16.訪問
「よよようこそいらっしゃいましたガウス様」
挙動不審気味なバイロンがガウス翁を迎える。どうやらバイロンは尊敬する人の前ではあがってしまうタイプらしい。
先ほどガウス翁について熱弁していた時の力強さはどこへやら、まるで風に吹かれたスライムのようにプルプルと震えている。
「お爺様!」
一方ソフィアは思いがけず久々にガウス翁と会えたことで、笑顔の仮面を作ることも忘れてニコニコしている。
一応練習の場だから表情を崩すのは良くないのだけど、この笑顔を見ていると、今すぐ注意してしゅんとさせてしまうのも気が引けるので、その話をするのはこの集まりが終わった後にしよう。そうしよう。
「ソフィアに用があったのでついでに寄ったんじゃが、邪魔をしたかのぅ?」
ガチガチに緊張したバイロンを見て、ガウス翁が気遣わし気に彼に話しかける。
ただ、やはりというかそれは逆効果だったようで、バイロンは緊張のあまり血の気が引いて、顔が青くなってきてしまっている。
「バイロン、顔色が優れないようじゃが大丈夫か?」
「いっいえ、そんなことは」
立て続けに声をかけられて、さらに顔を真っ青にするバイロン。ガウス翁が顔色を気にかけて近づいてきたから余計に、だ。ガウス翁はガウス翁で本当に心配そうにしているので、自身が顔色の悪い原因だと気づいていないようだ。
流石に、ここでバイロンが卒倒でもしようものなら事だなので、ガウス翁がこれ以上過干渉しないように助け船を出しておいたほうがいいかもしれない。
『ガウス翁。バイロンさんは今極度に緊張なさっています。その原因は貴方にあるので、心配なさるのならば速やかに距離を取った方がよろしいかと』
私の声を聞いたガウス翁は怪訝そうな顔をしながら、バイロンから離れる。
すると、開いた距離に比例するようにバイロンが顔色を取り戻していく。
成人2人の身長分くらいの距離が空いたところで、ようやく人心地ついたバイロンは、ばつが悪そうに口を開いた。
「失礼しました。朝から体調が優れずいたもので。ご心配をおかけしましたが、もう大丈夫です」
ガウス翁相手にはそれで通せるかもしれないけど、さっきまでのバイロンの熱弁を知っているソフィアには通じなかったようで、バイロンの短時間での変化に目を白黒させている。
「いや、良くなったのならいいんじゃ。ところで、ここに来た要件なんじゃが、短時間でいいのでソフィアをちと借りていいかのう」
「え、ええ勿論」
まだ若干上擦った声のバイロンの了承を得て、ガウス翁は部屋の隅にソフィアを手招きする。
「ここを借りるぞ」
言うなり、ガウス翁は盗聴防止魔術を詠唱し始める。途中、私の方にも目をやってきたので私も来いと言うことだろう。
ソフィアはバイロンに軽く一礼をしてから、ガウス翁に着いて行き、私もそれに同行する。
私とソフィアが魔術の有効範囲に来たのを確認してから、魔術を展開し終えるとガウス翁は軽く溜息をついた。
「どうにもバイロンの相手は要領が掴めんわい」
「珍しい、ですね。お爺様が溜息なんて」
「それだけ儂にとって難敵なんじゃよ、あやつは」
ガウス翁の眉間には皺が寄っている。よほど応対が疲れるのだろう。ただ、ガウス翁自身もバイロンを嫌っているという感じ風には感じないので、単にペースを掴めないのが苦手だと言うことだろうか。
『難敵、というのはどういうことですか?』
「考えが読めん。どうにも昔からバイロンには避けられとるようなんじゃが、それにしては視線から敵意や嫌悪を感じん。避けておるにしても、度々儂と接触を試みているみたいじゃがどうしたいのかが解らん」
ガウス翁は難しい顔をしているが、私は内情を知っているだけに微妙な顔をすることしか出来ない。ソフィアも私と同じような顔をしている。それはそうだ。まさかガウス翁も相手がただのあがり症のファンだとは思うまい。
『直接聞いてみたりはなさらなかったのですか?立場もあってそう頻繁に顔は合わせないでしょうけど、何度かは話す機会もあったのでは』
私が疑問を口にすると、ガウス翁は眉間の皺を更に深くした。
「直接聞いてみようにも、儂と話すと中座することがほとんどでまともに話も出来ん。あやつの立場を考えるとそう何度も呼びつけるわけには行かんし、どうしたものやら」
