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21.我儘

翌日、私室前のいつもは人通りもまばらな修道院の通路が、今日に限ってはそれなりの人が行き来している。

扉越しに聞こえてくる会話から、皆ガウス翁の養女となった私がどのような人物か見に、わざわざ何かにつけては修道院まで足を運んでいるらしい。昨日の今日で皆耳が早いものだ。

それだけガウス翁の教会内での影響力や注目度が高いと言うことなのだけど、私としてはそろそろ勉強を教えるためにソフィアの部屋に行きたいので困り物だ。

ソフィアの部屋は隣室だから出てすぐだけど、それでも誰かに捉まらないとは限らない。

とはいえそんな理由で時間に遅れるのも悪いし、一人で服を着ることも初めてだったのでそちらにも地味に時間をかけてしまった。これ以上時間をかけれない私は、意を決してドアノブに手をかける。せめて、捉まるにしても出来るだけ面倒でない人でありますように。



私が部屋の外に一歩踏み出すと、扉の開く音で気づいた周囲の人が一斉にこちらに視線を向ける。

興味、値踏み、侮蔑、様々な種類の視線を感じる。が、幸い遠巻きにしているだけで、話かけようとしてくる人は居なかったので笑顔と軽い会釈だけで返して、さっさとソフィアの部屋の扉に手を伸ばす。

誰からも声をかけられなかったことに内心ほっとしながら、ドアノブを握る手に力を入れた瞬間、廊下に聞き覚えのある声が盛大に響き渡った。


「待て、そこの金髪の女!」


人垣の向こうから、雑踏を押しのけてぐいぐいとこちらに迫ってくる、聞き覚えのある声の主ことバイロン。

周りには残念ながらこの場に金髪の女は私しか居ないので、私を呼んだということで間違いないんだろうけど、出来れば聞かなかったことにして部屋に引っ込んでしまいたい。

バイロンも悪人ではないんだろうけど、ガウス翁のことになると熱中して面倒臭くなる。そして、私はガウス翁の、正確に言えばその息子の養女だけど、実質的な後見人はガウス翁なので面倒なことになるのは間違いない。


「おい、お前だお前」


悩んでいるうちにバイロンは私のすぐ近くにまで来ていたようで、真後ろから若干苛立ちを含んだバイロンの声が聞こえてくる。

流石に無視してしまう訳にもいかないので、心の中でソフィアに遅れることを謝りながら、私は面倒ごとを乗り切る時用のとびきりの笑顔で振り向いた。


「私のことをお呼びでしょうか」


するとさっきまでの勢いはどこへやら、バイロンは石にでもなったかのようにぴしりと固まった。

返答待ちの私と、何故か動かないバイロン。2人の間抜けなにらめっこは、バイロンのある呟きによって終わりを告げる。


「素敵だ……」

「えっ?」


バイロンははっとしたように口を抑えると、咳払いを一つ。そして妙に私から視線を逸らしつつこう言った。


「お前、いや、君。少し時間はあるか。」


変に私と距離を取り始めたバイロンは、心なしか声にも勢いがなくなっている。バイロンのことをそう知っているわけではないけど、もっと、特にガウス翁関連の相手にはぐいぐいくる人間だと思っていた。

バイロンの態度に違和感も覚えつつも、私はどう返答すれば角が立たないかをひたすら思案する。

まず、断るのは既定路線だ。いや、今後のことを考えるとバイロンと繋がりを作っておくためにこの後の予定を変えるというのは悪くはないのだ。ソフィアも了承はしてくれるだろう。寂しさを押し殺したような笑顔で。

そして私は良心に押しつぶされる。そうなったらバイロンとソフィア、どちらを優先してしまうかなんて目に見えている。元から選択肢なんて無いのだ。大体、ソフィアは我慢することに慣れ切っているのがまず良くない。

教会でも霊が見えるせいであまり立場の良くないソフィアは、色々と我慢を強要されてきたのだろう。ガウス翁はソフィアに甘いけれど、多忙や事情もあってほとんど会えない。そんな状態ではいくらガウス翁と言えどソフィアの細かい私生活までは目を配れないのだ。

