17.地下
3日後、ガウス翁との約束通り、ソフィアの部屋にガウス翁の付き人、ゼニルがやってきた。
ゼニルはいつも通り、ガウス翁からの幾つかの言伝を伝えた後、一礼をして部屋から退出しようとする。
私もそれに紛れて、ゼニルが扉を閉め切る前に、開いた隙間からスルリと外に出た。
部屋から出たゼニルについてしばらく移動していると、あまり人の居ない礼拝堂裏の廊下に、私たちを待つガウス翁が居た。
「ご苦労じゃった。後は人が来んように見張りを頼む」
「はっ。今頃、総主教もガウス様を探していらっしゃる頃合いでしょうから、お早くお願いします」
うむ、とガウス翁は頷くと、廊下の、さらに奥へとズンズン進んでいき、私もそれに続く。
奥に行くにつれてさらに人気は無くなり、寂れていく。途中、立ち入りを禁止する注意書きがあったがそれも無視し、通路をさらに進んでついには最奥の突き当りに辿りつく。
道中もあまり整備はされていなかったけど、この辺りに至ってはほとんど手入れもされていないような様が見て取れる。先の注意書きにもあった通り、ここらは普段人が立ち入らないからだろう。
ガウス翁が一番奥の壁に手をつくと、周囲に幾何学模様の魔法陣が幾重にも浮かび上がる。
「我、禁忌を求めし者。秘匿されし禁を今ここに解き明かさん」
ガウス翁が唱えると、その声に応じるように壁の一部が消失し、地下に続く階段が現れる。
周囲の壁はボロボロなのに、階段とその周囲だけ妙に綺麗なのが不気味だ。それもこまめに手入れをされているような綺麗さではない。恐らくだけど、場を保存するような大規模な魔術が掛かっているんだろう。
「アイリス嬢。ここより先は教会の秘、その深部じゃ。引き返すのならばここが最後。故に、確認をしたい」
いつになく真剣な目のガウス翁に、私は頷きだけを返し、先を促す。
「今からアイリス嬢の仮初の身体を作りあげ、そこに魂を移す。しかし、仮初の身体とは言え魂を移した状態で、身体が機能停止、つまり死亡するような状態に陥れば、魂も共に死ぬ。また、魔力が枯渇するような状態になっても、身体が維持出来ず死ぬ。了承できるか?」
要は死ねば死ぬというごく当たり前のことだ。魔力の使用に多少の制約はつくが、元々枯渇するような魔力の使い方をする者はほとんど居ない。魔力が無くなった時に万が一何かが起きれば事なので、それに備え普通は枯渇しないように気をつけて魔力を使うからだ。
2つとも、躊躇するような条件ではない。ガウス翁の問いに、私は一拍の間も置くことなく頷く。
「では、次が一番大きな条件じゃ。今から言うことを承諾しかねるなら、全てを見なかったことにしてソフィアのところに帰りなさい」
極めて平坦なガウス翁の声が静寂の中に響く。先の問いよりもさらに硬さを増した声が、これから告げられることの重さを表している。
どんな条件が突きつけられるのだろうかと、無意識のうちに緊張で、喉がなるのを感じながら、ガウス翁の話の続きを待つ。
「仮初の身体は、この地下の部屋と魔術的に繋がっておる。地下の部屋が何らかの理由で崩壊したり破壊された場合、身体にも同様のことが起こるじゃろう。そして儂はいつでもそれを引き起こす術を持っておる。つまり、生殺与奪の権すら儂に委ねる事になる」
淡々と語るガウス翁。色のない声がより真剣さを感じさせる。が、ひどく真剣なガウス翁には悪いが、正直私は拍子抜けした。だから、私は友人に今日の調子を尋ねるような気軽さで返答する。
そんなもの、私にとっては今更なのだ。
『そんなことなら、考える間もなく了承です』
少し声の調子が軽すぎただろうか、ガウス翁の眉間に段々と皺が寄っていく。やってしまった。この感じ、侍女のマリーが私にお小言を言い出す時を思い出してなんだか懐かしい。
「そんなこと、とは言うがのアイリス嬢。これは喉元に短剣を突き付けられているのと同義で、そう簡単に流していいものではなくてじゃな」
