される関係で全域に手が回らんかもしれん」
一瞬、言われたことが理解できなかった。同行?同行する、ということはまさか……。
「下層に行くんですか?!侯爵家令嬢が?」
「まあ、そういうことになる」
中層ですら足を踏み入れることを嫌う貴族も多い中、まさかの下層に赴く侯爵令嬢。これではどんな風聞が立つかもわからないし、何よりとても危険だ。警備や監視の緩い下層なんて、怪しい人物を幾らでも招き入れることが出来る。暗殺にしろ誘拐にしろ、中層や上層の比ではないくらいに容易だ。
しかも今、アイリス・グランベイルは王族の婚約者。これでは、襲ってくれと言っているようなものだ。いくら護衛が居るからと言っても、そんな状態では万全の警備にはなり得ない。こんなことで私の身体に万一があっては悔やんでも悔やみきれないし、身体を奪われた相手とは言え転生者に何かあるのもそれはそれで寝ざめが悪い。
「警備を雇う、ということは正規の兵ではないんですよね?」
「あ、あぁ。信頼できるギルドへ依頼こそするが、実態は傭兵だ」
信頼できる、ということは最低限、金を渡されて裏切ったりしないくらいには信じたいけど、傭兵なら動員数によってはそれすら危ういかもしれない。数が増えれば増えるほど、良くない輩は紛れ込みやすくなる。
「それじゃあ警備面すら不安じゃないですか。ちなみに、この慈善事業に侯爵家令嬢も参加するっていう話、どのくらいの人に伝わってるんですか?」
「聞いた話では各方面に触れ回っているらしい」
転生者の防犯意識はゼロみたいだ。触れ回っているということは、誰でも知れるということで。そうなるともう誰がどういう狙いで何を仕掛けてくるのか予想すらつかない。
「誰か止めなかったんですか。色々と」
「いや少なくとも父上を筆頭に教会側は同行を止めたのだが、意思は固いらしくてな。そうなると侯爵家相手では教会も無理には止めれん」
「危険極まりないので無理にでも止めて欲しかったです」
貴族の権力相手に無理強いをするのは不可能だとわかってはいるけど、それでも誰かどうにかして説得して欲しかった。巻き込まれ兼ねないシスターたちの安全と私の心の平穏のために。
「しかしそうなると、アイリス・グランベイルもそうですが、慈善事業に従事するシスターたちの身の安全をどうするかも問題ですね」
「俺もそれをずっと考えてはいるのだが、どうしたものか」
何か妙案はないかと私とバイロンが顔を突き合わせて唸っていると、横からソフィアがそっと手を挙げた。
「あの、私たちにしてくれたみたいにフィリスさんがみんなに魔法を教えたらダメ?」
ソフィアの案には一理ある。私がソフィアに教えた魔法の中には護身に使えるようなものもいくつかあるし、それが使えれば自分の身を護ることくらいは出来るかもしれない。けれど、それはある理由から無理だ。私が否定を口に出すよりも先に、バイロンが首を振った。
「ダメだな。第一に、護身に使えるような威力のある魔法は習得に時間がかかる。そんなもの、皆どころか期限までに一人使えるようになればいい方だろう。第二に、そんな魔法を許可もなく街中で放てば捕まるぞ」
「そんな危ないやつじゃなくて、いざというときに光で目を眩ましたり出来ないかなって思ったんだけど」
ソフィアの発想は悪くないのだけど、光を操る魔法もすぐに覚えられるような基礎の魔法では、人の目を眩ますような眩い光は出せない。ぼんやりと光る球を出現させるくらいがいいところだ。ぼんやりと光る?
「それよ!対人に魔法を使うんじゃなくて、何かあったら連絡代わりに空に光を打ち上げましょう。それだけなら覚えるのは難しい魔法じゃないし状況によって色を変えれば伝えられることも多いわ。それに当日数人の班で行動すれば全員が覚えなくても、班に一人が使えれば十分だわ。警備にあらかじめそのことを伝えておけば迅速に駆け付けられるだろうし、良い護身替わりになるんじゃない?」
私の案を聞いたバイロンの目が輝きだす。下を向きながら、時々「警備の配置を変えれば」や「シスターへの負担も」などと呟いているので、さっそく頭の中で計算を始めたのだろう。お気に召したようでなによりだ。
「ありがと、ソフィア。貴女のおかげでなんとかなるかも」
「ううん、すごいのはフィリスさんだよ。光を打ち上げる魔法なんてあるんだね」
「昔読んだ本に載ってたのよ。一般にはあまり使われない魔法だけど、軍では連絡方法として使われることもあるそうよ」
お父様には教養のためにと多種多様な本を読まされたけど、まさかこんなところでお父様の厳しい教育の成果が生きることになるとは。思いもよらない貴族教育の賜物に私が感謝していると、頭の中で打算を終えたらしいバイロンが勢いよく顔を上げた。
「助かったぞお前たち。早速俺は父上に打診してくる。話が通ればお前は忙しくなると思うが、その、なんだ、頼む」
私に頭を下げると、バイロンは早足でどこかに向かっていった。これから、私も忙しくなりそうだ。
いつも評価・ブックマークありがとうございます。勢いで投稿してきましたが、過去投稿分に気になるところが少々あり、見直しついでに過去話に手を入れていくつもりなので次回投稿間隔が空きます。