12.条件
「詳しく、と言っても儂も大したことは知らんが、グランベイル侯爵家の娘は何やら商いに手を出しとるらしいのう」
『商いですか?確かに珍しいことですけど……』
貴族令嬢が率先して商いに手を出すというのはあまり話を聞かないけど、全く居ないわけじゃない。
そこまで話の広がるようなことではないと思うけれど。
「いや、扱っとる品が問題でのう。ニホンショク?とか言う聞きなれぬ響きの物なんじゃが」
『珍しい品なら尚悪くないのでは?そういう物を取り寄せれる手腕があるということですし』
「そこまでなら良いんじゃが、なんぞ匂いがひどい食べ物らしい。それを自家開催の茶会で振舞ってえらい不評だったそうじゃが」
『何やらかしてるんですか?!』
ここ数日でここまで話が届くような規模のお茶会ということは、それなりの人数が招かれたお茶会だったと見て良いだろう。このタイミングでそんな茶会を行うなら、
殿下との婚約関連のお披露目のような場だった可能性がある。そんなお茶会でやらかしたとなれば、失点どころの騒ぎではない。
私の信頼する侍女のマリーは何故止めてくれなかったんだろうか。
いや、彼女ならきっと止めたはずだ。止められた上で転生者が断行したに違いない。
もう全部聞かなかったことにしてここで霊体としてソフィアに勉強を教えたりしながら生きていっていいだろうか。
そんな想いが頭をよぎるけれど、私は頭を振ってその考えを思考から追い出す。
転生者をこのまま放置しておけばグランベイルの家名に傷がつく。もう、ちょっと手遅れかもしれないけどまだなんとかなる、なるはず。多分。
それにあの転生者は恐らく貴族教育を受けていないのに、殿下の婚約者ということは、将来国政に携わることは目に見えている。今はまだ私の心の平穏が脅かされるだけで済んでいるけれど、
国政が揺るがされるのは看過できない。王族との婚姻はおいそれと破談にすれば国が揺らぐという前提があるから、ほぼ破談になるのも望めないし、破談になったらなったで家名にとんでもない汚点が残る。
なによりこのままただ身体を明け渡してしまったら、私にこれまで尽くしてくれたグランベイル家の使用人たちにも顔向けが出来ない。
頑張ろう。そう思いなおして、私は俯いていた顔をなんとか持ち上げる。
『そのお茶会について、何か他にご存じのことは?』
「うぅむ、すまんのう。総大主教をやっていた当時ならいざ知らず、今では大した情報網も残っとらんので仔細はわからん」
『そうですか……』
「じゃが、これからの話次第ではグランベイル家について儂の手勢で探ってもええと思うとる」
ガウス翁の声色が一転して真剣な物になる。話合いが交渉に変わったことを肌で感じる。
『伺います』
「まず1つ、既にやっとるようじゃが改めて、ソフィアに勉学を教えて欲しい。来年には王立学園への入学が決定しとるからのう。
あそこは貴族学校じゃが、一部立場のある平民も入学することはアイリス嬢は知っとるじゃろ?総大主教を務めた者の血筋の入学も慣例で決まっておる。
あの子は故あって教育が遅れておるから、入学も取り消してやりたいんじゃが。あの状態では碌な目に合わんじゃろうし。が、慣例を曲げるだけの力も今の儂にはない。
そこで、アイリス嬢には王立学園へ入学しても大丈夫な程度、男爵位に劣る程度でいいので教育をしてやって欲しい。どうじゃろう?」
『私としても勉強を教えるのはソフィアとの約束ですし、私自身楽しんでいるのでそれ自体は構いません。ですが、血筋で言えばソフィアはそれなりの立場にあるのに教育が遅れているその故というのを教えて頂いてもよろしいでしょうか?』
ずっと引っかかっていたのだ。普通、ソフィアのような立場なら平民とは言え教師の一人くらいはつく。王立学園に入学することが決定してるなら猶更だ。だけど、ここに来てからそんな人物を見たような記憶がない。
ソフィア自身教育をあまり受けていたような感じはない。私が教えている時の物覚えは驚くほど良いので、以前勉強していたけど身についていないという線も薄いだろう。
この不可解さはずっと気になっていた。
ガウス翁は少しだけ躊躇いを見せた後、恥ずかしい話じゃが、と前置きをしてから話し始めた。
ガウス翁の語った内容は正教上層部のごたごたと言うべきもので、10年前、ガウス翁が総主教を退き、その後釜として総主教に任命されたガウス翁の息子が急死し、代わりに甥が総主教の座についたことに端を発していた。
