23.エラとマイラ
「ごめんなさい、私のせいでフィリスさんが……」
「いえ、完全に私の不注意だから。ソフィアは何も悪くないわ」
涙目のソフィアがベッドに寝かされた私のひたいに濡れた布を当てる。礼拝堂で盛大に転んだ私は、無事医務室に運ばれてきていた。と言っても軽くひたいを擦りむいただけで大した怪我ではないし、普段は髪の毛で隠すことが出来る部分だからほとんど問題にはならない。
ならないのだけど、ソフィアは私がこけたことに責任を感じて平謝りだし、着いてきたマイラは私とソフィアの間であたふたしているし、エラはそんな私たちを見て必死に笑いを堪えている。どちらかというとこの惨状の方が問題だ。
「ねえソフィア、もう本当に大丈夫だから。痛みももう引いたし、傷もこうすればほら、見えないでしょう?だから貴女も謝るのをやめて、ね」
「うぅ……本当?無理してない?」
未だ不安げに揺れるソフィアの瞳を見る限り、ことこういう方面に関しては私はあまり信用されていないようだ。確かに多少痛くても同じように言っただろうから言い訳のしようもないのだけど。ただ今回は本当にもう痛くもないので、どうやって説得しようかと頭を抱えていると、
そんな私たちのやり取りを見て、それまで笑いを堪えていたエラがついに決壊して、声をあげて笑い出した。その様子をぽかんとした様子でマイラとソフィアが眺めている。エラはしばらく笑うと、涙の溜まった目じりを拭ってからこう言った。
「貴女たちのやりとりを見てソフィアさんがどんな人物か推し量ろう、なんて思っていたのが馬鹿馬鹿しくなったわ。勝手に転んだだけの人相手にそこまで謝れるなんて、とてもじゃないけど権力を悪用したりできる人物じゃなさそうね。むしろ今までの噂はフィリスが裏からソフィアさんを操ってたせいって言う方がまだ説得力があるくらい」
「ちょっと!私は操るだなんてそんな」
「冗談よ。フィリスも大概お人好しみたいだから今更そんな人物だなんて思ってないわ。でも、ソフィアさんってもっと権力を鼻に掛けたような人物を想像してたのに想像の何倍も腰が低くて、ほんと疑ってかかってた私が馬鹿みたい」
カラカラと笑うエラに、げんなりする私。本当に不本意ながら、私がこけたことから今までのやりとりで私とソフィアは彼女の信用を得てしまったようだ。信用を得たこと自体は悪くないんだけど、その理由が床に顔面からダイブしたことでは元貴族令嬢としての沽券に関わるので、出来れば違う形で信用されたかったところだ。
「ちょっと、あたしはまだ二人のことを信じたわけじゃないからね!」
「じゃあマイラは二人が悪い人だと思うの?」
「ぐっ……まあ、悪い人じゃなさそうだけど。って、そうじゃなくて!とにかくあたしはまだ信用しないから!」
「ごめんなさい、やっぱり私じゃ信用なんてされませんよね……」
「いやソフィアさんが悪いわけでもなくて……あぁもう!」
マイラはまだとやかく言っているけれど、悉くエラ(と無自覚なソフィア)に丸め込まれているので陥落するのも時間の問題だろう。ともかく、こうして私たちに新しい友人が出来ることになった。
「それにしても、医務室って初めて来たけど割と殺風景なのね」
ようやく皆も落ち着いたので、改めてゆったりと部屋の中を観察していると、意外とこの部屋には物がないことに気が付く。簡易ベッドと椅子、後は軽度の怪我向け医薬品や清潔な布 専属の医師やそれに類するような人も居ないようだし、本当に軽く怪我の手当をするだけの場所のようだ。
「医務室と言ってもほとんど薬草や布なんかの医療品置き場みたいなものだからねぇ。大きい怪我や病気には対応できないのよ。……それこそ誰か治癒魔法でも使えれば話が違うんだけど」
ぼそりと付け加えられたエラのぼやきに、マイラがパタパタと手を振って返す。