実際、ソフィアが教会内を歩いているときに心無い悪口が聞こえてくることもあった。それでも色んなことを我慢して頑張っているんだから、私くらいは彼女を甘やかしてあげてもいいはずだ。


この時、少々思考が先行しすぎていた私は背後の扉が開いていることに気が付いていなかった。


「フィリスさん?」


定刻になっても部屋に来ない私を不思議に思ったソフィアが、部屋から出て来ていた。

驚いた私がソフィアに返答するよりも先に、バイロンがずいとソフィアの前に出た。


「ソフィアか。お前もこの人に用があったのか?すまんが、先約は俺だ」


言ってしまった。こう言われると、ソフィアは引き下がるしかなくなる。そうすることに慣れてしまっているから。後回しにされて当然だとソフィアは思っているのだ。

しかし、どうしたのものかと頭を抱える私に帰ってきたのは予想外のソフィアの反応だった。


「フィリスさん、今日は私の勉強に付き合ってくれるって」


ほんの少し怒気のようなものを孕んだソフィアの言葉に、私は直観した。これはソフィアなりの甘えだ。今までなら彼女はそのまま引き下がっていただろう。

そういう遠慮を、私相手ならしなくても良いと。そういうことだ。よし、もうどう答えれば良いだとか悩む時間も勿体ない。私はソフィアに勉強を教えるので忙しいのだ。


「バイロン様、そういうことですからそのお話はまた後日ということで。行きましょう、ソフィア」

「あっ」


何か言いかけたバイロンを背に、ぱたんと扉を閉める。


「さ、待たせてごめんねソフィア。勉強を始めましょうか」


そのまま勉強の用意をしようとしたら、ソフィアは机に向かおうとする私の袖を掴んで、何かいいたげに引き留めた。


「どうかしたの?」

「その、ごめんなさい」


消え入りそうな声で叱られる前の子供のように項垂れるソフィア。理由は、なんとなく察しているけど。


「さっきのこと?」

「うん。バイロン兄さんとの約束があるって言ってたのに、私、我儘言ってごめんなさい」

「いいのよ。元々断るつもりだったから。それにソフィアはもっと我儘を言ってもいいわ」


私の言葉に目を丸くするソフィア。彼女からすれば、我儘を言ってもいいというのは、信じられない言葉なのだろう。


「ソフィア、あなたはとっても頑張ってるし、とっても我慢してる。でもそればっかりだと辛いから、私相手には我儘でもいいのよ。私は貴方の頑張りを知ってるから」


我慢して、頑張って、また我慢して。それは辛いことだと私は良く知っている。あの家での私がそうだったから。だから、その辛さを知る私くらいは彼女の味方でありたい。

ソフィアを肯定する私の言葉とは裏腹に、ソフィアの表情は晴れない。


「でも、じゃあアイリスさんは?アイリスさんもとっても頑張ってるのに、我儘なんて言ってないよ。辛くないの?」


思考が硬直する。私は、完全に答えに詰まってしまった。侯爵令嬢の私に我儘なんて許されない。貴族の我儘は、場合によってはあまりにも大勢の人を巻き込む。歴史上、一人の貴族の我儘で国を振り回した例だってある。

だから、許されない。それだけの話なのに、いざ面と向かって聞かれると、答えられない。


「私も。私も、アイリスさんの我儘を聞きたい。色んなものをくれたアイリスさんに、ちょっとでも返したいから」


硬直する私の目を真っすぐと覗き込こむソフィア。その目に吸い込まれそうな錯覚に陥りながら、私はなんとか口だけを動かして、作り笑いを浮かべる。


「そうね、私が辛くなったときはお願い。今は、まだ大丈夫だから」


ごめんね、ソフィア。私はいつか侯爵令嬢に戻るから、我儘になっちゃいけない。だから、その日は来ない。そんな本音を、私はそっと胸の内にしまいこんだ。



その日の勉強の雰囲気は、いつもより少しだけぎこちなかった。

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