ガウス翁の甥は権力欲の強い人物で、総主教になったことで次は自身がその座を降ろされないように、ガウス翁やその周囲に対して力を削ぐような工作を次々と行い始めた。
勿論その工作はガウス翁の直接の血脈にも及び、ソフィアへの教育も現総主教に妨害されている形らしい。
ガウス翁自身も監視がつき、自由に出歩けない有様だそうだ。
「儂としてはもう総主教の座になんぞ興味もないし、孫娘を可愛がりたいだけなんじゃが、ままならんわい」
そう言ってガウス翁は肩を落とした。その様子は一見、孫娘との触れあいが出来ずにただ落ち込んでいる老人だけど……
『事情はわかりました。けれどそのような、言わば正教内部の醜聞をわざわざ詳しく話すなんて、私も政争の沼に引きずりこむつもり満々ですね?』
ソフィアの事情を話すだけならその辺りはぼかせたはずなのに、ガウス翁はわざわざ詳細を話してみせた。私が指摘しなかったらもっと深みに嵌めてから政争に関して色々と私を動かす腹積もりだったのだろう。
私の返答を聞いたガウス翁は雰囲気を一転、ほっほと笑う。そこに肩を落としていた老人の姿はなく、先ほどの様子が話を誤魔化すための演技だったとわかる。
やっぱり食えない人だ。
「まあなんじゃ、何も政争そのものに巻き込むとは言わん。ただソフィアへの防波堤にはなって欲しいとは思うとる。あの子が余計なことに巻き込まれんように立ち回って欲しいんじゃ」
『わざわざ面倒な言い回しをしなくても、それを先に言ってくれれば快諾しましたのに』
「すまんすまん。どうにも周りに居るのが大抵腹に一物抱えとる奴らばかりじゃから、ついついやり取りが迂遠になってしもうていかんわい」
『ガウス翁の立場上仕方ないことではあると思いますが。ところでその件、承諾はしますけれど余計な諍いを避けるように立ち回ると言っても、私に出来るのは精々がソフィアに助言することくらいですがよろしいんですか?』
私がせめて生身ならば、矢面に立つなり仕掛けてくる相手に対して何らかのアプローチをするなり手段は取れたけど、今の私は霊だ。
話すどころかソフィアとガウス翁以外には声すら聞こえないし、矢面に立つなんてもっての他だ。それを指摘した途端、ガウス翁の表情が突如真剣みを帯びた。
「それなんじゃが、アイリス嬢お主、先ほどの政争の比ではない深みに浸る心積もりはあるか?」
『先ほどのお話もそう軽いものではなかったと思いますが、それ以上ですか?』
さっきの話の上では注意すらなかったのに、わざわざ前置きをするということは余程の事柄らしい。
「勿論、ここからの話はタダでとは言わん。代価は、生身に近い身体じゃ」
『!!』
その代価は、確かに喉から手が出るほど欲しい代物だ。何せ、それがあるだけで取れる手段の幅がぐっと広がるのだから。
でも、その代償はどれほどの物か想像もつかない。
しばらく熟考の末、私はガウス翁の話を聞くことに決めた。ここで足踏みしたら、中途半端な物しか得られないかもしれない。そうなるくらいなら踏み出した方がずっと私らしい。
『聞きましょう』
「アイリス嬢の決断に感謝を。まず身体を得るにあたっての条件じゃが、通う手段はこちら用意するので、ソフィアと共に来年、王立学園に通って欲しい。今の儂ではあそこの中にまでは手を出せん。じゃが、ソフィアを取り巻く環境はそんなことを考慮はしてくれんじゃろう。
だから共に通い、守ってやってくれんか」
『なるほど。王立学園に行くのであれば私自身、転生者と殿下の動向を探ることも出来ますし、悪い取引では無いですね。その条件、受けましょう』
ガウス翁から出された条件自体は、そう悪いものではないし、私にも利がある。ただ、前置きをしてまで引きずりこむような深みでもない気がする。
条件の方でないのなら、ガウス翁が言う深みとはきっと……
「うむ。なれば身体を得る方法じゃが、邪教にのみ伝わる魔法を行使する。故あって儂はその魔法を知っておるが、勿論他言は無用じゃぞ。儂と共に破滅したくないのであれば、の」
元とは言え正教のトップが邪教の外法に通じて、行使すら可能である。こんな事情、安易に誰かに話すことは出来ない。
ガウス翁が深みと言うのも納得だ。私もその共犯になるわけだから。
私は了承の返答代わりに貴族的な、貼り付けたような作り笑いを浮かべた。