「ないない。そもそも治癒魔法なんて使える人自体がほとんど居ないんだから」
治癒魔法はとても貴重で、貴族でも適正のあるものはほとんどいない。まして平民で使える者がいるという話は聞いたことが無い。そもそも適正の有無以前に高度な魔法を使う教育を受けていないだろうから、平民から治癒魔術使いが出て来ないのは当然と言えば当然だけど。
もし仮に出てきたとしても、治癒を生業にする貴族と利権が衝突するのでどうなるかは想像に難くない。
「案外、学べば使える人も居るかもね。可能性は限りなく低いだろうけど」
私のちょっとした思いつきに、大きく反応したのはエラだった。
「あっ!フィリスってソフィアさんの先生をやってるのよねぇ」
「えぇ。マナーや勉学を中心に」
「それって勉学に魔法も含まれたりしているの?」
「入っているわ」
そこまで聞いたエラがマイラに何かを耳打ちする。内緒話の最中にも、マイラがチラチラとこちらに困惑と期待の入り混じった視線を送ってくる辺り、一体何を企んでいるんだろう。
内緒話を聞き終えたマイラが若干戸惑いながらも頷くのを見て、エラが私にばっと頭を下げた。
「お願いっ!私たちにも魔法を教えて!」
エラの意外なお願いに、今度は私が戸惑う番だった。
「えっ、教えるって高等魔法を?治癒魔術の話はちょっとした冗談で、ほんとに使えるようになるかは」
「そうじゃなくて、基礎魔法でいいのよ。ソフィアさんのついででいいから、ダメ?」
必死に頼み込むエラに、私はより困惑を強くする。そもそもこのお願いには不可解な点があるからだ。
「基礎魔法って、皆習っているものじゃないの?」
この国にはある法が存在する。それは基礎魔法や魔力制御の学習を必須とする法だ。魔力というものは誰でも大なり小なり持っているもので、それを変に暴走させたりしないために国民は皆幼い頃に、親やそれに近しい人から学んでおくように義務付けられているはずなので、基礎魔法が使えないという事態は本来起こらないはずなのだけど。
「習ってはいるわ。一応、ね。でもここ出身の私たちみたいなのは、まとめて先生から口頭で一度教えられるだけで、あんまり魔法に詳しくはないのよ」
それからエラが語ったことは、教会の魔法の学習事情だった。教会では魔法を教えて貰える機会は一度だけで、それも先生役のシスターから簡単な内容を口頭で説明されるだけらしい。解らないところを改めて先生に聞きに行こうにも、先生がもう高齢の方で、やり取りもあまりはっきりしないそうだ。
そのせいで魔法が苦手な者も多く、軽い魔法や魔道具が上手く作動せずに、日常のちょっとしたことで不便を感じることも多いみたい。
「そういう訳だから、基礎だけでも改めて学びたいの。対価として渡せるような物はあまりないけれど、その分、掃除なんかの仕事を代わるから」
「あたしもお願い」
エラに続いてマイラも頭を下げる。この提案自体は悪くない。これから先、割り振られる予定だった掃除洗濯などの仕事をある程度変わって貰えるなら、その分をソフィアの教育に充てれるし、マイナスにはならないだろう。
それに最近新しい魔道具もどんどんと普及してきているから、魔法や魔道具が上手く使えないというのは相当不便だと思う。出来るならなんとかしてあげたい。私は了承を求める意味も込めてソフィアに視線をやる。
「私はフィリスさんがいいなら、いいよ」
「ソフィアの了解も出たし、私もやってもいいと思ってるから」
私が全部を言い終わる前に、エラとマイラが手を取り合ってワッと喜びの声をあげる。
「待って待って、ガウス翁の了解もとってからだからね」
「ガウス様ならあたしたちのことも気にかけてくれてるし、ほとんど決まりみたいなものじゃない!」
一応の私の制止もどこへやら、もう決まったことのようにわいわいと喜びあう二人に、私とソフィアは困ったように視線を合わせるのだった。