『貴方に不利な秘密を共有する、その点だけでもその条件に釣り合うものだと考えております。この地下の件、他言すればガウス翁の立場は相当に悪くなるものだと認識しています。なら、そのくらいの縛りはあって当然では?』
滔々とお小言を続けようとするガウス翁の声を遮るようにして私も口を開く。多少返事が軽くなってしまったのは私の落ち度だけど、それこそ私にとっては想定していた程度の物で、思い悩むような質の話ではない。なによりもそんなことは、今更の話だ。
『私にとって生殺与奪の権利が己の手の内にあったことの方が少ないのですよ』
私の言葉にガウス翁は驚きに目を見開いたが、私の言葉の何に驚くことがあるというのだろう。
『元より、貴族にそんなものはありませんよ。貴族とは王に命を預けた者のことを差すのです。程度の差はあれ、死ねと王に命じられれば死なねばならないのですよ』
私は自嘲気味に笑い、それに、と続ける。
『貴族の子は当主の言うことが絶対です。当主によってその後の生すら左右されるのですから生死が握られる程度、それこそ今更ですよ』
ガウス翁は言葉を失っているが、国民の税で贅を成すのが貴族なのだから、それ相応の責や不自由があるのは当然だ。私はこのことに思うところはない。思い悩んだ時期はとうの昔に過ぎたから。
『そういう訳で、私は慣れているのでそう深刻になさらなくても大丈夫ですよ』
「アイリス嬢がそういうのであればこれ以上は言わんが」
ガウス翁はまだ何か言いたげではあったけど、私が納得しているということでグッと飲み込んだようだった。お互いの間に同意が成ったところで、ガウス翁が一歩、地下に向けて歩を進める。
「では行くとするかのう」
地下に続く階段は、薄暗いけれど魔術による仄かな光が灯っていて、辛うじて足元が見える程度には明るい。もっとも、今の私に足元も何もないのだけど。
ガウス翁は足元に気をつけながら、私は空を滑るように黙々と階段を下りていく。相当な高さを下った頃、階段の先にぽつりと一つの部屋が見えてきた。
「ここじゃよ」
無機質な正方形の部屋、その中央には石で出来た長方形の台座がぽつりとおいてある。
よく見ると、台座の上には人型のような穴。この台座を魔術に使うのだろうということだけは、直感した。
「ここに儂が素材を置く。置き終わったら、アイリス嬢は台座に魔力を込めてくれ。段々眠気のようなものに襲われるじゃろうが、魔力を込め続けるんじゃ」
ガウス翁が台座に様々な素材を置いていく。チラホラと本でしか見たことのないような珍しい物もあるので、全部合わせるとかなりのものになるのではないだろうか。
『よろしいのですか?こんな高価なものをたくさん使ってしまって。これなんて、炎竜の鱗でしょう』
「構わん。どうせ持て余しとった。それに……いや。さて、これで素材は最後じゃ」
ガウス翁は何かを言いかけたが、一度言葉を止めて無理矢理話を変えた。魔術にも関わりのありそうなことでもあるし、一体話の先が何だったのかは気になるけれど、誤魔化したということはここで無理に聞いても教えてはくれないだろう。
気になる気持ちを脇に置いて、私は台座に手を向ける。そのまま魔力を手の平からを流すようにして台座に送る。すると、部屋全体に魔法陣が現れて、光を放ち始めた。
「このまま魔力を緩めずに流し続けるんじゃ」
ガウス翁に言われるまま、台座に魔力を流していく。流した量に合わせて、部屋を覆う魔法陣の光が強くなり、光の強さに比例するように少しづつ眠気のようなものが私を襲う。こんな身体になってからは眠りとは無縁だったので、実に季節一つ分以来の眠気だ。この眠気を堪えなければいけないのに、久しぶりに感じる眠気はちょっとだけ嬉しい。
眠気を堪えながらも魔力を流し続け、部屋一面の魔法陣が太陽のような光を放ち始めた頃、私の眠気と魔力が限界を迎える。最後に押し出すように残った魔力を絞り出し、私の意識は闇に落ちた。