ほとほと困り果てたといった感じのガウス翁。この問題に私自身は関係ないのだけど、このまま放置するのもなんだかバイロンが可哀そうなので、なんとかしたい。
『そう思い悩まなくても大丈夫ですよ。あの人はガウス翁を意図して避けているわけではないので』
同意を求めるようにソフィアに目を向けると、ソフィアも頷いて話に続いた。
「うん。バイロン兄さんは、お爺様のこと、大好きだよ」
「そ、そうなのかのぅ」
私とソフィアに言われたことで、少し表情が和らいだが、未だ声に困惑の色が混じっているので、バイロンの今までの行動に対する疑問は晴れないようだ。
どう説明するか悩んでいると、ふと頭に以前書物で読んだことのある、似たような情景が降りてきた。
『ほら、恋物語でもあるじゃないですか。緊張して好きな相手の顔がまともに見れないとか、会うだけでも緊張するとか。バイロンさんからガウス翁への気持ちもそれに近いものですよ』
我ながら完璧な例え話を披露したのに、ソフィアもガウス翁もなんとも言えない表情をしていた。ソフィアは理解できるんだけど同意したくないような、ガウス翁は理解できるけど納得したくないような。
「いやバイロンのことは分かったんじゃが、その例えはなんとかならんかったのか……」
「アイリスさん、それは流石にどうかと思う」
何故か非難囂々だ。かなり的確な例えだと思ったのだけど2人はお気に召さなかったらしい。
なので、どうにか2人を納得させるための違う例えを思いついたので、口に出そうとしたらソフィアに懇願するような目で制止された。解せない。
騎士物語で自身を助けた騎士に焦がれる姫のような、という次の例えはそう悪くなかったと思うのだけど。
何がダメだったのかを考えていると、話を切るようにガウス翁が大きく咳払いをした。
「とにかく、バイロンの件はわかった。それなら儂からもやりようがあろうし、ちと今後の付き合い方も考えていくとするわい。して、こっちが本題なんじゃが、アイリス嬢、例の用意が出来た。3日後部屋に使いをやるので、そやつに付いて来て欲しい」
自分の表情が引き締まるのを感じる。いよいよ、私も霊体ではなくなる時が来たらしい。
『わかりました。私が何かしておくことはありますか?』
「特には無いが、強いて言うなら魔術は使わずに、魔力は温存しておくことじゃろうか」
それなら問題ない。生身の時には寝食や生活環境に関する細々としたことに魔術を使っていたけれど、この身体になってからは特に必要性を感じたこともないし。
私が同意の頷きを返すと、ガウス翁は盗聴防止の魔術を消した。
「では、要件も伝え終わったのでこれにて失礼するぞ」
そう言って去っていくガウス翁の背を、名残惜しそうにバイロンが見つめる。そんなに気になるのなら声をかけてくればいいのに。
完全に姿が見えなくなるまで扉を凝視していたバイロンだったが、扉が閉じたところでソフィアの方に向き直る。
「本来はガウス様への取次を頼む予定だったが、お前のおかげで本日は幸運に見舞われた。感謝する」
ほとんど話せなかったにも関わらず、バイロンはかなり満足げだ。
「足労をかけたな。感謝の印に今度菓子でも届けさせよう。さて、俺の用は終わったから、もう出て良いぞ」
そう言うと、バイロンは場の片付けを辺りの使用人に命じ始めた。本当にガウス翁に一目会いたかっただけらしい。そんなに会いたいならソフィアに次の取次を頼めばいいと思うんだけど、一度の邂逅で満足してしまったらしい彼からそれ以上の言葉が出ることはなかった。
バイロンの許しも出たので、ソフィアが一礼し部屋を出ると、扉の向こうからバイロンの鼻歌が聞こえてきた。一目でこれだけ喜ぶなら、ガウス翁が直接話をしにきたりしたらどうなってしまうのだろう。そう思いながらも、彼は悪い人物ではない気がするし、ガウス翁のことを慕っているのに
すれ違ったままというのも悲しい気がするので、後日、ガウス翁にバイロンの元を訪問してみないかと提案してみた。ガウス翁は2つ返事で承諾し、バイロンの元を再び訪れる事が決定したけど、その報がバイロンの元に届いた時、彼は喜びのあまり卒倒してしまったらしいという話だけは、冗談か嘘だと思いたい。