15.熱烈
「ご無沙汰、しています。バイロン兄さん」
「あぁ。よく来た、まずは座れ」
部屋の主に促され、ソフィアは用意された椅子に座る。相手には見えていないけれど、私もソフィアの横に付き添うようにして並ぶ。
現在、ソフィア(と私)はソフィアの又従兄であるバイロンに招かれて、彼の部屋に訪れている。
目の前の、どことなくソフィアと血の繋がりを感じさせるような見た目をした青髪で短髪の男がバイロンだ。
「本日は、お招き頂き、ありがとうございます」
笑顔を浮かべ、ゆったりと、少し硬い動きで頭を下げ、殊更丁寧に言葉に気を使いながらソフィアは言葉を繋いでいく。
話の区切りにチラリと私に確認を取るように視線を向けるので、安心させるように私は肯定の頷きを返す。
『大丈夫、言葉遣いは出来てるわよ』
私の言葉にソフィアの顔が綻びかけたので、慌てて指摘し直す。
『でも表情は崩しちゃだめ』
ソフィアもグッと我慢して、崩れかけた作り笑いを維持する。それで良い。ちゃんと練習通りに出来てる。
何故こんなやり取りをしているのかと言うと、発端はまだソフィアの部屋で用意をしていた時に遡る。
又従兄に対してどう接していいか迷っていたソフィアが、私にどうしようか聞いてきた。
私としては、ガウス翁や現総主教の絡む難しい政治状況を知っているので、出来るだけ相手を尊重した態度の方がいいと答え、そこからやり取りの確認などしているうちに、
せっかくなので、日頃の言葉遣いや礼儀作法の勉強の成果も試してみようということになったのだ。
王立学園でいきなり貴族に囲まれるよりは、難しい立場とは言え身内相手にテストした方が断然マシという私の思惑もある。
丁寧な言葉遣いと、物腰。上品に見える動きと、内心を読ませない笑顔。これが今のソフィアに課せられている課題だ。
「しばらくみないうちに多少はマシになっているようだな」
バイロンはそんなソフィアを見てわずかに目を見開く。言葉にこそ出ては無いが、それなりに驚かせることは出来たようだ。
それだけでも、以前のソフィアから見違えたというのが伝わってくるので、教師役の私としてはちょっとした達成感がある。
私が満足げに頷いていると、バイロンは何やら難しい顔になり、顎に手を当てて考え唸り始める。
「むう。やはりあの話は本当だったのか。……ソフィアお前、最近ガウス様と連絡を密に取っているというのは本当か」
それを聞いて私の達成感は霧散し、警戒心が一気に高まっていく。
ソフィアとガウス翁の二人とバイロンは立場上政敵だ。探りを入れてきているのかもしれない。下手な情報を渡さないように、私が注意しないと。
『連絡を取っていること自体は否定しない方がいいわ。ただし、細かいところはぼかして答えるの』
私の言葉にソフィアは小さく頷く。
「お爺様にはいくつか言伝をいただいていますね」
「こ、言伝か。ほう、それは中々」
若干挙動不審気味になりながらバイロンが答える。やはり怪しい。いくら何でも態度に出すぎだと思うけど。
ソフィアも同じように感じたようで、余計な口を開くことなくバイロンの出方を様子見している。
「どのような内容なのだ?」
「それは内密に、と言われているので」
「ほ、ほぅ。ガウス様から内密のお話か」
何故か、返答の度にどんどんとバイロンが早口になっていく。
「で、ではガウス様を部屋に招いたというのは本当か!」
やけに興奮した様子で、バイロンがソフィアに問いかけた。間に机を挟んでいなければ、ソフィアに飛びつきそうな勢いだ。
「は、はい」
その様子に引き気味になりながらソフィアはなんとか言葉を絞り出す。その答えに、ふるふると身体を震わせるバイロン。
ここで私は違和感に気付いた。何かがおかしい。バイロンの様子は、政敵を相手に何かを探るような人物のそれではない。それにしては感情がモロに出すぎだし、
瞳も相手を観察するようなものではなく、どちらかと言うと熱を帯びた、何かに熱中するような。
そこで私は一つの仮説に思いいたる。そしてその仮説は、バイロンがぼそりと発した呟きによって確信に変わった。
「なんて羨ましいんだ……」
間違いない。この男、政敵と言うよりはガウス翁のファンか何かだ。多分質問の数々も、ソフィアたちの動向を探りたいんじゃなくて、単にガウス翁のことを知りたいだけだ。
『ねえ、ソフィア。バイロンにそれとなくガウス翁のこと、どう思っているか聞いてみて欲しいのだけど。尊敬しているか、とかでいいの』
こうなるとバイロンにとってのガウス翁がどういう存在なのかを知っておきたい。方向性によってはバイロンを上手く扱えるかもしれないし、
逆に、知らず下手に突くとこの手の輩は大変なことになりかねない。
「あの、バイロン兄さんは、お爺様のことを、慕っておられるのですか?」
恐る恐る尋ねたソフィアに、バイロンはバッと顔を上げると、これまでにないくらい早口でまくし立て始めた。
「慕ってるだなんてものじゃない!尊敬、いや、敬愛している!ガウス様が現役で居られた頃の数々の方策、教会組織の改革、数々の貴族との連携。どれも歴代の総主教には無かったことだ!
それに、今は難しいお立場に居られるがそれでもなお失われぬ影響力、あの方が総主教で居られた頃より上層部は刷新されたにも関わらず、未だにガウス様を総主教にと推す声も多い。
ご本人が表立って否定していなければ、俺とて推していただろう。父や祖父では本来相手にもならんのだ!嗚呼、何故私はガウス様の直系に生まれなかったのか」
バイロンの白熱した演説は、彼の近くに控えていた使用人が、彼の肩を叩くことによってようやく終わりを迎えた。使用人の様子が微妙に慣れた様子だったので、バイロンは度々こうなっているのかもしれない。
バイロンは咳払いを一つ入れ、一旦話を仕切り直す。
「……失礼した。とにかく、俺はガウス様と立場上敵ではあるが、心底敵対したいわけではない」
バイロンは「そこでだ」と続け、ぐいっとソフィアに身体を近づけてから、小声で恥ずかしがるように囁いた。
「俺もガウス様と話したいので一席設けてくれないか。俺からガウス様を招くと、ガウス様を呼びつけた形になって角が立つのだ」
身体から力が抜けていく。一瞬でもバイロンを警戒したことを後悔したい。政敵とか探りを入れるどころか、話を聞いていると親ガウス派もいいところだ。
挙句に本当は招いて話がしたかったなんて聞かされると、気が抜けるどころじゃない。
とりあえず困ったら笑顔で誤魔化すようにソフィアには言ってあったので、ソフィアも応対出来ず、笑顔で固まってしまっている。
ごめんなさいソフィア、そんな助けを求めるような目をされても、私もこれは対応に困るわ。
どうしたものかと頭を悩ませていると、使用人の一人がバイロンに近づいていって、耳打ちをした。
その瞬間、バイロンの身体が固まる。バイロンは何度か目を瞬かせ、「本当か?」と確認し、使用人がそれに頷くと、上ずった声で使用人に命じた。
「お、お通ししろ!」
どうやら誰かの訪問があったらしい。普通この場合ソフィアにも確認をとってから通すはずだけど、そんなことが頭から飛ぶくらいの人物みたいだ。
使用人が開けた扉の先に居た人物を見て、私はバイロンの対応に納得した。
「ちと失礼するわい。ソフィアがここに居るという話を小耳に挟んだんでのう」
扉の前に居たのは、ガウス翁だった。