18.新しい身体
冷たい。意識が戻って一番に感じたのはこれだった。どうやら私は今、硬くて冷たい床のようなものの上に寝転がっている状態らしい。感触からして石の床か台だろうか。
私はまだはっきりとしない意識でなんとか現状の整理に努める。確か私はガウス翁と魔術を行使していた。その最中に眠気に襲われて、そこからの記憶がないので恐らくそのまま意識を失ったのだろう。
……魔術は成功したのだろうか。それとも、途中で意識を失ってしまったことで失敗してしまったのだろうか。そこまで考えて、ふと、私はある違和感に気付く。身体が、手が、床に触れている感触がある。
霊体の時は、何に触れても薄い膜のようなものに阻まれているような感覚があって、触れたという触覚を感じたことはなかった。そこに思い至り、ぼんやりとしていた頭が一気に覚醒する。
仰向けに寝ている身体を、勢いに任せてがばっと起こす。その時、ひらりと私の身体の上から一枚の布が落ちた。身体の上に掛けてあったものらしいが、今はそれどころではない。
顔に、頬に、床に手で触れてみる。……きちんと触れる。どうやら魔術はきちんと成功したらしい。私は今、生身の身体を動かしている。
「目が覚めたようじゃのう」
久々の生身の感動を噛み締めている私に、ガウス翁が声を掛けてきた。そこでようやく私は周囲の状況に思い至る。辺りを見渡せば、石造りの無機質な壁と上に続く階段が目に入ってくる。
どうやら私は、意識を失う前に魔術を行使していた地下室の、中央の石台に寝かされていたらしい。
「おはようございます、ガウス翁。とても気分の良い目覚めですよ」
台座から降りて、地面に両の足で立って目いっぱい深呼吸をする。それだけで私の心は浮足立つ。
「ところで、じゃな。その、アイリス嬢や……」
ガウス翁が何かすごく言いづらそうな様で口ごもる。視線もずっと下を向いたまま固定されているので、私の意識が無い間に何かまずいことでも起こったのだろうか。
不安になった私が、問いかけるよりも先に、ガウス翁が意を決したように口を開く。
「足元に着替えがあるので、まずは着替えてくれんかのう。老いた我が身とは言え流石に目のやり場に困るわい」
そこまで言われて私は今、自分が何も着ていない、一糸まとわぬ姿であることに気付いた。
足元にある着替えを搔っ攫って部屋の隅に移動するまでの速さは、我ながら目覚めたばかりとは思えない反応だったと思う。
「先ほどは失礼しました」
用意されていたシスター用の服に袖を通した終えた私は、すぐさまガウス翁に頭を下げる。尋常じゃないくらいに顔が熱い。顔から火が出そうというのはまさにこういう状況を言うんだろう。今鏡を見たら、耳まで赤いだろう自覚がある。
殿方の前で裸体を長々晒すなんて、淑女失格もいいところだ。今すぐ地魔法で地中に潜ってしまいたい。
「こちらもあの魔術で身体は作れるが、それでは服までは作れんことに先に気付くべきじゃった」
悔いるガウス翁が言うには、私が意識を失ってから魔力による身体の構成が始まったのだけど、その途中で服が無いことに気付き、慌てて連絡の魔術で付き人に服と毛布を持ってこさせたそうだ。幸い、私が目覚めるまで半日ほどあったので、服の用意は間に合ったが、考えてみれば服が無いのは当然なのだから、魔術を行使する前に気付いて注意すべきだったと。
「全面的に儂が悪いわい……」
「いえ、私も生身の身体に舞い上がりすぎて我を忘れていた節があったので……」
声が上ずらないように気を付けながら、極力一応表面上は取り繕ったように振舞う。ここに鏡が無くて良かった。真っ赤になっているであろう自分の顔を直視しなくて済んだから。取り乱した自分を見たら、余計に恥ずかしさがこみ上げてくるに違いない。
なんとか心を落ち着けようと思案を重ねていると、ふと一つの疑問が脳裏をよぎる。鏡と言えば、私の今の姿はどうなっているのだろう。あの地下室には鏡が無かったので、自分の外見を確認できていない。分かっていることと言えば、以前とあまり変わらない体型と、肩より下まで伸びる金色の髪の毛くらい。
「ガウス翁、そういえば私今の自身の姿を知らないのですけれど、魔術で作った身体と言うものはどういった外見になるんですか?」
「魂が形が表出すると言われておる。今までこの魔術を使った中では、元々の身体に近い者もおれば、似ても似つかんような外見になったものも居たようじゃ。儂は霊体時のアイリス嬢はぼんやりとしか見えておらんかったから比較は出来んが、今は見目好いと言っていい外見をしておるよ」
「そうですか。見た目を褒められるのは、貴族社会で慣れていましたけど、その誉め言葉が魂の形にも直結している言われると少々照れますね」
その後も軽い雑談をしながら階段をのぼっていると、途中で何やら騒がしい声が地上から聞こえてきた。
「ここを通せ!ガウスはここにおるのだろう!!」
私は知らない成人男性の声だったが、その声を聞いた途端ガウス翁の表情が険しくなった。
「ちとこのままでは面倒がおきそうじゃ。急ぐぞ」
早足に階段を駆け上がり、そのまま寂れた廊下へと戻ってくる。どうやら声の主は、廊下の角を曲がった先にまだいるようで、まだここには来ていない。
ガウス翁はすぐさま振り向くと、早口に何かを唱える。すると、地下に続く階段と周囲の魔法陣が何もなかったかのように消失する。
「なんとか間に合ったわい」
ガウス翁がそう呟くのとほぼ同時に、誰かが廊下の角を曲がってくる。
「ここで何をしている、ガウス」
「これはこれは、こんなところまで儂を探してわざわざいらっしゃったんじゃろうか。総主教殿」
廊下の角から現れたのは、神経質なバイロンといった言葉がぴったり当てはまるような中年の男性だった。