14.動向
ガウス翁がこの部屋に来てから、季節1つを跨ぐほどの時間が経った。
その間、ガウス翁は立場もあって訪れることが難しく、一度もソフィアに会いにくることは無かったけど、代わりにガウス翁の付き人が来てガウス翁からの情報を色々と持ってきてくれた。
私のことは付き人には見えていないので、ソフィアを通してだけど。ちなみに付き人の名前はゼニルと言うらしい。
前にグランベイル家で行われたお茶会は表向きは友人を集めた物だったが、案の定その内実は婚約のお披露目だったそうだ。
そんな中で転生者がやらかしたことの詳細も明らかになってきた。
元々転生者はニホン食というのを商人と提携して作っていて、それをお茶会で披露する予定だったようだ。これ自体は新作をお茶会で広めて流行の流れに乗せること自体は間違ってないだけになんとも言い難い。
ただ、そのニホン食を作るのがお茶会までに間に合わなかったらしい。ここで済んでいれば私の心は穏やかで居られたのに、転生者はここで諦めなかった。
どうやらお茶会の席で魔法を使ってニホン食なるものを作り出したそうだ。
魔法で作った食なんて消費魔力の割に味の劣化がひどく、さらに毒殺も容易に行えるのでそんなものを客人に出した時点で失礼どころの騒ぎではないのだけど、この常識を転生者は知らなかったらしい。
昔、ある貴族がその手法で毒殺されて以来、貴族は食事前に食べ物が魔力を帯びてないか調べる習慣があるはずなのに、転生者はどこかで思い至らなかったのだろうか。
加えて、転生者は幾つかのニホン食を魔法で再現したらしいのだけど、その内の一つ、納豆と言うらしいものの臭いがひどく、腐った生ごみのような臭いだったそうだ。
色々と言い訳の出来ない状況の中、出された物を毒殺を疑い誰一人口にすらしなかったという醜聞が出来上がるのを避けるために、私の友人であるレイラが進んでニホン食を口にしたらしい。
口にした途端顔が引きつり涙目になっていたという話も聞こえてきたので、これが事実ならよほど口に合わない物だったみたいだけど。
そこまでしてギリギリのところで私の名誉を守ろうとしてくれたレイラにはいつか絶対謝ろう。
そんな波乱に満ちたお茶会は無事とは言えないにしても一旦は終わりを迎え、グランベイル家の令嬢は変わり者という風聞が出来上がったわけだが、
転生者はそれだけで止まらなかった。
お茶会ではイマイチ不評だったニホン食だが、それを魔法での再現に留まらず、商人と協力の下、量産して売り出そうとしているらしい。
とんでもない物をグランベイル家の名で売りに出さないことを切に願っている。
付き合わされる商人も、これを商機と見て進んで転生者に付き合っているのか、侯爵家の依頼という名の事実上の命令で動いているのかはわからないけど、一度お茶会で貴族たちから顰蹙を買った品を売り出すのは大変だろう。
こんなことに無理矢理付き合わされるのはいくら何でも不憫がすぎるので、せめて商人たちが前者でありますように。
こんな風に色々とやらかしている転生者だが、悪い噂や醜聞だけでなく、良い噂も幾つか聞こえてきた。
そのうち一つが、グランベイル家の令嬢は魔法の天才だという噂だ。私も魔法は得意な方ではあったけど、天才と持て囃されるほどではなかったので、こんな噂が立つのは私が転生者に変わってから何かがあったということだろう。
実際、婚約の時に私たちの目の前で使っていた魔法は非常に高度な物だったので、この噂は恐らく事実だ。
それと、良い噂かどうかは微妙なところだけど、貧民街に自ら赴いて施しをしているという話もあった。
誘拐のリスクや他の貴族からの目を考えると思うところはあるし、醜聞にもなりかねない話だけど、私自身この国の貧富の差には思うところもあったので、
転生者のその行動力は素直にすごいと思える。私なら、色々なしがらみもあって直接赴くなんて発想は出なかった。
勿論、侯爵家の一員であることを考えれば直接赴かなくても出来ることはあるし、それが正解だろう。
ただ自分の目で見ないとわからないことがあるのも事実だろうから、立場的には否定すべき転生者のやりようだが、この件に関しては私は転生者の行動を否定しきれない。
他の細々とした情報にも目を通し、一通り渡された情報を自分の中で整理し終わった時、私の口から思わず溜息が漏れた。
「どうか、した?そんなにひどいことが書いてたの?」
『そうではないの。いえ、家名的に惨状は惨状なのだけど、それよりも転生者が思っていたほど悪い人物ではないのかも、と考えてしまってね』
「どうして?アイリスさんの身体を奪った人でしょ」
ソフィアが不思議そうに首を傾げる。
『それはそうなのだけど、調べれば調べるほど世間知らずだけどお人好しという感じの人物像が浮かんでくるのよね』
転生者の行動を一つ一つ分析していくと、何かを企んでいるにしては行動が杜撰だし、何か意図があってというより衝動的に慈善業や市民の問題に首を突っ込んでる感じがする。
衝動的にそういうことをする程度には善行意識があるということだけど。
『いっそ根っからの悪人だったら、私も手段を選ばずにに身体をとり返す方法を模索出来たんだけど、どうにもやり辛いわ』
「なら、会って話してみる?本当に良い人なら、言えば身体を返してくれるかも」
ソフィアの意見は目から鱗だ。確かに私と転生者はお互い話したことも無ければ面識もないようなもの。
一方的に身体を奪われた経緯から、奪い返すことばかり考えて、交渉の余地はないと思い込んでいたけど、転生者の目的と性格次第では交渉になるかもしれない。
『……そうね、それも方法の一つとして考えておきましょう。ところで、今日ソフィアは又従兄との面会よね。私の心配をしてくれるのは嬉しいけど、貴女の方は大丈夫?』
つい5日ほど前、又従兄からソフィア宛に会って話したいという連絡があった。今までは廊下ですれ違うか、大事な集まりの時に顔を合わせるくらいで、わざわざ個人で会うなんてことはなかったそうだ。
会うのに指定された日が今日なのだけど、なぜ急にそんなことになったのかは、ソフィアにもわからないらしい。
「あんまり。私、バイロン兄さんからは好かれていないみたいだから……」
前にソフィアと雑談をしている時にちらっと話を聞いた程度だけど、ソフィアは又従兄のバイロンから廊下ですれ違うたびに嫌味を言われているみたいだ。
ソフィアは嫌味そのものより、何故嫌われているのかの方を気にしているみたいだけど。
『なら体調の不良を理由にお断りする?身内だし、この手のお誘いなら幾らでも理由をつけて行かないことは出来るけど』
「ううん。会う。会って、話してみたい。あんまりきちんと話したことはないから、バイロン兄さんのこと知っておきたい」
ソフィアのこういうところが素敵だと思う。私ならそんな相手、手短に済ますか手を回して予定を潰すだろう。
『ならそろそろ支度しないとね。せっかくの面会に遅れていくわけにはいかないでしょう?』
私がそういうと、ソフィアは慌てて服装を整えはじめた。