2.転生者
2021/07/05加筆修正
腰まで伸ばしたブロンドの髪。新芽のような緑色の瞳。そんな気はないのに、時々睨んでいると勘違いされる、少しきつめの鋭い目元。
そして14歳相応の身体……改めて俯瞰で見るとちょっと凹凸が足りないような気もするけど相応の範囲だ。うん、そういうことにしておこう。
とにかく、今私の目の前で、転んで目を瞑った時の体勢のまま倒れている誰かは間違いなく私、アイリス・グランベイルだ。
私の目の前に私が居る。じゃあ私自身は?さっきから微妙に地に足の着く感覚が無いことも相まって、嫌な予感と共に自身の身体を見下ろして、私は驚愕した。
身体が、透けている。髪も、手も、服すらも。足に至っては、透けるだけでなく宙に浮いてしまっている。しかも何故か服はさっきまで着ていたパジャマではなく、お気に入りのドレス姿。
『確かに飛んで行ってしまいたいとは言ったけど……』
まさかこんな形で物理的に飛ぶことになるなんて。夢であって欲しいが、顔に当たる夜風の冷たさがこれが現実であることを教えてくる。どうやら私は幽霊のようなものに成り果ててしまったようだ。
あれだけ日々の勉学を頑張った先が、まさか幽霊、存在しない者なんて。
この国の宗教、もとい正教では人の死後、すぐに魂は次の身体へと巡り、流転するものだと言われている。だから、この世に残る死人の魂、幽霊のようなモノは存在そのものが認められていない。
昔は怪談話なんかで幽霊や霊魂なんかが語られていたみたいだけど、10年以上前にそういったモノを肯定する宗教、確か魂魄教とか言った教義が邪教認定されてからは、ちょっとした怖い話で例えに出すのすら忌み嫌われている。
ちなみに、この国では信仰の厚いか否かは置いても、ほとんどの国民が一つの正教を信仰している。今、私は存在そのものが許されない何かになってしまったのかもしれない。
そう考えると、嫌な汗が背を伝う感覚がする。いや、感覚がするだけで実際には流れていないのだけど。もしかしたら今の私の身体は汗などをかかないのかも。そうだったら便利だななんて、若干現実逃避じみたことを考えていると、視界の端で私の身体がビクリと動いた。
今の私の、ではなく、アイリス・グランベイルの身体が、だ。
『私の身体!』
驚愕する私をよそに、私の身体が勝手に起き上がって、辺りをきょろきょろと見まわし始める。私の身体は私の意思とは無関係に、首を傾げながらじっくり辺りを見渡して、ある一点に視線が釘付けになる。
視線の先にあったのは、鏡だ。
「嘘?!」
私の身体が私の声で勝手にそう叫ぶと、鏡の前に走っていく。食い入るようにしばらく鏡を見つめると、突如フルフルと震えだした。
「これって”キミタマ”のアイリス・グランベイルじゃない?!……これ間違いなく私よね。つまり私、転生した転生者ってこと?!トラックに轢かれそうになった時はもうダメかと思ったけど、神様ありがとう!」
確認するようにペタペタと顔や身体を触りながら、嬉しそうに小躍りする私の身体。しゃべっている内容はわからないところもあったけど、どうやら私の身体は転生者?という誰かに乗っ取られて、そしてそれは私を知る何者かだということは理解出来た。
荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい話だけど、現実に、しかも自分の身体に起きている出来事なので否が応でも信じざるを得ない。実際に起きてしまっていることよりも、問題はこの転生したと言って私の身体を強奪した、仮称転生者からどうやって私の身体を返して貰うかだ。
そもそもどうやって乗っ取られたのかもわからないし、返して貰えるのかもわからないけど、とにかく交渉してみる他ない。最悪交渉が決裂しても、何かこの状況に対して取っ掛かりになるような情報を引き出しておきたい。
『貴女、少しお話をよろしいかしら』
友好的か敵対的か、はたまた金銭で解決する相手かそうでないのか。様々な計算が私の頭を巡る。私だって貴族令嬢だ。魑魅魍魎蠢く貴族連中相手に、交渉や腹芸をやってのけるくらいのことは出来るように日々邁進している。
得体のしれない相手とはいえ、それら学んだことを総動員すれば、何かしらの成果は得られるはず。しかし、私の目論見は全く予想しない方向に裏切られることになる。
「ん?今何か聞こえたような。あぁ、窓が開いてるからきっと風の音ね」
転生者はうんうんと頷くと、窓をパタリと閉めてしまった。その一連の動作には全くで私のことが意識に入っていない。まるで、見えてもいないし聞こえてもいないように。窓を閉められたせいで、私はバルコニーに置き去りだ。
「さて、ゲームでは知ってるけど、いざ転生したとなればやっぱり生で見ておきたいよね、お屋敷の中」
私に背を向け、廊下に続くドアに手をかける転生者。まずい、このままだと話をするどころか認識すらされないうちに、部屋から出て行ってしまう。慌てて私がバルコニーの窓を開けようと手を伸ばし、触れようとしたが、私の手は何故か窓に触れなかった。
窓だけじゃない。壁や床にも、薄い膜でも貼ってあるかのように寸でのところで触れられない。これでは窓は開けられず、追いかけるどころか部屋の中に入ることすら出来ない。
『なんで、えっ、ちょっと待って、話を』
部屋にすら入れない私を置いて、転生者は部屋から廊下へと出て行ってしまう。私の必死の呼びかけにも返答はなく、バタンと、扉の閉まる音だけが無情にも鳴り響いた。
『……どうしよう』
また一つ、わかったことがある。この身体では、どれだけ悲しくても涙は流れて来ないらしい。
頬を撫でるような夜風が、ただただ冷たい。